星のはなしはいかがでしょう?
●36 星のはなしはいかがでしょう?
南雲らがサラトガとの激しい戦闘をくり広げていた同じころ、ジョセフィンは日本兵と、仲間の米捕虜との、言い争いを聞いていた。
「へいへい!だからパンケーキは喰い飽きたって言ってるだろよ! おれたちはな、家畜じゃねえんだ。毎日同じものが喰えるかってんだ。これが日本の、捕虜の扱いかよ?」
オロオロする通訳を尻目に、背の高い海兵隊員は、いつものように食事を運んできた日本の兵士にからんでは、大声で文句を言いつのっている。
「キサマ!黙れと言っておるのがわからんのかっ!」
日本兵も負けじと銃剣をつきつける。
「肉を出せよ肉をよお!おまえらたらふく喰ってるんだろ?」
「黙れ!そんなにイヤなら喰うなっ!」
あの海兵隊……たしか、名前をスティーブと言ったが、いつもやたらと日本兵に難癖をつける。
毎日はたしかに退屈で、食事への不満もわかるが、いずれ解放される身なのだ。なぜあんなにケンカしたがるのか。
どちらが悪いとは言えない。きちんと対話したり、話し合わない日本側にも問題がある。しかし言語の壁もあって満足には対話ができず、さらに管理者と捕虜と言う、特殊な責任感と負い目の裏返しが、ことを複雑にしている。
最初はただの傲慢かと思ったが、どうもそればかりではなさそうな気がする……。
監視の目を盗んでの機械いじりをしながら、首をかしげるジョセフィンの金髪が、風に吹かれて揺れた。
一方、ジョセフィンとしては……この捕虜生活をそこそこ気に入っていた。
実際のところ、日本兵の捕虜の扱いはすこぶるいい。食べ物はきちんと三食出てくるし、暴力もふるわれない。
パンケーキばかりなのはその通りだが、どうやらここに残っているのは給仕の兵ではないようだし、パンの焼き方も知らんのだろう。喰えているだけで充分だ。
イースター島とサンド島にわかれていた捕虜たちは、今日からはこのサンド島の格納庫に移され、秩序と敬意あるなかでちゃんと管理されている。
軽い自治を認められているし、もしかすると、そのうち家族に電話でもできるんじゃないか、くらいの気楽さだ。
日本兵はこのミッドウェーを恒久的に占領する気はないようだし、だとすれば、やがて撤退する日までは大人しくしていればいい。
ジョセフィンが得意とするドッグファイトも、知識を吸収するための本もないのは実に退屈だが、捕虜なのだから、まあ仕方ないだろうな。
それに……
今はこれがある。
ジョセフィンは木板にネジどめで作りかけている手製の電気回路に、真空管を嵌め込んだ。
「ジョセフィンちゃん、ちょっといいかい?」
ジョセフィンが回路をいじっていると、外から若い海兵隊員の声がした。
「入れ」
シーツをちょいとあげて太っちょの兵士が入ってくる。
「スティーブのことでちょっと相談したいんだけど……」
「なんだデイブ」
ここは、格納庫の一番奥まったところに、シーツをぶらさげて作ったジョセフィンのプライベートエリア、いわば個室だ。
この大勢の中で、ジョセフィンひとりが女性兵士だからと、三つのうちの、この捕虜グループを代表する老士官が、日本兵と交渉して手に入れてくれたものだ。
ミッドウェーは気候もいいし、広々とした格納庫には涼やかな風も入ってくる。
「あいつ、日本兵にいつもからむんだ。このままだと、そのうち事故をおこしそうでさ。やめるようにスティーブと話してほしいんだ」
「そんなことなら、リューテナン中尉に言えよ」
リューテナンとは、このグループを代表している老士官だ。
「言ったんだけど、どうせ無理だって」
「……仕方ないやつだな」
ことなかれ主義の老兵の顔を思いだして、ジョセフィンはうんざりする。
階級ではジョセフィンが上なのだが、面倒ごとはご免だと、グループの代表を押しつけた負い目もあった。
「わかったよ。話してみよう。スティーブを呼んでくれ」
「助かるよジョセフィンちゃん。ヤツはなにも言わないんだけど、なにか理由があるのかもな。じゃあ、頼んだよ」
デイブはほっとしたようすで、出て行った。
しばらくして、ふてくされたようすのスティーブがやってきた。
「なんでありましょうか少佐どの」
あいかわらず、服をはだけてだらしない格好だ。
不潔な首筋をぼりぼりと掻いている。
「お前はどこの出身だスティーブ?」
スティーブは、一瞬なつかしい故郷を思いうかべたのか、仏頂面を少し和らげた。
「オレゴン州のポートランドです」
「ほう港町か。いいところだな」
「……アンタは?ジョセフィン」
「ワタシは……天文台だ」
「天文台?」
「ああ、その話は今晩してやる」
「?」
スティーブは首をすくめた。
「まさか、このオレと楽しみたいわけじゃないんだろ?」
「そいつは遠慮する。みんなヒマそうだし、晩飯のあと、ワタシがみんなに講義でもしてやろうかと思ってな。いつまでここにいるかわからんし、ストレスの解消は重要だ。星空の話でもしようか」
「星……?!」
「ああ。この宇宙はとてもたくさんの銀河で出来ている。われわれの属する銀河系のほかにも、別の銀河がある。ワタシの父はその専門家だったのだ」
「へえ……面白そうだな。でも、なんでそれをオレさまに?」
「キサマがなぜ日本兵にからむのかは知らん。聞いたところで、キサマが素直に話すとは思えんし、ワタシはそれに立ちいるつもりはない。ただ、避けられない捕虜ぐらしなら、なにもわざわざ生きづらくすることはないと思ってな。人生は愉しむためにある……と、これはワタシの叔父のセリフだが」
「……」
「とにかく今日はワタシの余興に耳を傾けてくれ。それまで揉め事はおこすなよ。おこしたら余興はなしだ」
「アンタ、変わってるな」
ぷいっと横をむいた可愛らしい少女のような将校に、スティーブが口の端をゆがめて笑った。
また、夕食はパンケーキだった。
だが、あの日本兵がやって来ても、スティーブは言いがかりをつけなかった。そして晩飯がおわったころ、ジョセフィンはこのグループのみんなを集めて、話をした。
光の速度と重力の関係や、星の一生と銀河と無限の宇宙について。すべては父親からの受け売りだったが、みんなは興味深く聞いてくれた。
そして最後に、ジョセフィンは自分の知識がすべて天文学者だった父親からのものであること、父が日本人で、母がアメリカ人、その両親が天文台で愛を交わした夜に、自分がこの世に生を受けたことを話した……。
解散したあと、また、スティーブを呼ぶ。
「なんだよ?また説教かい」
「キサマに説教をした覚えはないぞ」
「じゃあなんだ」
「日本兵たちの話を盗み聞いたが、やつらは味方の迎えを待っているようだ。次の海戦に勝ったら明日にも来るが、負けたらアメリカがやってくる。われわれとしちゃアメリカの勝利を信じたいところだが、どうなるかはわからん」
「……」
「当然食料も心細いだろう。キサマは奴らが肉を喰っていると言っていたが、なぜか、あいつらはいつも腹を空かせているぞ」
「……それは……」
「勝手に攻めてきた連中が悪いんだが、いろいろ不器用すぎる。日本語には面白い表現があってな。本音を話すことを、腹を割る、というんだそうだ。やつらも少しは腹を割ればいいのにな……」
スティーブは砂だらけの床を靴先でこすった。
「真珠湾に俺の友達がいたんだ……」
「……ふむ」
それだけで、ジョセフィンにはすべてが伝わる。
生存競争とどちらかの征服……人間はその先にしか、理解しあえないものだろうか。
「よく腹を割ってくれた」
「よせよ。アンタはオレの上官じゃない」
「友人としてだ」
ジョセフィンはまたぷいっと横を向いた。
傍らで、手作りの無線機のランプが、チカチカと点滅していた。
シーツのカーテンのむこうでは、みんながさっき聞いた星々の話で盛り上がり、反芻するように。高い窓を眺めている
その夜空の向こう、格納庫から五十メートルほど離れた海岸には何人もの日本兵が海にむかって叫び、その沖合には、巨大な艦隊の影が、うっすらと浮かんでいた。
真珠湾攻撃も終わり第一章はこれで終了です。長らくお読みいただきありがとうございました。第二章からは、南雲はウェーク、オーストラリア、インド洋へと攻略していきます。ほんの少し軍人らしく固い言葉も使いはじめますが、読みづらければご指摘ください。どうぞ最後までよろしくお願いします。




