牛さん来たりて笛を吹く
●19 牛さん来きたりて笛を吹く
「どうした?」
坂上はその姿勢のままで受像機をのぞきこむ。なにかを感じたようだ。耳をすませてチューナーを操作している。
「北北東に……いや、海上……かもしれません。接近してきます。速度から言って、船ですね」
船……ということは、戦艦か?
まさか、こんなところで漁船がいるわけはないし、いたとしても小さな木の船しかない。
海面は電波を反射するのでわかりづらいのだろう。坂上はその後もチューナーを回して確かめている。
「おいおい、まさか敵……じゃないだろうな」
おれはひやりとした。
ここで敵の空母なり、戦艦なりに襲われたら、間違いなく差し違えになってしまう。代わりのない帝国海軍にとって、消耗戦はごめんだった。
「でも、たしかになにかが来ます! 味方かもしれません。距離約二千」
「すぐ直掩機を向かわせろ」
源田の指示で、島影から姿を現すはずの船舶を警戒するため、六機二個小隊のゼロ戦が北北東に向かう。
おれも緊張して、艦橋からしばらく双眼鏡を持って待ちかまえる。よもやとは思うが、島から出撃した敵の駆逐艦なら視界が通った瞬間に砲撃される可能性もあった。
空母翔鶴の艦橋にも、緊張が走る。
部下の通信兵からメモを受けとった小野通信参謀が顔をあげる。
笑顔だった。
「無電が入りました!あれは南方艦隊、旗艦の鹿島です」
「……か、鹿島?!」
なんで鹿島がここにいるんだ?
てことは、井上成美中将じゃないか。
確かにこの海域にいても不思議じゃなかったが、空母のいない井上艦隊は、少し離れた場所で待機しているはずだったのだ。
「無電なんて?」
おれは小野に近づき、メモを覗きこむ。
小野はすぐに読み上げた。
「われ、旗艦鹿島および第六戦隊は、南雲艦隊を護衛す」
「……」
……護衛?
「……マジかよ。いちゃいちゃしに来たのかよ」
おれはほっとして、思わず笑ってしまった。
もちろん護衛というのは口実だろう、井上中将の乗るのは旧型の巡洋艦だったし、この翔鶴、瑞鶴、駆逐隊を護衛するのは、いかにも無理がある。
あるいは、トラック島でやった喧々囂々(けんけんごうごう)の議論を思いだし、おれにフォローを入れたくなったのかもしれない。ようするに、好意のあらわれというやつだ。
おれはほっと溜息をついた。
ずいぶん変わったもんだよな……。
本当なら、山本さんと言い、井上さんといい、南雲ッちとはあまり仲が良くなかったはずなんだよな。
お互い大佐時代には、殺すぞ、みたいな口喧嘩もしたし、条約派、艦隊派という派閥的な立場も違ったはずなんだ。
それがこの友情演出である。
おれには南雲ッちの記憶もあるけど、そんなことにこだわるわけもないから、ウェーク島では親しく接したし、それはトラック島での会談でもそうだった。
それを肌で感じて、彼なりの仁義を、行動で示してくれてるんだろうな。
(井上っちも、いいとこあるんじゃん……)
実際、この時代の軍人って、意地や激情がないと軟弱者と言われるから、それを一生の恥みたいに考えて、やたら反目しあうことを選ぶ。
なによりメンツを大事にし、それを失うくらいなら死んだほうがましって悪い武士道の見本みたいな考え方をしたりする。
だけど実際、この時代を軍人として生きてみると、彼らは現代人なんかよりずっと熱いし、友情もある気がした。
変われるのかもな……海軍も、日本も。
やがて艦橋の窓から、群青の海にうかぶ点々とした岩礁に、小さな駆逐艦数隻をしたがえた巡洋艦『鹿島』が、ちょっぴりレトロな勇姿を悠然とあらわした。双眼鏡をのぞきこむと、向こうの艦橋に多くの水兵が立ち、こちらに帽を振っている。
こちらも兵士たちが甲板に整列して、大きく帽を振り返していた。
「小野、返信してくれ」
「はい。なんと?」
小野通信参謀がメモを取りだす。
「そうだな……」
おれはちょっと考えた。
「旗艦鹿島と井上中将に栄光あれ。われ心強く思う」
参謀たちが無言でおれの顔を見る。
彼らも、反目しあっていたおれたちの友情を、ちょっぴり嬉しく思っているのかもしれなかった。
しょせんは同じ帝国海軍の軍隊なのだ。
意地を張るより、協力し合う方がずっといい。
「直掩機はどうしますか?」
源田がおずおずと言う。
警戒のために送ったこちらの戦闘機だが、相手が味方ならその必要はない。
しかし向こうには空母がいないから、そのまま護衛につけることにする。
「向かわせた直掩機六機を、一時的に鹿島の命令下においてくれ。もちろん燃料が無くなればこちらに帰艦してよし。なにも命令がない場合は、鹿島の空域制空をせよ」
おれはふっと笑いかける。
「わかりました!」
源田の指示を受けて直掩の戦闘機が翔鶴から離陸していく。
「長官!」
しばらくして、坂上がまた顔をあげる。
「今度はなんだ?」
もうすっかりレーダー参謀と化した坂上は、チューナーを操りながら、ふたたび大きな声をあげる。
「飛行体です! 方角南南西!距離五百!」
「え? ち、近っ!」
距離五百といったら、もう見えるじゃないか。
おれは南南西を頭でくりかえしながら、その方角を見る。
艦橋にいた参謀たちも、いっせいに同じ方を向いた。
その方角にはニューブリテン島があり、すでに十機ほどの機影が見えた。
きっと島のどこかから発進した敵の戦闘機だ。
「すぐに迎撃せよ!甲板の爆撃機はただちに発艦!」
「はっ!」
十機ほどのずんぐりとした機影は、島の緑の山々を背景に、ゆっくりと舞い上がり、こっちに向かってくる。
「遅っ!」
おれは思わず呻いてしまった。
一瞬、緊張したのがバカバカしくなるほど、そいつらは遅かったのだ。
いつもの、味方戦闘機のさっそうとした動作に、見慣れていたおれたちからすれば、その緩慢な動きは、あきれるほどだった。
速度も遅いが、機首を曲げたりする動きのひとつひとつが、のんびりとして見える。
それを見た源田も、きっと同じ思いだったろう。
「ありゃあ、ブルースター・バッファローですなあ」
急に、気のぬけた口調でつぶやく。
「ああ、バッファローって、『空の真珠』じゃん。へーあれが牛さんか」
おれもつられて、思わずのんびりしたことを言ってしまう。
アメリカ、ブルースター社F2Aバッファローは、ぶっちゃけ言うとおれたちがウェークで戦ったF4Fより旧型の機体なのだ。
性能がいまいちで、艦載機としてはすでに代替わりの憂き目にあっているが、フィンランドにエンジンなどをスペックダウンして輸出された機体が、なぜか軽快な動きと練度の高い飛行士たちの活躍で、ソ連軍機を四百機以上も落とす戦果をあげ、『空の真珠』と呼ばれたはずだった。
それにしても……。
相手が牛さんでよかった。
いや、もうほとんど沈黙していると思ってた敵が、いざというとこんなに湧いてくるわけだから、油断はできないよな。
ニューブリテン島の砲台が艦爆の直撃を受けて沈黙していたせいで、つい油断したが、こんな風に敵の戦闘機が残っているのであれば、まだ上陸部隊は近づけないし、爆撃の要もあるってことになる。
おれはちょっぴり気合を入れなおした。
「油断するなよ。ものすごく腕の立つ飛行士かもしれんぞ、しっかり向かい撃て!」
とはいえ、ここからが凄かった。
おれたちの頭上を通りすぎて、おれたちの艦隊を警護していた直掩機とよばれるゼロ戦が、バッファロー隊へと襲いかかっていく。
眼前でゼロと敵機との空戦が行われるというめずらしい光景を、おれは食い入るように見つめた。
ゆっくり向かってくる敵の編隊へ、エンジンを全開にして突撃態勢をとる。
ダガガガガガガガ……。
三機ずつの編隊をとっているゼロ戦が、二十ミリ機銃を発射すると、もう敵機は二機ほども被弾して煙をあげる。
すれ違いざまも、敵の機銃にあたらないように、ゼロは距離をとって低空に上空にとふわっと分かれ、そのまま軽く宙返りしてはまた機銃を放った。
敵はまた三機が被弾して落下する。
「凄っ!」
こうなると、もう牛さんはなにをしに出てきたのかわからなくなった。ただ逃げまどい、島へ反転したところを、すかさず銃撃される。
最後は二機ほどがゼロに追いかけられるのを、残りのゼロがただ見ているだけになってしまった。
それもすぐに落とされる。
おれはほとほと感心してしまった。
「はあー、この時点のゼロ戦って、凄かったんだなあ」
「まあ、世界最高の戦闘機でっさかいな」
源田が、まるで自分が開発したように得意そうに言った。
(これじゃ南方作戦で慢心するのも無理ないか……)
おれはどうしてこんなオーストラリアの辺境に、史実では海軍が執着したのか、よくわからなかったのだが、なんとなく納得してしまった。
恐るべき米軍の軍備に比べて、この時点では、オーストラリア軍はあまりにも脆弱だったのだ。これならニューギニアも、本島も、簡単に征服できると思って無理はない。
しかし、次はもっとすごいのが来た。




