上のバカがすみませんね
●21 上のバカがすみませんね
「君は偉いな。いや君のお母さんもだ」
CCが白い歯を見せて、にかっと笑う。
この船底の一室が、ぱっと明るくなった。
ユーモアがあって男っぽくて、魅力的な男だな……。
「ところで……君はかなりの高度から海面に落ちたが、ケガはなかったのかい?」
「ああ。衝撃はすごかったが、波の具合がよかったんだ。突入の瞬間は、さすがにおふくろの顔が浮かんだよ。もうオサラバだってな。俺は運が良かった。いや、悪かったのかな? 今日はヨーロッパから里帰りしたばかりでこの基地の友達に逢いに来たんだからな。あとは頑丈な身体に感謝だ」
CCは片方の口をゆがめる。こうすると、なんとなくハリドンフォードに似てる。
「……だが、まだ相棒のヒックはまだ意識がもどらないらしい。ドッグファイトで撃たれたからな。ちゃんと見てやってくれ」
「ヒック……?」
「ああ、ヒース・ブランシェット、オレとワイラウェイに乗ってた」
あ、そういや後席の乗員がいたな。
比奈さんの隣でようすを見ている田垣先生が、おれを見て軽くうなずいている。
ちゃんと手当はしているってことだろう。
「わかったよCC、ヒースのことは任せてくれ。どうなるかは彼の体力次第だが、最善をつくすことだけは約束するよ」
「たのむ」
「こんなこと言うのはおかしいかもしれんが、君らの身の安全は保障するし、われわれは武人同士だ。けっして粗略には扱わないよ。それからニューアイルランド島、ニューブリテン島以外には手を出さないから安心してくれ。ここがおれたちの防衛ラインなんだ。君の司令官に伝えてくれてもいい。おれから親書も書く」
「わかった」
「あとひとつ、訊きたいことがあるんだが……」
「ん? なんだい」
どうぞ、とでも言うように、CCがゆっくりとまばたきをする。
「君とヒースは、ワイラウェイに乗ってたね。他のみんなはF2Aなのに。なぜ?」
CCは悪戯っ子のように、ウィンクをしてみせた。
「簡単さ。昨夜のポーカーに負けたんだ。おかげでこの基地の兵隊でもないのに、あれに乗るはめになっちまった。ひどい話だろ」
「なんだそりゃ」
おれは吹き出した。いかにもバクチ好きそうなCCのヒゲ面と、オーストラリアの若者だった。
「オレは賭けが好きでね」
「だろうねえ。でも、いくらなんでも一機だけで戦えってのはひどくないか?」
「おー、それは誤解だ」
CCはさすがに首を振る。
「みんなと一緒に離陸するつもりだったんだが、あいつがあんまり遅いんで置いて行かれたんだ」
「あ――――」
おれたちは笑った。
ベットがひとつ、あとはテーブルしかない病室だったが、彼が身体をゆすると、なおさらこの部屋が狭く感じる。
「田垣先生」
おれはかたわらで書類を見ている田垣軍医に声をかけた。
「は。なんでしょうか」
「この人の相棒……ヒースの容体はどうですか?」
ここからは日本語のやりとりだし、ジョシーも当然のように通訳を止めている。
「大きな銃創があります。内臓は大丈夫ですが、出血が多いですな」
「血液型は?」
「認識票でわかりました。たしかBですが、まだ輸血は行っておりません。貴重な保存血液を捕虜に使っていいものかどうか、わからなかったので」
「ならしてやってください。足らなければ、この艦の兵士にも提供させましょう」
「わかりました」
「CC、君の苗字は?」
ジョシーがメモ取りながら声をかけている。
あ、そういや、訊いてなかった。
おれがうっかり忘れていても、ちゃんと抑えるところを抑えてくれるのは、助かるな。
CCは快活な声で答える。
「コールドウェルだ。クライブ・コールドウェル」
空襲と上陸作戦は結果的にうまくいった。というより、反攻らしいものはあのF2Aとワイラウェイ以外にはなにもなかった。
やはり、この地は平和だったのだ。
われわれが攻撃したために、戦地化しただけなんだ。
陸軍の144歩兵連隊約五千人をニューブリテン島に送り届けるため、上陸艇(といっても大発動艇だが)のピストン輸送が始まった。
おれとジョシーが作った降伏勧告文書を、上陸部隊に持たせる。
もちろん島内へはすでに何度も、航空機で散布を行った。
「楠瀬大佐」
おれは翔鶴の甲板にやってきて、別れのあいさつに敬礼する陸軍の楠瀬正雄大佐に声をかけた。彼はこのガスマタの地から上陸する三千の部隊を率いている。
陸軍らしい、帽子と白い開襟シャツに、軍刀をたずさえた彼は、いかにも勇猛な将校に見えた。
「なんでしょうか」
艦載機の発艦のない空母の甲板は、ゆったりと上下はするものの、いたって平和なものだった。声はよく通るし、陽射しは明るく、見晴らしもいい。
「君には謝っておきたいことがある」
「ど、どういうことでありましょうか南雲中将」
突然のことに、右手を降ろし、首をかしげる。
「君たち陸軍さんには、はからずもこんな遠いところにまで来させてしまった。うちのバカどもが要請したせいでね」
「え? バカども?」
「ウチの上のバカどもだ。……もともと、陸軍さんはこのオーストラリアより、西への侵攻を主張していた。君らには奥地に手を出さない節度があるし、戦略も賢明だ」
「……」
楠瀬が声を失っている。
上下関係の厳しい軍隊で、いくらおれが中将、現場の司令官とはいえ、海軍司令部をバカよばわりするのは、衝撃的だったか?
「海軍を代表するわけじゃないけど、南雲個人としてご苦労かけていることを謝っておきたい。すまない」
「そんな……私には上のことはわかりません。が、決まった以上、やるのが軍人の務めですから」
「うん、ありがとう。さすがは陸軍に楠瀬ありとうわさの御仁だ」
「……」
「それから、楠瀬大佐にお願いがあと二つほどあるんだけど、いいかな?」
「は、はい。私にできることでしたら、なんなりと」
おれは遠くの島を眺めた。
かもめのような水鳥が、青空をバックに群れをなして飛んでいる。
おれは姿勢を正し、敬語に変えて話し出す。
「わかっておいででしょうから簡単にすませます。まずは捕虜の扱いに気をつけてください。この戦争は有利な条件で講和するのが本懐。そのとき、捕虜の扱いが悪いとうまくいかない。誰だってひどい扱いを受けたら、講和なんかせずに死ぬまで戦いたくなる。逆に丁重な扱いをされたら、きっと帝国のファンになりますよ」
「ファン?」
おっと、こりゃわからんか。
「え~と、どういうのかな……シンパ?」
「あ~なるほど」
楠瀬大佐はようやくわかったような顔をした。
「わかりました。気をつけましょう」
「それから、このラバウルやガスマタのあるニューブリテン島には千五百人以上の敵がいますが、彼らにはほとんど戦争継続意欲はない。降伏文書を使い、うまく誘導して極力犠牲を少なくしてください。そして降伏したら、船をいくつも使い、オーストラリア大陸に送ってやってください。なに、沿岸ならどこでもいい。南の方なら戦争にはなりません。面倒だが、それが一番安上がりなんです」
「わかりました」
「あと、これは念のためだけど……」
「?」
「これ以上の戦線は拡大しないように。おっと、これはもともと、陸軍さんのご方針でしたな」
「わかっております」
「そのため、昨日捕虜にしたクライブって男に、戦線不拡大方針の親書を渡しておきました。きっと前線の司令官に渡してくれるでしょう」
おれはぴっと敬礼した。
「ではこれで! ご武運を、楠瀬大佐!」
「な、南雲長官も!」
そう言って、彼は上陸用の内火艇へと消えていった。
海猫が、大声で叫びながら飛び去っていく。
甲板では、大発に乗って進む陸軍の兵士たちに、水兵たちが激励の声をかけていた。
「おーい、弾に当たるなよー!」
「お前らもなああ!」




