日本のあるべき姿
●3 日本のあるべき姿
おれだってヒトラーが世界にどれだけの害悪をもたらしたのかは知っている。ポーランド侵攻にはじまるヨーロッパ戦線は、戦争によるありとあらゆる災厄を招いた。
砲弾の雨がふる。
なにもかもが壊され、血と油で濡れた街路を無数の軍靴が踏みにじる。
ついさっきまで家族の笑顔で満ちていた家が、今は土足で荒らされ血と骨が散らばる。
街のあちこちで啼き叫ぶ人々を見下ろす禍々しく赤い旗印。
物陰に隠れ、怯えて震えるしかない子供らの汚れた顔……。
それらはたった一人の男が招いた地獄絵図だったのだ。
「ヨーロッパ戦線は領土戦争だ。ポーランドに侵攻したのはドイツだが、ソビエトだって同じことをやっている。ヒトラーは悪の指導者――そのシンボルとして有名だが、彼ひとりだけが悪魔で、そのほかの国がみんな善人の顔をしているのは、どうかと思うんだよね」
「では、キサマの国はどうなんだ? この太平洋戦争はそうじゃないとでも言うのか? キサマたち日本がドイツと同盟国であるかぎり、ワタシはお前を……」
やっぱり、ヨーロッパ戦線で叔父さんを亡くし、その敵を討つのがジョシーのアイデンティティーなんだな……。
「ジョシー、叔父さんは軍人?」
「いや、おまえと同じ日本人の科学者だ。ポーランドに招かれ工業製品の開発に従事していたが、去年の夏、ナチスに殺された」
……そうか。ジョシーのお父さんは日本人だった。
「日本はロシアと戦った。その時はアメリカが支援してくれた。しかしその後、日本は撤退すべき中国に居座った。なぜなら、多大な犠牲を払った日露戦争でなにも得られなかったからだ。そこから日米の関係を悪化させ、経済封鎖にあい、開戦のやむなきにいたった。いいわけかもしんないけど、事実だ」
「……」
「おれは最小限の犠牲でこの戦争を終わらせたい。一番の問題はアメリカが講和しないことなんだが、それはソ連が講和の仲介をやるやる詐欺したからってこともある。あいつらドイツと協調してポーランドに侵攻したくせに、戦争が終わるころにはちゃっかり戦勝国になってる。おれは日本もそうあるべきだと思うんだ」
「……」
「まあお前も考えてくれ。おれたちが仲良くやる方法をな。それがこの戦争を早く終わらせることになる」
しばらくおれを見ていたジョシーは、ふんっ、と鼻息を漏らすと、ベットの中でくるりと向こうをむいた。
赤城は三日という非常に短い時間で、とにかく応急に修理をさせた。
船尾には大穴が開いたままだが、内部からは浸水がしないように修理し、大型のポンプを設置して排水を万全にさせた。曲がっていた前部甲板柱を鉄板を巻いて補強し、なんとか着艦や航行に支障がないように工夫する。
油と弾薬の補給は完了した。このトラック島にはオイルタンクもあって油はたっぷりと備蓄されていた。定期的にタンカーもやってきているそうだ。
問題は艦載機の修理だが、こればかりは短時間ではなんともならない。上陸させる時間もないし、そもそも敵の戦闘機は全部で十二機、今はおそらく四機しか残ってない可能性が高いから、それほどたくさんの飛行機はいらないはず。
ここでも、単にそれを知っていることが、最強の武器だった。
おれは三十機の爆撃機と十機のゼロ戦をなんとか整備させて、このウェーク島攻略戦に間に合わせることにした。
明日は目的地にむけ出発するという日の午後、この地の司令部に用意させた車で、軍のやっている病院に向かう。
ハイビスカスが植えられ南国の花々が咲く花壇をめぐって、白い瀟洒な建物が建てられてあった。ドイツが駐屯していたころの建築物だそうで、そのせいかヨーロッパの雰囲気が色濃く残っている。
それまでは比較的平和だったこの病院も、三日前、おれたち第一航空艦隊が入港してからは一気に忙しくなり、今では休んでいた職員や医師たちまで駆り出されてあわただしく働いている。
おれが玄関で降車すると、病室を抜け出て散歩していた兵隊連中が、あわてて敬礼しようと近よってくる。おれは笑顔で軽く会釈して、その白亜の建物に入った。
その一室に、淵田が入院していた。
「具合どう?」
浴衣を着せられ、はだけた胸から腹にかけて包帯がぐるぐる巻きにされている。ガラス瓶の点滴がされているところを見ると、それなりの設備がある病院らしい。内臓を含む開腹手術は、すぐに行われたときいていた。
「あ、司令長官」
窓から外を眺めていた淵田が、こちらに気づいて笑顔になる。
そこそこ、顔色もいいみたい。
「手術、うまくいったんだって?」
「は。おかげさまで。せやけど、次の任務に参加できないのは残念です」
こんなときまで強がりを言うのは、やっぱ帝国海軍の兵士だよなあ……。
「ああ、大打撃だよ。お前がいないと、航空隊がどうなることやら。なんせウェーク島の飛行機乗りは、めちゃくちゃ強いらしいんだ。こっちの駆逐艦が二隻も沈められたんだぞ。たしか、あいつら基地に帰って補給をくりかえし、一日に九回も出撃したってさ」
「ほう。敵ながらあっぱれですな」
ああ、やっぱ軍人だ。目に力が戻ってきた。
「お前も今はゆっくり静養して、体調を万全にな。おれは思うんだけど、戦士ってのは健康でなくちゃな。ケガをしたらすぐに後方に下がって静養に努める。それも任務の内だぞ」
「……ありがとうございます」
「おれたちはウェーク島が終わったら内地へ帰る。お前もかならず帰ってこい。日本で会おう」
「はい」
嬉しそうに笑う。日本人にはどうしたって、あの島国が一番のふるさとなんだな。
「あ、板谷!」
淵田の病室をでると、そこに板谷飛行士がいた。こちらも肩にギブスを嵌めた痛々しい格好だが、もうすっかり元気になって、煙草なんぞを吸っている。この時代って、病院でも煙草が吸えたんだ。
「あ、長官!失礼しました!」
あわてて煙草を消し、こちらに敬礼しようとする。
「おい無理すんな。病院で敬礼はいらんでしょ」
「はい……長官がいらしたと聞いて、いてもたってもいられず」
「はは、おれはお前らのお母さんかよ」
「はは……」
なつかしそうな表情でおれを見ている。
たった二・三日でも、きっと心細かったんだろうな……。
「まだ痛む?」
目で鎖骨をさすと、板谷は苦笑する。
「いえ、大丈夫です。長官こそ、おふくろみたいですよ」
なに言ってやがる、とおれも笑った。
「……淵田をたのむ。一緒に内地に連れ帰ってやってくれ。んで、日本で会おうな」
「わかっております。隊長のおケガが長引くようなら、私が残って世話をしますからご安心ください」
「うん、よろしくね」
肩に手をやり、最後はしっかり大丈夫な方の手を握る。
「日本に帰るまでが、作戦ですよ!」
「ご武運をお祈りします」
その晩、久しぶりに参謀たちをあつめて、作戦会議を行った。
もちろん、議題はウェーク島の攻略についてだ。
「みんな、聞いてくれ」
おれは会議室にあつまった連中……第四艦隊司令長官、井上成美中将とウェーク島攻略部隊司令官の梶岡定道少将、そしておれたち第一航空艦隊の主席参謀、草鹿と大石、そして航空参謀の源田、吉岡、雀部らを前にして話し出した。
おれのそばには黒板があり、ウェーク島の大図面が貼られてある。
「これがウェーク島だ。このトラック諸島から約二千キロの北東にある全長五キロほどの小島だが、このトラックと同じように湾を囲んでぐるりと陸があるなかなかの要塞だ。なにより強固なのは船が接岸できない上陸困難な地形にある!」
おれは差し棒で地図をバシっと叩いた。
やっぱコレだよコレ!




