空母サラトガの反転
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●32 空母サラドガの反転
レキシントンへの攻撃を二十分ですませた攻撃隊、すなわち、赤城、加賀、飛龍、蒼龍の四空母から、出撃した五十機の飛行機隊は、ほぼ全弾を打ちつくして、それぞれの母艦に帰投した。
ここ、赤城の甲板では、おれたち以下司令官たちが、彼らの着艦を笑顔で出迎えていた。
「よく帰ってきてくれたね。おつかれさま!」
「はっ!ありがとうございます。弾がなくて苦労しましたが、なんとか、レキシントンを沈めることが出来ました」
板谷少佐がごつい手袋のまま、ビシっと敬礼する。
「ケガはないかい?」
「はい、自分は大丈夫です。……みなさんこそ」
おれたちは顔を見合わせた。
参謀たちは、おれも含めて、みんな煤で顔が真っ黒だった。
「おれたちは……大丈夫だ。……船は……大ケガだけどな」
「はい……驚きました」
「空母ってのは、攻撃に弱いよね」
船首では、今もまだ黒煙がもうもうと上がっている。
おれたちの空母赤城は、右舷前方に魚雷をくらい、大穴を開けられていた……。
制空を担当する三十八機のゼロ戦たちは、艦隊の上空を旋回し、今も油断なく警戒飛行している。
飛行隊長、淵田が乗る九七式艦攻も、その中にいた。
「えらい派手にやられよったな」
淵田がキャノピーを閉めた。
「大丈夫です。赤城はもともと戦艦ですから、装甲は厚いと聞いています」
操縦席の兵士が送声機で答える。
「だといいがな」
たしかにあの被雷位置なら、艦載機の格納庫だから、中身は出撃中で空っぽ。乗組員は甲板下の中央構造物に避難待機していて、被害は最小限だといえる。
(それにしても。激しい攻撃やった……)
ともすれば安堵しそうになる自分に気がつく。
おっと、まだ終わってないんや。
襲ってきた敵攻撃機はすべて叩き落し、数機は逃げ帰ったが、彼らが帰るべきレキシントンは板谷らの攻撃隊が、葬ってしまった。
燃料もある。が……。
九七式艦攻は後席に機銃があった。
淵田は、天井のストックから巨大な弾倉をはずした。
「たしかこっちは……まだ少し……あるか」
両手で重さを確かめてみる。
さっき念のため弾倉を交換し、撃ち尽くしたのだ。
「ふう。やっぱり半分はないか」
淵田は後席の機銃に取りつける。
(こんなんで、闘えるんかいな……)
操縦士が旋回のため傾いていた機体をまっすぐに修正する。
「赤城より入電、淵田隊、弾あらば行け」
淵田は吹き出しそうになった。
「ほんっま!南雲長官、人使い荒いで! こんな後ろしか撃てん機体でどうやって制空するんや」
「さっきはうまくやってたじゃないですか」
「そらな、わざわざ後ろとらせて撃墜するんやから、詐欺みたいなもんやで」
「あはは、隊長が名人芸すぎるんです」
「固定機銃とちごて、左右に振れる機銃は結構あたるんやで」
「そうですかねえ。威力ないですし、私はまるであたりません」
「そこは腕やろ」
「……隊長、嬉しそうですね」
淵田は自分でもおかしかった。
疲れ切っているのに、しかも弾も残り少ないのに、闘志はいくらでも湧いてきた。
「赤城より入電!敵位置、北緯二十九度三十三分、百七十五度三十四分!」
通信兵が入電のメモを読み上げる。
「羅針儀、方位二十二度、帰投方位器、よし!」
淵田が印をつけた海図を受けとる。
「よっしゃいくで!」
「第五航空戦隊は原さんだっけか?」
おれは記憶をたどる
「はい、原忠一少将です」
「あ、キングコング」
キングコングとは、原少将のあだ名だった。
豪放磊落、偉丈夫。あまり頭脳戦は得意じゃなかったが、勘が良く出処進退にすぐれた戦争向きの人物だったはず。
ま、彼なら大丈夫だろう。
おれはちょっと考え、原少将のいる瑞鶴にむけて一つ無電を打つことにした。
「小野」
「モールスですね?」
おれは思わず吹き出しそうになる。
「それはあとだ」
「?」
「瑞鶴の原に打電してほしい。空母は甲板」
「どういう意味ですか」
「わかんないか?」
「わかりません」
小野が首をかしげた。
「この赤城を見ろよ。水雷あたってもまだなんとか進んでるだろ。でも、これが甲板だったらどうだ?」
「たしかにこれでは済まなかったでしょうね」
「空母は守備に弱い。とくに飛行甲板がやられたら致命的になる。それがこの戦いでわかった。戦艦戦とは違うんだ。だからおれと同じ水雷屋として原がそれにこだわらないようにしたい」
「で、空母は甲板、ですか」
「たのむ」
「わかりました」
「あ、それと…」
「モールスですね?」
おれはにやりと笑い、小野の肩をぽんと叩いた。
「それだよ」
「赤城より入電! 敵空母サラトガの現在位置、北緯二十九度三十三分、百七十五度三十四分!」
「うん、来たか」
原忠一少将はゆっくりとうなずいた。
ここは空母瑞鶴の艦橋である。
「司令部命令、第二次攻撃隊出撃せよ」
通信兵が司令長官からの命令文を読みあげる。
「応」
「それから……」
「どうしたね?」
通信兵が言いにくそうに眉をしかめた。
「空母は甲板。以上」
「空母は甲板? 最後はそれだけか」
「はい、そうです。空母は甲板」
「……なるほどなるほど」
原はわかったような気がした。
長官は甲板を攻撃せよ、と言っているのだ。
そうにちがいない。
先制攻撃の際、雷撃よりも爆撃で甲板を破壊せよと。
考えてみれば確かにそうかもしれない。
水雷は水平飛行から入る。
そうすると機銃で狙われるし、戦闘機の餌食にもなりやすい。
当たる確率は高いが、かわされもする。
一方、空母は甲板面積が広いのだ。
遠方から高高度に位置できるし、練度さえ高ければ、艦爆でも意外に命中率が高い。
照準が装備された九九艦爆の命中率は八割にも上る。
しかも効果は比較にならない。まず離着艦が不能になる。
腹に大量の航空機と燃料を蓄えているので、誘爆もおこしやすい。
「制空の次は艦爆を集中させよ」
「わかりました」
「水雷は相手空母が炎上してから行っても遅くない。長官はそう申されているのだ」
原は南雲に思わず尊敬語をつかう。
まったく、たいしたもんだ。
ふと気がつけば、こちらの空母六隻に対してアメリカは最後の一隻になってしまった。
あまりにも、完全無欠の戦果だ。
原は南雲の慧眼に驚いていた。
以前はもっと慎重な人物だと思ったが、今回の作戦では大胆かつ奇抜な戦術で、みごと全ての戦闘を勝利に導いている。
度重なる出撃で兵も兵器も傷ついたが、勝てる戦なら、それもやりがいがある。
さっきも、レキシントンへの攻撃が大成功理に終わったことを受け、この艦の一同も士気が最高潮に達した。
すべては南雲司令長官の作戦通りだった。
「では急ごう。第二次攻撃隊発艦せよ!」
「制空にゼロがなくて大丈夫ですか?」
隣で艦長の横川市平大佐が心配そうな顔をする。
「心配いらん。第二次攻撃隊は五十機、うち三十機は爆弾水雷を積まず、軽量にして制空に徹すべし。こちらの制空にはゼロがやってくる」
「面白い作戦ですな」
「うん。……南雲長官にはおそれいった」
甲板からは攻撃機がつぎつぎに飛び立っていく。
(あれほどの人物だったとは……)
雄飛する攻撃機に手を振りながら、原は当分出世の道はないな、と、苦笑いするのだった……。
翔鶴、瑞鶴から第二次攻撃隊が飛び立って数分後、ついにサラトガが反転した。
乗組員らはまだ闘志にあふれていたし、仲間や知り合いを帝国海軍の奇襲で何人も失った。
だから、その復讐のために、命を投げ出すことはいとわない。
だが、ワシントンが撤退を命じたのだ。
アメリカの空母はこの時点で大西洋に四隻、太平洋には三隻しかない。
それが瞬く間に二隻失ってしまった。
機動運用するにはすでに不可能な事態に陥っていたのだ。
これ以上の戦闘継続は、避けるべきだ。
レキシントン大破の緊急連絡を受けた直後に、大統領と統合参謀長会議は、空母サラトガの引き上げを決定したのである。
「サラトガが遠ざかっていきます!」
レーダー車両からの報を受け、おれはそのメッセージをどう受けとめるべきか悩むことになった。
「逃げる相手を追いかけるかどうか、だな……」
「今さら遅いわい!」
大石主席参謀がこぶしを握りしめて机を叩いた。
「あと十分もしたら攻撃機が到着します。逃げると言っても、索敵や制空部隊は欠かさないでしょうから、どのみち戦闘になりますよ」
草鹿が必死に説明する。
「これはメッセージだな。おれとルーズベルトは、これで会話をやってるんだ。もうこれくらいでやめましょうってな」
「そ、そうなんですか?敵さん本気ですかね?」
「本気なわけないだろ」
おれは笑った。
「敵は逃げても今だけ。軍備増強したらまたやるに決まってる。アメリカはそういう国だろ、常識的に考えて!」
「ですよねー」
草鹿は何度もうなずいた。
この時代の人間には、すんなり受け入れられる概念なんだろう。
「世界中に戦争を仕掛け、テロや難民を生んでも、まるで反省しない。傲慢でヒーロー気取りの素敵な連中なのさ。さて、どうしたもんか」
ここで引き返す手もある。
おれは真珠湾攻撃以来、戦闘のたびにモールスを打ち、攻撃の予告と非戦闘員の退避、被災した兵士の救助を要請してきた。
その意味するところは、相手に必要以上の憎しみを残させないためと、理性が通じる相手だと認識させるためだ。
ここで引き返せば、その姿勢をより顕著に示すことが出来る。
一方、ここでサラトガを逃がすことは、この後の戦争に大きな禍根を残すことになる。
実際、史実ではサラトガは幾度もの海戦に参加し、帝国海軍に多大な損害をあたえたうえ、さらに戦後まで生き延びているんだ。
なにより、ここで見のがせば、なんのために危険を冒してまでここにいるのかわからなくなる。
「やっぱり、この方法しかないか……」
「?」
おれは決断した。
「空母サラトガを葬ってやろう」




