降伏の白い旗
●8 降伏の白い旗
やみくもな乱戦は物量に勝る側には不利になるんだ。
これは原始的な戦闘においても、近代戦においても同じだろう。
物量に勝る側は、その物量で各個撃破するか、全方位の同時攻撃で敵の反撃を無力化しなきゃいけない。いずれにしても、大事なことは冷静な判断ってやつだ。
ふりかえると、窓のむこう、遠い海上に翔鶴の姿が目に入った。
「吉岡航空参謀!」
「は!」
「ところで、空母翔鶴はどうだ?」
「さきほど報告があり、二機の艦載機が敵の機銃に撃ちぬかれて兵士一名が犠牲になったもようです。しかし炎上したのは一機で、それはすでに消火、幸いそれ以上の被害はありません」
横合いからひょいと草鹿が顔を出す。
「翔鶴は大丈夫ですよ。甲板だってCNC鋼板ですから燃えません。厚みなんか65ミリもあるんですよ」
「なら大丈夫か。被弾した機を片付けて、へこんだ穴を応急修理をしたらすぐに発着できるよな。ではすぐやろう。作戦は雀部に言った通りな。目標は砲台、高角砲、そして……」
雀部が声をあげる。
「発電設備ですね」
海兵隊航空隊ラルフ・レンスキーはもうバラバラになりそうなF4Fをなんとかウェーク島に降ろすと、固い底のブーツで滑走路に降り立った。
煤汚れたとはいえ、長身に白いマフラーが良く似合っている。
真剣な表情だが、生まれつきの高い鼻と、垂れ目が愛嬌になってそれほど仏頂面には見えない。
つぎに離陸するときはどのルートにするべきか、艦砲射撃とこれからの爆撃を想定して、ラルフはすばやく考えた。
そこへ複数の整備兵が駆けつけてきて、戦闘機を木の影に引っ張っていく。
「急げ。やつらすぐに来るぞ。それも今度は航空攻撃になる」
「はい。大尉も、早く建物へ」
「……メイソンがやられた」
「そ、それは……残念です」
兵士たちが目を伏せる。
滑走路わきにある格納庫や通信基地は艦砲射撃で壊されてしまった。
しかし、わずか十メートル四方ほどの兵士用の殺風景な宿舎が、駐車場とマングローブの森との間に建てられてあり、そこには砲弾が飛んでこないこともあって、臨時の司令室になっていた。
「援軍はまだか!」
中に入ると、ウィンフィールド・カニンガム中佐が有線の電話機に向かってどなっていた。
「ばかやろう!なら、もっとジャップを送れとでも言っておけ!こっちは食料どころじゃないんだ。今日か明日の戦闘で終わっちまうんだ」
「相手はパイの野郎か?」
ラルフが近くにいる兵士に訊く。
「……に繋がっている担当官みたいです。援軍は送れないから食料補給で我慢しろとかなんとか言ってますが……」
「終わってるな」
カニンガムがしばらく電話の相手にどなり、ようやく受話器を置いたとき、ラルフは水を飲んでアゴの下に垂れたしずくを袖で拭っているところだった。
「ラルフ!」
長身のラルフがカツンと足を鳴らして、敬礼をする。
「ただいま戻りましたカニンガム中佐」
「よくぞ戻ってきてくれた」
その言葉は、この狭い部屋にいる全ての兵士の想いでもあった。
その証拠に、現在司令部を形成している二十人ほどの海兵隊員は、みな一様にラルフに尊敬のまなざしを送っている。
「メイソンがやられました。最後まで勇敢に戦い抜きましたが、残念ながら……。二人で敵の一番大きな戦艦をやろうと話していましてね。奇襲でさんざん機銃をぶち込んでやりましたが、おそらくはそのときの反撃で」
「そうか、メイソン伍長が……凄腕の飛行機乗りだった。君と同じようにな……で、戦果は?」
ラルフは表情を変えず、肩を少しだけすくめた。
「一番大きな戦艦の艦橋にぶちこんだあと、空母の甲板にいた艦載機を二機やりました。空戦でも相手の戦闘機に何発かはぶちこんでやりましたが、撃墜までには至りませんでした。すばしこい奴らです」
「そうか。それはよくやった」
「ところで、援軍は来ないので?」
「ああ、パイが怖気づいている。きっとやつには日本の海軍が何倍にも見えてるんだろうよ」
パイとは解任された太平洋艦隊司令官のキンメル大将の後釜として、つい先日、十二月十七日から司令官代理にすわって太平洋艦隊の指揮を執っているウィリアム・パイ中将のことだった。
上背はそれほどでもないが、肩幅の広い、がっしりした体躯と、いかつい髭面をふるわせて、カニンガムが忌々しそうに言った。
「やつめ、おれたちを見殺しにする気だ。日本兵の代わりにオレが首を絞めてやりたいよ」
「同感ですね」
「われわれは、真珠湾攻撃の数時間後からずっと日本軍からの侵略にさらされている。必死の思いで抵抗を続けている君たちの奮闘でなんとかここまでもっているのに、あの頭の悪い提督は、腰抜けな決断ばかりしてちっともわれわれを助けようとしない。それどころか、とうとう、空母がないことを理由に、援軍を送らないんだとよ。このままじゃ、全員死ぬか、降伏勧告を受けるしかない」
カニンガムとラルフが見る部屋の隅には、その降伏文書を持ってきた二人、ウィリアムとドリスという、元捕虜が不安そうな表情で椅子に座っていた。
「君たちは、まだやる気なのかい?」
ラルフと目があったドリスが、口をとがらせて言う。
「アンタがこの島の英雄だってことはわかったが、死ぬまでやることはないと思うがな」
「英雄?」
ラルフが自嘲気味に笑った。
「英雄なもんか。十一人の部下と戦友を亡くしたよ。たった今も親友をやられたんだ」
カニンガムも厳しい表情で口を開いた。
「国のために最後まで戦い抜くのがオレたち海兵だ。それに、降伏すればどんな目にあうかもわからん。この島には軍人がまだ三百人以上と軍属が千人以上いるんだ。彼らを危険な目には合わせられない」
「もう十分危険だろ」
「ナグモはいいやつだ。約束はきっと守ると思うがね」
ウィリアムもあきれたようにつぶやく。
ラルフはカニンガムを見た。
「で、どうします? 敵の戦闘機はすぐ来ますよ。さっきの出撃で俺の機は尾翼をかなりやられて操舵が効かなくなってきましたが、あと一回ぐらいは飛べます。やるなら補給して出ますが」
「う、うむ……」
「あ、それと、どうやら向こうの司令官はバカじゃないようですね……」
「あの降伏文書にあった、ナグモってやつか」
「それはどうかわかりませんが、今までとあきらかにやり方が違います。さっきも逃げるときに、高角砲の多いピーコックの森に誘い込んでやろうとしましたが、連中気づいたのか引き返しました」
「冷静な司令官が来たってわけだ……いずれ会ってみたいものだな」
そのとき、建物の外に兵の気配がした。
「誰だ?!」
番の兵士が銃を構えて誰何する。
「ケイデンであります」
のぞき穴から確認してドアを開けると、大柄の兵士が飛ぶ込むように入ってきた。
「デベル少佐からの伝令です!」
「おお!」
カニンガムがケイデン兵士の方を向き、笑顔になった。
デベル少佐とは今も部隊を率いて島の防衛を指揮している現場の指揮官だ。
「無事でなによりだ。用件は砲台への補給かな?」
「ピール島のB砲台、ウィルクス島のL砲台がやられたと」
「なに?!」
V字の島の形にある、各先端三か所に設置されていた砲台が、二か所も破壊されたという。
きっと、さきほどの艦砲射撃でやられたのだ。
となると、あとは降伏の白旗を掲げるよう言われ、代わりに星条旗を掲げてやった、V字の尖った部分、すなわちこの臨時司令室のある地域にしか、砲台は残っていない。
その時……。
ド――――――――――――ン!
轟音が鳴りひびくと同時に照明が消えた。
兵士がランプをあわててつけている。
また衝撃があり、揺れた建物からパラパラと崩れたコンクリートが不気味に落ちてくる。天井に大きなヒビが入ったのかもしれなかった。
ド―――――――――ン!
ド―――――――――ン!
ド―――――――――ン!
暗い室内に、近くに遠くに、爆撃音が何発も響く。
地面が揺れ、いつ直撃するかもしれない恐怖が兵士たちを襲う。
このままではここも危ない。ようやく臨時の司令態勢を敷いたというのに、ここも撤退しなければいけないのか。だが、どこに?
薄暗い灯りの中、ラルフはカニンガムの顔を見た。司令官の表情には恐怖はなかった。むしろ、うっすらと笑ってさえいた。
「敵機約二十!」
兵士が指示をほしがって叫ぶ。
もちろん言われなくてもわかっている。
敵の爆撃機が島を攻撃し始めたのだ。
味方からの高角砲もそれに反応し始めるが、弾薬がもういくらも残っていないのか、散発的な反撃だった。
「君たちはよくやったよ」
ドリスがなぐさめるように言う。
ラルフは、今受けている攻撃が、まるで自分が撃ち損じた責任でもあるかのように悲しい目をした。
「あと一回、行かせてください中佐」
その目を見た瞬間に、カニンガムの心は決まった。
「……どうやら、ナグモと会う時が来たようだ」




