星条旗あがる
●6 星条旗あがる
十二月二十一日未明、おれたちの艦隊は、砲台の射程に入らない距離を保ったまま、島をぐるりと取りかこみ、二名の捕虜(もちろんウィリアム先生とドリスだ)を開放するとモールスで打電した。
「おいナグモ、どうなるかはわからんぞ。守備の海兵隊はみんなガンコ者ぞろいだって噂だ。素直に降伏なんてするもんか」
「私もそう思いマス。先にしかけてきたのはアナタ方。そういうのにアメリカ人はこだわるのです」
内火艇に乗りこむ前、彼らはさんざん予防線を張ってきた。
もちろんこの交渉は彼らの責任じゃないし、そもそも交渉役なんてことは期待していない。
「その時はその時ですよ。貴方がたに責任はないんで。ご発言もその趣旨もお立場もどうぞご自由に」
それでも心配そうにのそのそと内火艇に乗りこんでいく。
いっそ帰りたくないのかと疑ってしまうほどだった。
これで会うのが最後かもしれず、おれは二人に固い握手を求めた。
まさかとは思うが、何日も放置されたときのことを考え、水や食料、サバイバル用のナイフとライター、それと帆布をあたえて、送りだす。
「二人とも、空気読めよ~~~っ!むこうが険悪だったら、おれたちの悪口言いまくっていいからなあ」
「どっちにしても悪口言ってやる~~~~」
ドリス、なんでちょっと涙目なんだよ……。
で、その日の夕暮れ南端の岬に旗が上がった。
だがそれは、星条旗だった。
「……だめだったかああ」
おれはがっくりと肩を落とした。
「ようし!全軍攻撃用意!」
いやいや、井上さん沸点低すぎ。
おれはため息まじりに外に目を向けた。
戦艦比叡の艦橋、今はその最上階が司令室になっている。
本来なら、敵からの攻撃に備え、二つほど下の階に司令室は作るものだが、おれたちは高くて見晴らしの良い上の階を使用していた。
そういや、山本五十六連合艦隊司令長官は、太平洋戦争の初期、戦艦大和の艦橋で指揮することを好んだらしいが、こんな高いところで、泥水や海水を啜りあう悲惨な戦争の指揮をしていたら、つい楽観的な作戦を立案してしまうんじゃなかろうか……。
「草鹿ぁ、星条旗って、やっぱ白旗じゃないよな……」
「そりゃそうでしょう。むしろ獲ってみろって挑発ですよね。でも、そんなに怒らせましたかね? あの手紙」
草鹿が首をひねる。
うーん、降伏勧告が彼らのプライドを刺激したのかもな……。
それとも、やっぱりいくら兵力に差があっても、軍人ってのは降伏なんてしないものかね……。
圧倒的に有利なおれたちがあれこれ悩むのはバカバカしいが、コミュニケーションの失敗はそれなりにこたえる。
「いいじゃありませんか。向こうがその気なら、今から夜間上陸を」
梶岡少将、それって、あなたがたが失敗した手ですよね。
「ようし!全軍攻撃用意!」
だから井上さん沸点低すぎだって。
「無視ではなく、返事があった。それが彼らの誠意なのだ」
下の方から声がして、ジョシーがみんなの注目を集める。
腕組みをして窓から遠くの島影を睨みつけている。
その貫禄なんなんだ。
「この子、いつもこげなところにおるんですか?」
「いやそういうわけでは梶岡少将。通訳には戦闘時の専門用語も勉強させた方がいいので。……気になりますか?」
「いや、なんや金髪に青い目がおると、諜報されとるような気がして……」
細く引き締まった浅黒い顔を、さらに眉を寄せて気難しく見せている。
「ここは南雲さんの指揮下だから南雲さんのやり方でいい、だが、ワシなら追い出す!」
こっちはもはや笠貼り浪人くらい痩せている井上さん。
「まあまあ井上中将。南雲長官はすごく外人を大事に扱うんですよ。それでみんな味方になります」
「ふむ、懐柔策かね。そんな必要のある相手でもなかろう」
「おいイノウエ」
「あーはいはい、こっちに来てジョシーお願い、たのむから、おれから大事な相談があるから、こっち!」
みんなから離して艦橋の端に連れて行く。
「草鹿、大石、小野もちょっと……」
三人だけで、バルコニーに出て、会議が始まる。
停泊しているとはいえ、風が強かった。
「とにかく降伏文書は失敗ってことだ。井上さんじゃないけど、こうなったら攻撃するしかないと思う」
「さっきも言ったが」
ジョシーが口を開く。
「星条旗の意味するところは彼らなりの誠意だ。正々堂々戦うからとりに来い、とな。しかしそこには一遍の意思疎通が見て取れる。意思が通じると言うことは、また交渉の余地もあるだろう」
「様子を見つつ、攻撃開始ってことですかね」
草鹿がめずらしくジョシーの意を汲んで言った。
「じゃあ長官、やるしかないですのう」
大石もそのつもりのようだ。
「小野」
「はい。モールスではなんと?」
もはや小野がすっかり自分の役割を知り、緊張する。ここからの一文が、何千人もの命を左右するのだ。
おれはジョシーの目を見ながら、考え考え、文言を話す。
「貴下の返答はもらった。翌朝、艦砲射撃による砲台の破壊、ならびに航空機の除去を行ったのち上陸を開始する。なお、戦闘への理解をもって白旗の掲揚を期待するものなり」
「やるってことですね?」
草鹿が顔をひきしめる。たとえ有利な戦いでも、上陸は非常に危険な戦闘には違いない。陸戦隊はそれほど訓練はされていないし、ミッドウェーでもゲリラ戦に苦労した。
またケガ人が出れば、田垣先生や比奈さんにも苦労をかけることになる。こっちも命がけなのだ。真剣にならざるを得ない。
「やる。おれたちは戦争に来てるんだ」
このまま引き下がるわけにはいかない……。
夜が明けた。
艦隊の全軍は夜のうちにウェーク島の沿岸から十五キロを超えるアウトレンジに展開していた。
艦隊の護衛制空のため、ゼロ戦四機を空母周辺の警戒に出し、駆逐艦不知火による電探索敵によって敵数機への備えとした。
艦砲射撃は相手の砲台の届かない距離からやるのが鉄則だから、この距離なら敵の砲撃は届かない。
南洋の海に、つかのまの静寂がおとずれた。
時計を見る。
時刻だ。
「砲撃開始!」
それを受け、通信兵がすべての艦隊に砲撃命令を告げる。
「て―――――っ!」
比叡の毘式35.6cm連装砲四基の主砲はじめ、霧島、重巡洋艦利根、筑摩と、戦艦と重巡洋艦あわせて四隻の主砲がいっせいに火を噴く。利根や筑摩も20.3cmの連装砲を四基八門装備していて、射程は長かった。
おれにとっても、艦砲射撃は二度目で、もうすっかりベテランの気分だ。
一方、それ以外の軽巡洋艦と駆逐艦は念のために近づかず待機させている。空母はさらに後方だ。
動かない島が目標とは言え、十キロ以遠では精度が落ちる。計測距離から算出した砲の角度と方角は、風向きなどにより着弾時には幾分かの誤差があらわれ、広域に散布される。そのようすを見て、砲手はただちに角度と方向を修正をしていく。
いま、衛星画像があったとしたら、周囲十キロにも満たない小さなサンゴ礁の島に、何発もの砲弾がパパパパ、と白い煙をあげて着弾しているのが見えるだろう。その下に設備があれば設備が、車両があれば車両が破壊され、そして人がいれば死んでいく。
耳をつんざく比叡の主砲を聞きながら、おれはその光景を目に浮かべていた。
しだいに精度を増していく砲弾が、ついに沿岸部の砲台に集中しはじめた。轟音とともに、砲撃の強い硫黄の匂いが、この比叡の艦橋にまで漂ってくる。そのまま三時間もの間、兵員を交代しながらも艦砲射撃はつづけられ、ウェーク島からはほとんどなにも反撃がなかった。
「よし、砲撃やめ!」
双眼鏡を目から外す。
「残りのゼロ戦を飛ばして島へ向かわせろ。高角砲をくぐりぬけて敵のF4Fを誘い出し、落としてこい」
「はっ!戦闘機六機、発艦します!」
その時……。
遠くでなにかが動いた。
「……ん?」
「……あれはなんだ」
まだ白煙立ち昇る島の奥から、なにかがあらわれる。
はじめ一つだった黒い鳥のようなものが、やがて左右二つに分かれ、二機の戦闘機になった。
「敵の戦闘機です!F4F二機っ!」
ウェーク島守備隊の英雄、F4Fワイルドキャットが、艦砲射撃終了の一瞬の間隙を待って、多勢の帝国海軍第一航空艦隊に一矢報いるため、向かってきたのだ。




