偽善ですがなにか
●9 偽善ですがなにか
「長官、白旗に変わりました!」
草鹿が、ご飯抜きの筑前煮を食べていたおれを呼びに来た。
おれは渡された双眼鏡でウェーク島のようすを見る。緑が生い茂る島の上空には味方の艦載機が飛びまわり、敵の火器はすっかり沈黙している。
さっきまでウェーク島東端にある施設の屋上に高々と掲揚されていた星条旗が、たしかに白旗に変わっていた。
(ようやく……終わったかあ)
おれはほっと胸をなでおろした。
まだ警戒はとけないが、彼らはおれの渡した降伏勧告のとおり、所定の場所に白旗を掲げたことになる。
すんなりとはいかなかったが、これで上陸戦による無意味な死者はふせげたわけだし、それはきっと、史実に残る死者の数よりは、断然少ないに違いないんだ。
「井上さん、梶岡さん」
ずっと口数の少なかった二人に、おれは声をかけた。
「なんでしょう」
「?」
最後は顔を立てておいてやろう。
「この島の領有宣言と捕虜に関する通達の特使に行ってもらえます?」
「おお、行くとも」
「うむ」
二人とも、とっても嬉しそうだ。きっと第一次攻撃でやられたことが余程こたえているんだろうな。
「あ、それと、通訳にはジョシーに行ってもらいますから」
先発の内火艇が降ろされ、ウェーク島に日本の兵士がすこしずつ上陸する。
ある程度安全が確保されたのち、こんどは大発動艇と呼ばれる大きな上陸艇で大規模な上陸が行われた。
その後、米軍のジープにカニンガム中佐とデベル少佐を乗せて、島の各地に潜伏する米軍兵士たちへの武装解除を呼び掛けるデモンストレーションが行われた。
最初は半信半疑だった彼らも、続々と上陸してくる日本兵と、仏頂面の上官たちを見て、ようやく事態を悟ったようだった。
おれはもちろん米兵捕虜や米国人の扱いは慎重にするよう、厳重に注意してあった。ここでの伝聞が、アメリカにおけるマスコミの論調や厭戦の風潮につながっていくことを意識しているからだ。
まあ、今風で言う世論の操作ってやつだよね。
そうやって、ようやく降伏文書の調印を行った。彼らにもサインさせたのは、アメリカがサインによって成り立つ契約社会だということを意識したものだ。
「では」
仮設のテントにずらりと並んだ帝国海軍兵に取り囲まれて、かなり言いたい放題の領有宣言と捕虜の布告通知が井上中将によってカニンガム中佐にわたされる。
ところで、大本営が作ったのはこんな文書だった。
『宣言
ウェーク島ハ全部大日本帝國ノ國有タルコトヲ宣言ス
布告
平和ヲ愛好シ正義ヲ尊重スル大日本帝國ハ「ル」大統領ノ挑戰ニ依リ、止ムヲ得ズ戈ヲ取ツテ立チタルモノナリ
故ニ軍ハ大日本帝國本來ノ平和的精神ニ則リ、敵國人ト雖モ敵性ヲ有セザルモノニ對シテハ、其ノ人命ニハ何等ノ危害ヲ加フルモノニアラズ、安ンゼヨ
但シ指示ニ違反シ、又ハ從順ナラザルモノハ、軍律ニ據リテ重ク罰セラルベシ』
おれからすると、まあ、どうしようもない偽善文書だが、しょせん戦争なんてこんなものだろう。
そこはジョシーにうまく翻訳してもらった。たとえば「安ンゼヨ」なんて偉そうな部分は「REST ASSURED」つまり「安心してね」みたいなニュアンスにしてもらったのだ。
「ひとつだけわからないことがある」
出発前、大発動艇に真っ白な軍服で張りきりまくっている井上中将、梶岡少将らとともに乗り組むジョシーが、おれをふりかえって言った。
「なぜ晩さん会なんかする?」
実は今夜、おれは彼らと、すなわちカニンガム中佐、デベル少佐らを招いてこの戦艦比叡で、夕食会を催す提案をしていたのだ。
もちろん、戦史で習った有名人を実際に見たかったこともあるが、一番の理由は、この会談で彼らから大事な証言を引き出すためだった。
「会っておくことが大事なんだジョシー。このおれが直接会って、彼らから聞いておくことがある。とにかく連れてきてくれ」
その夜……。
比叡の上部構造物にある司令室に急遽しつらえられたレストランで、おれたちの、呉越同舟、実に奇妙な会食が始まった。
「さあこちらへカニンガム中佐、デベル少佐も。あ、それからなんてったっけ……F4Fの」
「ラルフ・レンスキーだ」
おれは片側にずらりと敵の連中を座らせた。ラルフ飛行士については、あのF4Fの飛行士がそこにいると無線で知らせてきたので、ぜひにとジョシーに連れてきてもらったのだ。
日本側はおれと井上中将、そして梶岡少将、あとは草鹿とジョシーと、通訳がもうひとり、岸部という男だけだった。
「ありがとう。では食事の前にひとことだけ」
おれはグラス――といってもただのコップだったが――を持ったまま、立ち上がった。ワインなんてものはないので、日本酒が半分ほどついである。
おれの言葉は、今はジョシーが通訳してくれていた。
「おれたちは敵どうし。それはわかってる。今回はおれたちが大軍で押し寄せ、なんとか勝ったが、君たちアメリカの諸君らの奮闘はすごかった。冷静かつ勇敢で、おかげでおれたちは緒戦で負けた」
井上中将と梶岡少将が、目を剥いて怒りの表情になった。だがおれは無視した。
「こうやって一緒に飯を喰おうなんてのは、茶番だと思うかもしれない。ある意味その通りだ。君らにはいくらでもおれらへの文句があるだろうし、おれらにもおれらのいい分がある。言ってみればちゃんとしたコミュニケーションがとれないことが戦争だが、おれは話すことも戦いだと思っている。今夜はお互い相手に遠慮せず、玉砕的に議論しようじゃないか。これはそういう夕食会だと思ってほしい」
「ふん、いい気なもんだな」
ラルフがぼそっと言う。
ジョシーがしっかり通訳してくれたので、おれは彼を見て言った。
「はい、ラルフ・レンスキー君、言いたいことがあるなら言ってくれ」
ラルフは部屋の隅で待機する銃を持った二人の日本兵を見やる。
「銃をつきつけられての晩飯なんか喰いたくないね。おれは失礼する」
ぐいっと日本酒をあおり、立ち上がろうとする。
兵士たちが気色ばんで、詰め寄ろうとするのを、おれは手で制した。
「待ってくれラルフ。出て行ってもいいが、どうせ銃はついて回るしメシないぞ? それより、坐って喰ったほうが良くない?」
「すわれラルフ」
お、デベルさんきゅー。
「ちっ!」
ラルフがしぶしぶ坐る。
「ありがとう。では、はじめに、お互いの犠牲者に対して黙とうをささげたい」
おれはグラスを置いて、手を合わせる。
おれたちは無言で、それぞれの作法で黙とうをささげた。
「……」
「よし、では鎮魂の乾杯だ!互いの国家と、亡くなった彼らをわすれないために」
おれはグラスをあおった。
ラルフのコップにもまた酒が注がれる。日本側も、アメリカ側も、いろんな思いが交差する。
こうして微妙な、実に微妙な朝まで晩餐会がはじまった。
「え~思いますに、そもそもはロンドン軍縮会議において、英米の十に対してわが国の七などという……」
こういう場では、どうしても勝った側がいい気な発言になる。口火を切ったのは井上だった。
「はい、それ大事な意見!欧米列強の勝手な干渉」
「それはあなたがた日本がドイツ領の南洋を自国領にしたり、中国で各地を荒らしまわってるからだろう」
「荒らしまわるとはなにごとか!欧米が植民地とした東亜をわれらアジアの民に戻すことのどこが悪い!わが国には大東亜へ新秩序を築く使命があるのだ」
「さすが梶岡さん、必殺大東亜共栄圏!」
「ふん! アジア人の手に、じゃなく日本人の手に、だろう?」
「ラルフ君いまいいこと言った!」
「ひ、飛行機乗りが、し、失敬な!」
おれは焚きつけるだけ焚きつけておいて、そっとベランダへと抜け出す。
気がつくと、草鹿があとをついてきた。
「やだなあ長官、火をつけたのは長官ですよ。どうすんですあれ」
あきれてくすくすと笑っている。
「いいんだよ。あいつら、めちゃくちゃいい経験してるぞ」
「ですかねえ」
「それより、カニンガム呼んできてくんない? ちょっと話したいことがあるんだ」
「え?カニンガム中佐を?」
「ああ、二人だけで。あ、ジョシーもな。連中の通訳には岸部ひとりでがんばってもらおう」
本当のことを言うと、この場がおれの目的だった。
おれには今後の計画があった。
まずは軍で使用している暗号を全面改訂させなければならない。それには暗号がばれていることの、すくなくとも日本の暗号解読が研究されていることの証言が必要だ。
それからVT信管。これも今後の航空戦略を大きく塗り変えることになる新技術なのだ。
レーダーと合わせて、これらの研究に軍部を誘導するためには、報告書をつくらなければならず、そのため誰かにその証言をしてもらう必要がある。カニンガム中佐にはその証言者になってもらうつもりだった。
といっても、もちろん彼がそれを実際に言う必要はなく、そう聞いたとおれが書けばいい。
「なんですか?」
カニンガムが来た。
南洋の星空は明るく、船の揺れが心地よい。
彼も酔ったのか、それとも興奮しているのか、少し顔を赤らめていた。
「やあ」
カニンガムに握手を求めると、彼は肩をすくめた。
(よしましょう。とてもそんな気分じゃない)
顔がそう告げていた。
(……たしかにな)
そばにジョシーも来た。
「もう不毛な議論はやめにしろよ南雲」
「ああそうだな……じゃあ、三人で歌でも唄おうか」
「?」
「?」
「きよしこの夜ってどうだい?」
「気でも狂ったか」
「なに言ってるんだ、もうすぐクリスマスだよ」
「あ」
満天の星が輝いていた。




