おれ氏、帰る
●70 おれ氏、帰る
東太平洋のとある海域に、二隻の軍艦が浮かんでいる。
すべての電子装備品や武装、燃料や砲弾までが抜かれ、最小限の人員で運ばれてきたその黒い船たちは、乗組員の全員退避がなんども確認されたあと、あらゆる鉄扉が溶接で封鎖された。
海上には米国の潜水艦がすでにおり、曇天の空にはB29スーパーフォートレス重爆撃機が旋回して飛行している。
やがて、動かない戦艦たちに米国の威信を賭けた攻撃が開始される。
海と空からの同時攻撃を受け、政治ショーの犠牲になった大和と武蔵は海の藻屑と消えていく。その様子を見守っているのは、アメリカばかりではなかった。互いの約束を監視する目的で、アメリカと日本は開戦以来はじめて、共同作戦を演じたのである。
そして、それを見届けた両軍は、格別の感慨を抱いて、それぞれの国へと帰っていった……。
クエゼリン島に帰投した潜水艦隊はその夜、非公式の宴を催し、一足先に帰路についた。山本さんも空母加賀とともに本土に向かう。
一方、おれたちはその後も島にとどまり、残る処理をあらかたかたづけてから、ようやく内地へと旅立った。
晴れやかな海をすぎ、おれは空母赤城とともに秋の深まる呉の港に到着した。
ここには空母などが建造される大きな港がある。参謀たちと別れ、一泊してから、こんどは海上公試に出る『信濃』に乗ってその雄姿をたっぷりと味わう。
信濃は実に大きな空母だった。
二百六十六メートルの全長は、うまくやれば発着艦さえ同時にやれそうだ。搭載された電探連動砲もモーターの巨大化で砲身が長くなったし、動きも格段に素早くなった。
対空機銃もベアリングの進化と電動化でめちゃくちゃ軽くなった。瞬時に敵に照準を合わせることが出来るから、遅いレシプロ機ならかなり墜とせるだろう。はっきり言って、ほぼ無敵の対空能力を備えていると言っても過言じゃなかった。
近い将来、世界一頑丈で巨大なこの空母には、きっとカタパルトやジェット機や、ミサイルなど、最新兵器が搭載されるんだろう。今はまださまざまな不具合が報告されるだだっぴろい甲板に立って、おれはこの艦の偉大な未来を想像して愉しんだ。
そうして、リベットの問題を技術者たちと議論したり、内務長とダメコンについて研究したりして、数日間のヒマをつぶしたおれは、いよいよ信濃とともに外海から横須賀へと向かった。
おれの知る信濃が、逆に横須賀から呉へと避難する途中の航路で雷撃にあったことを考えると、実に感慨深い。今の航海にはアメリカの潜水艦の脅威も、未完成の不安もないんだ。天候にも恵まれたおれたちは、なにごともなく横須賀へと到着した。
前回の凱旋帰国に懲りたおれは、今回ばかりは静かな帰国がしたくて、歓迎会のようなものはすべて断った。だから、いつもの常宿で一晩を過ごし、軍用車で東京に出て海軍省の建物に入った時、思いがけず万雷の拍手を浴びたのには、正直びびってしまった。
背の高いコンクリートの柱に支えられたエントランスに入ったとたん、職員やありったけの兵士たちが満面の笑顔でおれを出迎える。拍手は市民ホールかと勘違いするほど大きさになって、天井まで響き渡っている。
「な、な、なんすかあ?」
ちょっと首をすくめておずおずと中に入るおれを、嶋田大臣や、永野総長、そして南洋で別れたばかりの山本長官が出迎えた。
「南雲くん、よくやってくれたな!」
「おかえり」
「ささ、積もる話は中で!」
拍手が止み、こんどは兵士たちが敬礼で見送るなかを、頭を搔きながら広い大理石の階段を登る。
「いったい、この騒ぎはなんですか?」
「みんな、君を待っていたんだよ」
「あ、いや、だからそういうのはやめてくれと……」
「まあいいじゃないか」
と、山本さんがおれの背を押す。
「それにしても、まさかこの時代の海軍で拍手とは……」
「はっはっは! さすがの南雲くんも拍手には驚いたか。いや、俺の発案なんだ。日本もアメリカに勝って、いよいよ世界標準にならんとな!」
山本さん、それ、なにかが違うよ……。
「まあとにかく入れ。実は逢わせたい人間がいるんだが、まずはこれからのことを相談したい」
そう言われて二階の応接室に入る。
この人たちとこの部屋で話したのはいつ以来のことだろう?
もうずいぶん昔のことのように思える。
席に着き、お茶を飲む間もなく、永野総長がいつもの笑ってない笑顔で口を開いた。
「最後はお上の決断だったよ」
「あ、講和条件のことですね」
「うん、大和と武蔵、そしてアジア連盟、国際連盟の復帰には、今後の対独戦も見てとれる。よくご決断くださった」
「おれも戦艦は惜しかったですけどね」
「いや、よく我慢してくれた」
それは山本さん、あんただよ。
「ところで、信濃の乗り心地はどうだったかね?」
嶋田大臣が身を乗り出して言う。いい大人になっても、やはり新しい軍艦にはわくわくするものらしい。
「すごくいいですよ。ところで、それに関して提案があるんですが」
「……ん、なにかね? リベットのことなら」
いいかけるのを、笑って首を振る。
「いや、その件はもうすんでます。みんな納得してくれましたしね。……実は、艦名のことです」
「……?」
三人がきょとんとするのを見て、おれは肩をすくめた。
「たしか、艦名は海軍省で決め、お上にはあとで報告するんですよね?」
「あ、ああ、昔はお上にお決めいただいていたが、数が多くなって今ではこちらで決めておる」
「なら、信濃って名前を改名しませんか。あれは帝国海軍のこれからを代表する未来艦とも言うべき存在になります。このままの信濃じゃ、なんだか弱い」
「ほう」
三人が顔を見合わせている。
そもそも一番艦の大和と、二番艦の武蔵あっての信濃なんだ。だからその二艦がなくなれば、どうしても弱く感じてしまう。
「……では、なんと?」
永野総長がバリトンの低い声でたずねる。
おれは立ち上がり、書記官の机に行って半紙と筆を持ってきた。みんなが見ている中を、思い切り書きなぐる。
「これです」
「……?」
「……ヤマト?」
「そう。カタカナでヤマト。空母ヤマトです。戦艦の大和は沈みました。でも、ヤマト魂はこれからの世界に必要でしょう……」
「……」
「……」
あれ? やっぱカタカナはマズったかな?
そう思いかけた瞬間、三人はどっと大きな声をあげた。
「いいじゃないか!」
「そうしよう!いや、もうそれに決まった!」
「マジっすか」
「マジだ」
「では、現在改装中の大和型四番艦は……」
「ムサシですな!」
みんなでわははははは、と豪快に笑う。
「さすが南雲君だ。あえて古臭いカタカナ表記に戻すとは」
「いや、逆に新しいかもしれん」
あ、そういうもんなの?
ま、とにかく気に入ってくれたようだし、よしとするか。
「まあ、それはさておき、今後の話ってなんです?」
「うん、実は、大本営からの命令がある。君にはうってつけの役目だ」
いつもご覧いただき感謝です。南雲ッちがとうとう帰ってきました。 もうしばらく、おつきあいくださいませ。




