浅草ロック大通り
●10 浅草ロック大通り
明けて1942年の正月。
おれはひさしぶりに日本の土を踏んでいた。
ここは浅草公園六区。レトロな和服で行きかい、映画館や寄席はにぎわっている。みんなが笑顔で、人々は戦勝気分に酔っていた。
「「「大日本帝国作戦完遂!」」」
「「「米艦隊壊滅!」」」
「「「太平洋に敵なし!」」」
そんな新聞記事があちこちの木塀に貼ってある。もちろん、このおれこと、南雲っちへの激賞ばかりだ。おれはそれをまぶしく感じながら、目的の店を探していた。
ウェーク島の捕虜たちは、あとのことを井上中将らに任せ、二隻の運搬船で丁重に護送させるよう、とり計らった。
史実におけるこの時の捕虜輸送では、いくつかの悶着があった記憶があるので、そうならないように、おれはなんども念を押した。
「お願いしますよ井上さん。捕虜の扱いが悪いと、講和に響きますからね」
「わかった。しかと引き受けた」
さすがは根は一本気な軍人だ。客船とはいかないが、かなりいい船を二隻も手配し、しかるべき地への移送を確約してくれた。
そしておれたちは、戦艦比叡とともに横須賀海軍工廠に入港したのだった。
港の埠頭で出迎えてくれたのは、もちろん、あの山本五十六太平洋艦隊司令長官と参謀たちだ。おれはその時の奇妙なやりとりを思い出した。
「南雲君、ご苦労だった」
あ、めっちゃ怖い顔してる。なにそのしかめた眉。
霧島健人としちゃ、写真でしか見たことがない歴史上の人物に会えて感激してるってのに。
ぶっちゃけ、予想通りの微妙な応対だった。
「は。どもども。いろいろすみません。勝手なことしちゃって」
「君がこんなに独断専行する人物とは、意外だったよ」
「す、すみません」
「この作戦の間、あまりにも命令を無視して勝手なことばかりしたから、オレも大本営に会わせる顔がなかった。しかし絶大な戦果も事実だから、軍令部やわれわれも、君の処分には困ってるんだ」
「山本長官大丈夫でした?」
「ばかもん! オレのことより自分の心配をしろ!」
「ごめんなさい」
「…ふう、真珠湾の戦艦に航空機、オイルタンクに工廠、その上、レーダーを盗んで不在だった空母三隻を探しだしてやっつけて、ウェーク島の占領にも成功した。もはや向こう一年、アメリカは太平洋で何もできない……なあんにもな……ぐ、ぐふっ」
「ぐふ?」
「ぐふっ、ぐふ、ぐふ」
なんか、え? 笑いだしたの? あ、あの仏頂面って、もしかして、笑いをこらえてたんすか?
「ぶわっはははは!ルーズベルトの面目はまるつぶれだ。それになんだあのモールス打電は……け、傑作じゃないか! 宣戦布告もやれたし、日本武士道の誉れここにあり! オレの作戦をさんざんケチつけてたやつらも、今はぎゃふんとしとるよぎゃふんとなあ!」
ぎゃふんて、なんか、表現ふるいんですけど……。
「ざまあ見やがれだ! 陛下も……」
ここだけはぴしっと姿勢を正す。
「ことのほかお喜びで、おまえらの報告会と慰労会を畏れ多くも皇居で開かれると仰せになられた」
「ほう」
山本長官が突然、真顔になる。
「だが、軍規は軍規!」
「……あ、ずるい」
「まずもって諮問委員会は一週間後に開かれる。ことによると、そのまま軍法会議になるかもしれんよ」
「えええええマジっすか」
「まじ?」
「本当かってことですよ。ああ、でも、軍事法廷で有罪とか、めちゃ困るな。まだまだやることがあるんです。アメリカは工業国家ですよ。空母も戦艦も戦闘機も、がんがん作るだけの人と資源と場所がある。科学力だって……」
「わかっておる!」
「それでですね、ちょいとお願いが」
「もうおねだりか? 言っておくが、諮問に手心はできんよ」
「いえ、違うんです。おーい」
おれはコート姿で戦艦から降りてくるジョシーを呼び寄せた。
「な、なんだ、この外人の女の子は?!」
ジョシーはあいかわらず金髪をなびかせたきつい目で、天下の山本五十六を睨みつけている。たのむから黙っていてくれよ。
「この子はミッドウェーで雇った通訳です。いろいろ役に立ってくれましてね。しばらく私が面倒を見たい」
「そ、それはかまわんが、アメリカ人だな。諜報の疑いはないのか?」
「彼女の父親は日本人なんです。諜報の心配は無用ですよ。それと、もうひとつ……息子のことなんですが」
おれには進という息子が一人いるはずだった。
これは南雲っちの記憶を思い出しながら、この先のことを考え、出した結論だった。
「息子さんがどうした」
「ちょっと特務につけたいので今の所属から出してほしいんです」
「ふむ……人事局に通しておこう。それより、諮問には弁明書つくっておくんだぞ」
「弁明書ですね。わかってますよ」
山本司令長官はもうそれ以上言わず、去っていった。
そんなこんなで、おれはそれまでの一週間を、首を洗って待つしかない状況になったのだ。
「大丈夫ですって。これだけの戦果を挙げた長官を断罪したら、国民が黙ってません。これはマジです」
と、これは草鹿情報だけどね。
で、あれから三日になる。
おれは浅草の大通りを記憶にあるお汁粉屋に向かって歩いていた。
この時代の軍人は、こんなときでも軍服で闊歩するらしいが、おれは目立ちたくなくて、普通の背広とコートに身を包んでいる。
帰国してさっそく横浜の洋服屋で買った渋い高級品だ。
どうも転生キャラって、長い人生とか貯金とかって概念ないんだよね。
だって、史実じゃあと二年で南雲っち死んじゃうし……。
まあ、そうならないよう、がんばってるんだけどさ。
(……お、ここだな?)
おれは記憶どおりの店を見つけ、のれんをくぐった。
おれが今日会うことになっているのは、その息子の進だった。
南雲ッちの記憶があるので、それほど違和感はないけれど、いまだに強く意識しないと鏡の中の自分は二十五歳の霧島健人だし、この二重記憶の落ち着かなさは、あいかわらずだ。
店に入ると、ひとりの若い将校がすぐに立ち上がり、一礼をした。
ふっくらした笑顔にまだ幼さが残る。
「お父さん、お痩せになりましたね」
進だ。たしか、今は海軍の少尉になったばかりのはず。
「痩せたのとはちょっと違うぞ。ダイエットしたんだ」
「だいえっと」
「おうよ。健康的に絞ったってことだな。まあ、そんなことはいい。汁粉を食おう。今日はお前に見せたいもんがあるんだ」
それから、おれは親子水入らずで汁粉を堪能した。
親子でも、軍人は作戦のことを語らないのが当たり前なのか、進もなにも訊こうとしない。おれも今は黙っていることにした。
「最近どうなの? お母さんらは元気?」
「はい。お元気にお過ごしです。お父さんもだいえっとでなにより」
おい、無理すんな(笑)
そんなこんなで、当たり障りのない世間話の間にも、進は二杯お替りして、きな粉餅も平らげた。やっぱ、若いってすごいわ。
「さ、行くか!」
おれは腹をさすりながら立ち上がった。
「どこへ行くんです?」
「お前にレーダーってのを見せてやる。それから、ある人物にも会わせたい。お前は、これから軍とその人物との連絡係だ」
「レーダー……ある人?」
進はあわてて黒の将校服に軍帽をかぶる。
「誰です、その人」
「東海精機重工業って会社の社長でな、本田宗二郎って人だよ」




