三月の風と四月の雨と
●20 三月の風と四月の雨と
「……うん?」
おれは目を疑った。
たった今撃墜されたF2A編隊を追いかけるように、別の敵戦闘機が一機、もっとゆっくりやってくる。
いや、ゆっくり、というより、たぶんあれが最高速なんだろうな。
その飛行機は島影から現れて、しばらくは水平飛行で近づいてきたかと思うと、やがてよっこらしょ、と機首を上げ、飛行進路を上空に向けていく。
さすがのおれも知らない飛行機だった。
「源田、なにあれ?」
この時代の戦闘機とすれば、まあ普通の形だ。全長はけっこうあるし、緑の胴体はスマートですらある。
しかし見るからにエンジンは出力不足で、音も小さい。五百馬力あるかどうか。
あのプロペラだって、小さすぎないか?
「ははあ、ワイラウェイでんな」
双眼鏡をのぞきこんでいた源田が、奇妙な名前を口走った。
おれは思わず源田を見る。
「ワイラ……ウェイ?」
「ええ。アメリカの古い機体ですわ。たしかにオーストラリアに払い下げられたっちゅう噂でした。にしても、一機だけとは……」
「ふーん、もはや、敵の勇気に敬意を表するレベルだよな」
「そうですな。にしても、一機だけで、どうするつもりでっしゃろ」
十機のF2Aですらあっと言う間に撃墜されたのに、なぜこのさらに古い機体で、しかも一機だけが向かって来るのか、おれも源田にもさっぱりわけがわからない。
わかっていることは、この勇気ある戦闘機乗りにとって、この状況が絶体絶命だってことだけだ。
ここには空母二隻と、その護衛艦隊がいて、そのそばにはさらに巡洋艦と駆逐艦もいる。空には無傷のゼロ戦が三小隊と、あとからやってきた一小隊、計十二機が待ちかまえている。
ワイラウェイはさらに高く飛び始めた。
迎え撃つゼロの方は、この状況にとまどっているのか、誰も喰いつこうとしない。弱い者いじめみたいに見られたくないんだろう。戦争でそんなこと考えるのはナンセンスだが、この時代の飛行機乗りには、結構そういうところがあった。
少なくとも、相手が撃ってくるまではようすを見ている感じで、一定の距離をとって警戒をしながらも、わざと宙返りなんかして、時間を稼いでいる。
その間にも、ワイラウェイはどんどんと高度をあげていく。
「ははあ、急降下で一射離脱する気でんな。ああ見えて、なかなか……」
源田の言葉通り、ワイラウェイはおれたちの視線から外れるほどの高度をとると、そこから一気にこちらに向かってきた。
「あ、来るぞ!」
と、それを察した二機のゼロ戦が機首を上に向けて交差するように向かっていく。
ガガガガガガガガガ!
お互いが機銃を打ち合う。
しかし、ここでも、やはりゼロ戦の両翼二十ミリ二連がものを言った。
ワイラウェイは簡単に翼を折られ、きりきり舞いをしながら、翔鶴近くの海上にぼちゃん、と落ちた。
落ち方が、なんとなく優雅に思えた。
「パイロットは無事か?」
双眼鏡で見ようとするが、翔鶴のせり出た甲板が邪魔でよくわからない。
草鹿が横合いから顔を出し、おれに尋ねる。
「無事なら救助しますか?」
「そうだな。内火艇だしてやってくれ」
すぐに駆逐艦に連絡が行き、救助に向かう。
おれはなんとなく気になり、現場を見に行くことにした。
艦橋を降り、甲板に出ると、強い日差しが目を差す。
青い海の波間に、撃墜された敵の戦闘機の油や残骸があちこちに浮かび、上空では、味方のゼロ戦が、まだ喧しく飛び回っていた。
重油の匂いの中、甲板をすすみ、海面をのぞきこむ。
少し離れた海面に、緑色をした胴体のワイラウェイが見えた。
……お?
ふたり乗りの機体のようだが、飛行士はすでに脱出して、ぐったりしている後席の乗組員の肩をつかんで引き上げている。
飛行士は、ヒゲを生やしたごつい体格の白人だった。
なんと豪胆なやつだろう。あれだけ激しく激突したというのに、元気いっぱいのその男は、近づく内火艇に大きく手を振ると、同僚をひっぱったまま、片腕を豪快に漕いで、それにむかって泳ぎ始めた……。
「ジョシー出番だ」
おれは長官室をノックした。扉を開けると、ジョシーがなにか機械のようなものをいじくっていた。
「ん?なにやってんの?」
「……なんでもない。どうかしたのか?」
突然顔をだしたおれに、ジョシーはぶっきらぼうに答え、今まで触っていたものを後ろに押しやった。
「なんだ、おもちゃか?」
「ワタシの趣味だ。電子回路を触るのが好きでな」
「ふうん……」
この部屋はおれの私室だが、ジョシーの待機室にもなっている。用がない時はここで待っているよう言ってあった。
ジョシーはとにかく頭がいいので、事務系の作業にはもってこいだったし、おれの考えを先回りしてアドバイスをくれたりもするので頼りにもなる。
おれは艦内の人間が慣れ始めたら、だんだんとそばに常駐させるつもりだった。
「オーストラリア兵を捕虜にした。ひとりはまだ意識がないが、ひとりは元気だ。ちょっと話をしたいので、通訳をたのむよ」
「さっきの戦闘だな? パイロットか」
「オーストラリアだろ? どうせなまりがきつくて、おれのヒアリング能力じゃ無理」
「わかった。行こう。そこの辞書を持って来てくれ」
そう言って、ジョシーはさっさと部屋を出る。
……やれやれ、これじゃどっちが上官か、わかりゃしねえ。
「はっはっは!ペラペラペラ……」
医務室に笑い声が響いている。
おれとジョシーは顔を見合わせた。
ふたりでこっそり中を覗くと、あのパイロットの白人だった。
力こぶを見せたり、着せられた浴衣を膝まであげたりして、おどけた仕草で比奈さんを笑わせている。
おれからの徹底した指導で、捕虜の扱いはお客さんとして徹底させてあるとはいえ……あまりにも自由すぎやしませんかね?
比奈さんは赤城の看護婦だったが、ジョシーの話し相手として、軍医の田垣先生とセットで、この翔鶴に乗りかえてもらっていた。
「どうしたの比奈さん?」
「あら、長官!」
比奈さんがおれに気づいて笑いかける。
「この兵隊さん、とても面白いんですのよ」
白人の兵士が、おれに気づいてちょっと緊張した表情を見せるが、すぐにまた明るい顔でおれに話しかける。
「ペラペラ……」
うん、わかんない。
ジョシーがすかさず割って入る。
はじめは碧眼金髪の少女登場におどろいた彼も、すぐに慣れた様子で快活に話し始めた。
「ドウモお世話ニナリマス。この船の艦長サンですか? 日本の飛行機は強いネー」
「と、言ってるぞ」
ジョシーを介して、おれは男と会話をはじめた。
「きみ、名前は?」
「クライブだ。CCって呼んでくれ」
「運がよかったなクライブ。他のF2Aはみんな助からなかったみたいだ。すぐに救助にむかわせたんだが、すまない」
「そうか。それは残念だよ……。オレたちはみんな、勇敢な飛行機乗りだった」
クライブと名のった男は、長い睫毛を伏せた。
大柄だし鼻の下に髭があるのであまり若くは見えないが、実際の年は、それほどとっていなさそうだ。
「おれたちは命がけの戦いをお互いの国のためにやっている。しかも今回はおれたち日本が君らにしかけた、すまない」
クライブはおや?という顔をした。
日本の軍人にしては、謙虚なので驚いたのかもしれなかった。
「あ、ああ」
「おれは帝国海軍の南雲だ。よろしく」
おれは手を差しだした。
しかしクライブは降参のポーズをして拒否する。
「君があの有名なナグモか。おれたちはイノウエからモールスもらったが、今回はもう空襲がはじまっていたぞ」
そうやって、クライブは遠慮がちにおれを睨む。
そうなのだ。
真珠湾やウェーク島と違って、今回はすでに南洋艦隊が空襲をはじめていたあとのモールスだったので、、文面はずいぶん苦労したのだった。
『われわれはこれよりナグモ艦隊と合流しカビエン、ラバウルを占領する。無益な戦闘は望まない。貴部隊の退避と投降を勧告する。帝国海軍第四艦隊司令長官 井上成美』
「そう言われてもな……」
クライブから、皮肉を言われても仕方ない内容だった。
「すまん、同時作戦だったから、ここの攻撃が開始されたときは、おれはこの地にいなかった」
「……いいさ。それが戦争ってもんだ」
クライブは肩をすくめた。
「それにしてもクライブ」
「CCと呼んでくれ」
「CC」
「なんだい」
実を言うと、さっきから、おれは感心していた。
彼をとりまく今の状況を考えれば、とてもじゃないがこんな風に明るくはしていられないはずだ。
平和な島を突然空襲した日本への怒りは当然にあるだろうし、失った仲間もいる。彼にとってはこれ以上ないくらい、深刻な状況のはずなのだ。
「君はどうして、そんなに元気でいられるんだCC」
おれの真剣な目をみて、ちょっとだけ真顔になる。
「友達を亡くしたのは本当に悲しいよ。だがすべては神のおぼしめしってやつだ。おふくろが良く言ったよ。『三月の風と、四月の雨が、五月の花になる』ってな」
「……」
「今はきっと三月なのさ」




