優秀な悪魔
●2 優秀な悪魔
「こ、これ、ドリス」
小野が慌てるのを、おれは手で制した。
「いいんだ。彼らのおかげでいろいろ助かったんだから、ちょっとくらい言わせてやろう」
この宴会には通訳が二人、補助に入ってくれていて、彼らは小さな椅子にすわりおれたちより少し下がった位置で、同時通訳してくれている。
……あ、でも、なんかいま、ウィリアムとドリスに睨まれたぞ。
上から目線なおれのセリフまで、馬鹿正直に翻訳したみたい。
「オレたちを騙したよなナグモ。おかげでおまえらに協力しちゃったじゃねえかよ。オレは世話になった上官に合わせる顔がないぜ」
「私もだよミスターナグモ。戦争をしている相手に、わざわざ一晩かけてレーダーの基本から応用まで、すっかり講義するとは、われながら実にうかつだった」
「まあまあ」
小野通信参謀がにこやかに口をはさんだ。
「味方の艦隊が迷子になったなんて言うもんだから……」
「おまえだろ!」
ウィリアムとドリスが同時に叫ぶ。
さっきから、ひとり一兵卒の身でこんな場によばれて、恐縮しまくっている木村一等兵曹が、意を決したように口を開いた。
「で、でも、ウィリアム先生の講義はとても素晴らしいものでした。無知な自分にもすごくわかりやすくて……。おかげで電波というものがよくわかりました。自分は先生を、尊敬します!」
「う、うむ。君はなかなか才能があるぞ。それに、日本の若者は年長者に対する敬意があっていい」
なるほど、ウィリアム先生、まんざらでもないらしい。
「で、これからオレたちをどうするつもりだナグモ。オレたちはこれ以上協力する気ないぞ」
そう言うドリスを見て、ウィリアムス先生もうんうん、と頷いている。
今夜、ウィリアムとドリスは、おれたちからの、せめてもの敬意のあかしとして、ぴんと糊のあたった清潔な軍服を着て、この夕食会に参加していた。小野参謀のリクエストで、この地では貴重なステーキも並べられている。
ジョシーはこの場が茶番だとでも言いたそうに、さっきからずっと不機嫌そうだ。
おれはドリスに視線をもどした。
「もちろん、これ以上の協力は無理強いしないし、日本まではちゃんとお客さんとして扱わせてもらうよドリス。おれだってアメリカ人が憎いわけじゃないんだ。というかむしろ好きだ」
「ほう、それはどうしてかね?」
ウィリアム先生がコッペパンを器用にちぎっては口にほうり込む。
おれはこの地で製造されているビールをぐいっとあおった。
「自由で合理的で個性豊かだからですよ先生。戦争ってのは、そりゃ人の殺し合いだから悲惨にきまってるけど、目的は領土や資源の奪いあいで、憎いから殺すわけじゃない。日本人はだいたいこの時代のアメリカ人が好きなんだけどな」
「ふん……欺瞞だ」
見ると、ジョシーがワインをちびちびと舐めている。
「ちょ、おま、いいの? 飲んで?」
「アメリカ人が好きだと? キサマがこの二週間で、いったい何人のアメリカ人を殺したと思ってるんだ? たいがいにしろ」
「……すまん」
おれはしゅん、となった。
「お互いさまってこともあるけどな……」
なぜか、ドリスが助け舟をだしてくれる。あれ? いい奴じゃん!
「とにかく今、オレたちは戦争中で、しかもオレとウィリアム先生は捕虜なわけだ。ジョシーはよくわからないけど、雇われてるってことだろ? それぞれに立場はちがうのに、今日はこうしていっしょにメシを喰ってる。これ以上なにかを強制されないんなら、サンキューってことだよな」
それまで黙っていた坂上機関参謀が、とつぜん大声をあげた。
「ド、ドリスに乾杯!」
「どりすにかんぱいー」
一同はやる気のない乾杯をする。
「ところで、ウェーク島だけどさ……」
おれはステーキの刺さったフォークを宙でとめた。
「キミらには申しわけないけど、おれらはあの島を攻略しなくちゃならないんだ。この太平洋戦争の間、あの島は日本の重要な拠点になる。なぜなら、あそこがアメリカの基地のままだと、本土が危ないからな。アメリカと戦争をはじめるってことは、いつもそのリスクを警戒しないといけないだろ?」
みんながおれに注目する。
「でさ、言いにくいんだけど、あの島には五百人のアメリカ守備兵がいて、軍属が千五百人いて、十二機の航空機と砲台がある。彼らの活躍で、一度は撤退をよぎなくされた帝国海軍だけど、おれたちが攻撃すれば、いずれ彼らは降伏するしかないんだ。百五十人の戦死者を出してな」
史実の記憶と、これからの予測が入り混じって、なにを言ってるのかわからなくなる。案の定、みんなは少しきょとんとした表情になった。
「こ、こほん。おれが言いたいのは、どうしたら、少しでもお互いの犠牲をすくなくできるかってこと。木村はどう思う?」
「じ、自分は……わかりません!」
「……ま、そうだよな。わからないんだ。おれにもおまえらにもな」
おれはまたビールをあおった。小野が瓶を手に、注いでくれる。
「いっそ、プロレスでもしたい気分だよな。テキトーに攻めて守ってスリーカウント……てならんもんか」
「おープロレスリング!あれは面白い!」
急にウィリアム先生が身をのりだした。
「私の通ったカリフォルニア工科大学でもレスリング部はあったよ。そこの友人がボクサーとやって腕をこう……」
ああ、先生、格闘技オタクだったんだ……。
「とにかく……どう上陸するかだぞ南雲忠一」
ジョシーが真っ赤な顔をしている。こいつ、酒に弱かったのか。
「上陸?」
ジョシーがまた、ワインをちびりと舐めた。
「無駄な殺生をしたくなければ、圧倒的な数の兵士が上陸しれ降伏をうながすしからい!」
「らい?」
「いま、ウェーク島の米軍は日本海軍を打ち負かひて、意気軒高らぞ! なんせ、駆逐艦二隻を沈めたんらからな!」
……ちびり。
「わ、わかったから、もう飲むのやめろジョシー」
「うるひゃい!」
あわててグラスを取りあげようとする木村一等兵曹を、ジョシーは手で払うようにした。
「数らぞ。とにかく、こちらの数を……見せる、のが……」
「ジョシー?」
……す―――――
あ、寝ちゃった。
小野がため息まじりに言う。
「こうしてると、天使なんですけどねえ……」
たしかに眠るジョシーは天使のように可愛らしかった。
(数を見せる……つまり、こちらの武力情報を与えるってことか)
この夏島は、日本人が何千人もすむけっこうな居住地であり、立派な歓楽街もあった。
上陸した乗組員たちは、宴会に、料亭に、大浴場にと、それぞれに久しぶりの休暇をたのしんでいる。
割り当てられた宿舎のドアをあけさせ、おれはジョシーをベッドにそっと降ろした。
すうすうと、寝息を立てている。
「天使か悪魔か、それが問題だよな……」
南洋だから部屋の空気はまだ温まっている。しかし夜になると冷えてくるだろう。
薄手の毛布があったので、それを軽くかけてやり、開いたままの窓を閉めようと近づいた。
ここは湾沿いの宿舎だ。遠くの方で波の音がしている。
ふと見ると、サンゴ礁の湾をぐるっと回って、反対側の岸にちらほらと灯りがともる。こうやって、人々の暮らしの気配を感じるのはひさしぶりだ。
「……なにを見ている」
「お? おきたのか」
窓を閉め、ベッドに戻る。
ジョシーが赤い顔をして。おれを見あげていた。
「陸の気配がなつかしくてな。おれって、ホラ、本来陸上動物だから」
毛布を顔までひきあげて、ジョシーはするどい目でおれを見つめる。
「ひとつ訊いていいか」
「なんだい?」
「キサマはヒトラーをどう思う?」
「……優秀な悪魔だな」
しばらく間がある。
「……優秀な人物、悪魔のような独裁者、キサマはどっちを重視するんだ!?」
おれは肩をすくめた。
「おれの時代でヒトラーを肯定するやつなんかいない。全否定だ」
「南雲、なぜ奥歯に物のはさまった言い方をする。もっと、腹を割れよ」
なにか大切なことを訴えるジョシーに、おれはちょっと真面目な顔になる。
「……つまり、こういうことだ」




