牛鍋会談が世界を制する
●14 牛鍋会談が世界を制する
ここらで少し、日本と世界の動きをふりかえってみよう。
帰国後、おれがいろんな人間から聞いた話や、新聞記者からの情報、そして外国の新聞などもジョシーといっしょに分析した結果、日本、そして世界はこうなっているらしかった。
日本の宣戦布告は、史実と同じようにやはり大使館員のミスで間にあわなかったようだ。結局、おれが発信したモールス打電が、日本発の最初の宣戦布告になり、アメリカをはじめ世界中に衝撃を与えた。
この五分前の宣戦布告は、あたかも日本の考え抜かれた緻密な作戦のようにとらえられ、逆に外務省からの宣戦布告文書の遅れはまったく問題にならず、大日本帝国は大いに面目を施した。
真珠湾攻撃の夜におこなわれたルーズベルト大統領の演説は、日本を悪者にするため、非常に抽象的でかつ攻撃的な内容だったが、また同時に発表された被害状況――もはや真珠湾には戦艦とよべるものも、オイルタンクも工廠も、なにも残っていないことがわかると、アメリカ国民を大いに憤慨させ、対日戦争への意欲も高まった。
ただし年が明けてからは、ニューヨークタイムスのすっぱ抜き――つまりすべての攻撃は事前にナグモが民間人の退避などを勧奨していたことや、二つの島嶼における米捕虜への扱いが漏れてくると、ナグモと日本武士道への興味もあって、なんとなく、アメリカ市民の対日闘志に水を差す空気が見え始めているようだ。
真珠湾以外にも目をやると、欧米列強の植民地を荒らしまくる日本の攻勢が際立つ。
大日本帝国は、開戦からひと月でイギリス領マレー、香港全土、アメリカ領フィリピン、グアム、オランダ領シンガポールの一部など、各地に侵攻または上陸して、どんどん攻撃拠点となる港や島を増やしているし、一月二日にはルソン島マニラの制圧にも成功しているのだった。
そもそも、中国で侵略を進める日本に対する経済封鎖から始まったこの太平洋戦争は、主にインドネシアの油田パレンバンなど、南方資源を占領することが目的だった。この一月から始まった陸軍の蘭印作戦はもうすこしで、その初期目的を達成しようとしている。
さらに、世界に目を向けてみよう。
ヨーロッパでは1939年の九月にドイツのポーランド侵攻によって始まった戦争が、英仏のドイツへの宣戦布告につながり、さらにはソ連もポーランドへ侵攻、同国はドイツとソ連に分割された。ヒトラーとスターリンという二人の男の領土への野心から、ヨーロッパ戦争は、はじまった。
その後フィンランドにも侵攻したソ連は、国際連盟から除名されたが、その勢いをおさめず、1940年にはバルト三国を併合した。一方ドイツもノルウェーやフランスを占領し、この九月には日独伊三国同盟が締結されている。
やがて1941年六月にドイツがソ連に侵攻し、日本が英米蘭に宣戦布告すると、ドイツやイタリアもそれらの国々に宣戦布告し、世界は完全に混沌とした全体戦争へとつながっていったのだった……。
「悪いが、南雲くんにはすぐに出てもらうよ。赤城はまだ修理に時間がかかるが、残りの空母は健在だ。ただちに補給をして比叡と合流し、第一航空艦隊を編成して南方へ向かってもらいたい」
なんだよ、結局それが言いたかったのかよ。
諮問委員会のあと、おれは永野修身と山本五十六に誘われて、三人で牛鍋屋にやってきていた。海軍御用達の店で、おれたちが今いるのは、士官用に建てられた離れ(別室)だったから、外には警戒の兵士が立ち、諜報の心配もなかった。
「もちろんいいっすよ。おれも内地にいるよりは海がいい」
おれはどうにも落ち着かない二重記憶が、海の上だと少しはましになる気がしていた。
しばらくは、鍋をつつき、他愛ないやりとりが続く。
永野総長はずっと無口なままで、かたや山本長官は機嫌よくしゃべっている。
なんかこの二人、対照的なんだよな……。
冬だから、ガラスの雨戸は閉められ、廊下との境にある障子もぴっちり閉じられている。
湯気を排出するためか、床の間の土壁にほんの少しの丸い空気窓があって、そこだけが外とつながり、明るい月が顔をのぞかせていた。
(……さて、そろそろいいかな?)
この二人をおれの戦略にはめていくには、いい夜だ……。
おれは山本長官に酒をつぎながら、口火を切る。
「でもどうすんですか? アメリカは講和しないですよ。ルーズベルトも国民の闘志を煽ってやる気満々だし、ソ連もドイツとの火種があるのでこのままでは講和の調整役なんてする気がない」
「やり始めた以上、勝つまでやるしかあるまい」
山本五十六が鍋を見たまま、落ちつきはらって言う。
この人、どうも信用ならないんだよなあ。運まかせの、いちかばちかの作戦を強引にやっちゃう司令官って、どうなの……?
「山本長官、今は日本中が戦勝気分に酔ってる。でも酔うのはバカに任せておけばいい。お二人にはどうこの戦争を収めるのか、考えていただきたいです」
「……」
永野修身司令部総長はやっぱり出方をうかがっているな。
この人、おれの考えがわかるまでは口を開かないつもりかね。
「南雲くん、君はどう思う? 日本はアメリカに勝てるかね?」
おっとぉ。
山本長官、お返しですか?
でもなあ。
こういう質問に安易に答えると、あとで反戦思想だとか言われるから気をつけないとね。あいにく、おれは戦中の軍人ほど単純じゃあないし、人間関係と陰謀にまみれた現代人なんだ。
さくっと話題をすりかえる。
「勝つ、の定義しだいでしょうが、アメリカを相手にせず、黒幕のほうと講和したほうが早い気もしますね」
「黒幕?」
「……イギリスのことかね?」
永野総長が目を光らせる。
「彼らはヨーロッパの戦いにアメリカを巻き込むため、日本との開戦を画策したきらいがあるからね」
ま、わかってるなら、これくらいでいい。
なにごとも、交渉相手には自分で思いついたと思わせるのが一番だ。
「総長も長官も、すでにお考えでしたか……」
と、いいつつ酒を飲む。
「ところで、第四艦隊の井上司令官って凄腕ですね。彼ならマレーをまかせておいて大丈夫だ。もしかして、おれはラバウルから、一気にインド洋ですか?」
「インド洋?」
山本が不審な目を向ける。
「太平洋は本土、あとは資源のあるインドネシア、マレー、フィリピンが、守るべき場所でしょう。となれば、対米防衛線はその東側、太平洋を南北につなぐ、ラバウル、ウェーク、トラック、サイパンあたりになりますよね」
「……」
「とにかくこの防衛線上にある島は、どんどん開発して基地化すれば不沈空母だ。となれば、おれたち機動部隊はインド洋に出て、イギリスの嫌がるインドへの補給路、アフリカ戦線への補給路を遮断すれば、やつらは講和せざるを得なくなる。やつらだって、イギリス本土、ヨーロッパ戦争、自分たちの植民地が大事でしょうからね」
「!」
「んで、イギリスと講和したら、そのあとはソ連との条約を盾にドイツに宣戦布告、アメリカとはなし崩しに休戦から講和すれば、見事戦勝国側ですし……」
「君、それがやれると?」
「さあ……大本営やお二人にやれと言われれば、おれは戦いだけはやりますが……そのためにはまず、太平洋の島々の警戒を厳重にしないといけない。で、島を防衛するための次世代型の強力な電探の整備と、高角砲の開発、たとえば機体の近接で爆発するというような信管ですかな。ああ、そういや、伊藤庸二って先生がそんなことを……」
二人が顔を見合わせている。
おれは酔っぱらったふりをした。
「ああ、旨いっすねーこの酒」
ぐいっとオチョコをあおって口をぬぐう。
「それはそうと総長、おれのカニンガム報告は見てくれましたあ?」
「うむ。見たが、おそるべき内容だったな。原爆の開発、年間二万機の航空機と空母五十隻をつくり、VT信管、だったかな? それに強力な電探を全艦船と飛行機に積む計画だとか。それと座礁した帝国海軍の船から暗号表が回収されたとか」
「ひっく! そうなんですよ。ヤバいすよ暗号すぐに変えましょうよお」
「ああ、もう臨時の措置はとった。口頭で司令官には伝達済みだ。暗号表はすべて今日の日付を足してから使用するべし、とな」
「たしかに、臨時措置にはなります……ねえ」
「むろん、急いで別の暗号体形も研究しておるよ」
しばらく黙っていた山本長官がおれをにらみながら口を開いた。
「南雲くん」
「なんすか?」
「ラバウルからインド洋、やれるか?」
「もちろんす」
眠そうな目で答えながら、おれはひとことつけ加える。
「太平洋の戦いは守るべきものを守るためだから、なるべく戦線は拡大せずに守りに徹すればいい。でもインド洋は講和させるための作戦だから、それだけじゃ足らない」
「どうするんだね?」
「まずは積極的にしかけて、イギリス艦隊を沈めます。装甲空母だって急降下爆撃と包囲水雷で撃沈できる。あとはインド洋のど真ん中にこちらの停泊基地を構築するんです。そこで睨みをきかせれば……」




