中庭の前哨戦
●72 中庭の前哨戦
時が流れた……。
おれたちがジュネーヴについたのは、もう1942年も終わろうとする、ある晴れた冬の午後だった。
開港二十年というその空港は、湖のほとりの、周囲が数キロにも及ぶ雑草地にあった。大きな木造の格納庫がいくつかと、コンクリートの立派な建物が見え、そのそばの地面には大きくGENEVEと書かれていた。
上空を二度ほど旋回したあと、まっ白に塗られた二機の富嶽は、赤い日の丸の両翼を誇らしくひろげ、威風堂々と着陸する。
盛大な出迎えを受けたのち、二十台もの車に分乗したおれたちは、市街地のホテルにむかう。そこで静かな一夜をすごし、次の日の朝、また車を連ねてアジア連盟の会議場へと出発した。
黒塗りの車列でゆっくりと道路を走り、機関銃で武装した兵士の立つ豪勢な門扉をくぐる。広々とした芝生の小高い丘を五分ほども走ったところで、ようやくギリシャ神殿のような建物が見えてきた。
この訪問団の代表は、陛下のお声でおれに決まったわけだが、外務大臣の谷正之も外務省の事務次官も、当然、随行している。陸海軍、政府議会、外務省事務次官らを合わせると、総勢五十名にものぼる大所帯である。
「ほえ~、でかい建物っすね」
細く開けた車の窓から、キョロキョロと周囲を見渡すおれに、谷大臣がにこやかに言う。
「まあ国連の本部ですからな。正式名称はパレ・デ・ナシオン。……われわれは万国宮と呼んどります。建設には七年かかったそうですぞ」
「パルテノンかよ……」
車が建物の前に到着する。
ここでもまた大層な出迎えにあう。大勢が出てきて、いろいろ手渡されたり、握手を求められたりした。そしてどの顔も笑顔で、敬愛にあふれていた。
ふーん、日本人って、けっこう尊敬されてるんだな……。
この時代のヨーロッパには、人種差別も残っているだろうにな。
東京で仕立ててもらった紺の背広の上下に、カシミア素材のコートをはおったおれは、つい現代人のクセでペコペコしそうになる。でも、部下である代表団の連中は、みんな胸をぴんと張って、妙にかっこよかった。自国への自信や誇りが胸にあると、国際舞台でも堂々としていられるものらしい。
ところで、この代表団を構成するにあたって、おれはひとつだけ注文をつけておいた。それは服装に関するたったひとつのルールだ。
――軍服禁止。
なぜなら、この時代の連中はやたらと軍服を着たがったからだ。それが国内では正装と認められていたからだが、現代人のおれとしちゃどうにも場違いに感じた。それに、これからなにかを話しあうのだとすれば、軍服で威嚇するのは逆効果だろう。貧乏だけど野蛮な軍事国家。そんな印象はこの際、払拭してしまいたかった。
花束を受けとり、それをコートと一緒にあずけて、巨大な石の玄関を登る。
赤い絨毯の敷かれた広いロビーを通って、さらに奥へと進むと、冬花の咲く、広い中庭が見える窓につきあたる。そこは左右に延びる廊下のはじまりだった。
「控室はこちらだそうです」
チョビ髭を生やした外務省の人間の案内で、右に折れる。
そのとき、ふと中庭に大勢の人がたむろしているのが見えた。
……?
あきらかに白人の集団だ。
その中に、ジョシーの姿を見て、おれは自分の目を疑った。
(な、なんで……?)
おれは反射的に立ち止まり、中庭への扉を探した。
「どうしたんです中将」
谷大臣がいぶかしげにおれを見る。
「い、いや、知り合いが……」
「え?」
そう言って中庭を見た谷は、あっ、と声をあげた。
「アメリカの代表団がおります。……ホラ、あそこにマッカーサーが!」
「えっ、マジで?」
たしかに背の高い男がそこにいた。薄い頭に帽子もかぶらず、グレーのコートを着ていたので気づかなかったんだ。
言われてみれば彼を取り巻くようにして、十人ほどの集団が出来上がっている。その集団から少し離れたところに、丈の短いスーツとチンチクリンのズボンを履いたジョシーがいて、金髪のポニーテールを風に揺らしながら、暇そうに花壇の間をぶらついている。
してみると、あいつ、英才を生かしていつの間にやら政府の一員にでもなったのか……?
「吾輩もマッカーサーの顔は知っとりますぞ。この会議に先立って彼の分析や研究はしっかりやりましたからな。写真も若い時に来日したときのものや、トラック島で捕虜になった時のもの、あ、それにアメリカの新聞記事を……」
しゃべり続ける谷氏を無視して、いくつか並んだドアノブをかたっぱしからまわし、庭に出る。
その音が聞こえたのか、ジョシーがこちらを振り向いた。ほんの三十メートルほど離れた場所で、おれたちは目を合わせることになった。
「よ、よお」
「ナグモ……」
近寄ろうとしてお連れの者に手を掴まれる。
「あ、ちゅ、ちゅうじょう」
「いいんだ」
手を払いゆっくり近寄る。
ジョシーがきつい目でおれを睨む。おれはなつかしさのあまり、思わずへらっとして話しかけようとした。
「ジョ……」
「キサマ、背広が似合ってないぞ」
「えええ?」
「……ふん!」
ぷいっと横を向く。
「きっついな! 久しぶりに会ってそのご挨拶かよジョシー?」
「オロカモノメ。われわれを誰だと思っている。袋叩きされないうちに、さっさと控室に向かったらどうだ」
それでもおれが歩いていくと、米国の代表団たちが気づいて顔をひきしめた。身体をよせてなにかをささやいている。ナグモ、という声まで聞こえてきた。
新聞記者の連中だろうか、カメラを向けられて、おれはようやく立ち止まる。
マッカーサーが、こちらを向いた。
一瞬、緊張が走る。
だがその後は黙って、おれたちの様子をうかがっている。
なにか言うべきか?
でもなにを言えばいいのか。おれたちはつい先日まで、殺しあっていた。爆撃したり、機銃で撃ったりして命を盗り合っていた。仲間を殺され、捕虜になって帰らぬ者もいる。停戦はなったものの、まだ正式な講和は終わっていない。きれいごとは通じない。
昨日の敵は今日の友。
だがそれはウソだ。
昨日敵なら、今日だって敵愾心は残る。
いまだ世界は平和じゃないし、そもそも、太平洋を挟んだ両国は、お互いの国益をめぐって、これからもいくつもの修羅場をくぐるだろう。戦場で、貿易で、あるいは国際舞台をめぐって。
おれはじっとマッカーサーを見た。
そしてジョシーを見た。
「ジョシー、訳してくれよ」
「なにをだ?」
その時になってもまだ、アメリカ人たちはおれたちをじっと見据えていた。
「あんたらは大きくて勇敢で強かった。おれの国は小さいが武士道精神で必死に戦った。この一年、おれたちは堂々と殺し合ったが、もう十分だ。明日からは……」
人差し指をぐいっとマッカーサーに突き出す。まわりの人々が息をのんでおれを見つめる。
「ベースボールで戦おう」
バシャバシャと、フラッシュが焚かれる。
マッカーサーはちょっと考え、肩をすくめた。
「カモン・エニタイ」
南雲なら再会の瞬間どうするだろう、そう考えたらこんなシーンになりました。




