タイムズスクウェアのキス
●69 タイムズスクウェアのキス
「号外!号外だよ~!」
ニューヨーク、タイムズスクウェア。
この日、高層ビルが立ちならぶ交差点では、新聞の配り子たちが道行く人々に号外紙を配りだした。人々は群がり、われ先にと受けとった紙面を怪訝な表情で読みはじめる。
そこにはこんな見出しが並べられていた。
『日本、原子爆弾の実験に成功』
『合衆国、対日講和へ』
『日本、超弩級戦艦の破壊に応じる』
『アジアは共同管理の時代へ』
『ナグモ、合衆国と共同して対独戦線に参加か』
見出しの下には、キノコ雲や破壊された船の写真、日本の戦艦のスケッチ。そしてアインシュタイン博士の解説なども掲載されている。
やがて、人々は太平洋でのやっかいな戦争が、ようやく終結をむかえつつあることを知って、歓喜の雄たけびをあげはじめる。
車の走る車道に杖をつきながら出て、大声でわめき出す老人。
太平洋に出て消息が不明となった恋人に届けと金切り声をあげるブロンドの女性。
あるいは、遠い国で捕虜になったまま帰らぬ父を待っている親子づれ。
彼らは一様に十字を切って神に感謝の祈りをささげ、そして、いつ日本が攻めてくるか、そんな大きな不安にさいなまれていた日々から解放されて、ようやく安堵のため息を漏らした。
◇◆◇
ニューヨークタイムス社の二十五歳の女性記者、ヘレン・トーマスは自らの書いた記事の反応が知りたくて、本社前の街路に顔見知りの青年を探した。
「号外だよ~! 日本との戦争が終わるよ~」
その青年はすぐに見つかった。本社を出て一つ目の角で、刷り上がったばかりの号外紙を撒いていたのだ。
「アンディー!」
手をふるヘレンを見つけて青年は笑顔になる。生意気にウィンクをひとつした。記事が好評だということだ。
「良さそうねえ!」
「ああ、みんな喜んでるよ」
その間にもアンディーには次々と人がむらがるので、彼は自分の仕事にもどるしかなかった。とてもかまっている暇はなさそうだ。
ヘレンは肩をすくめ、本社にもどろうとした。
そのとき、アンディーからひったくるようにして号外を手にした一人の若い男が、周囲を見回して大声をあげはじめた。水兵服を着たその男は、背は高いが童顔で、まるでキカン気な少年兵に見えた。
「ヘイヘイ!ジャップを殺さないのか?!」
Oh!という声が周囲から上がり、今さら何を言うという鋭い視線を受ける。
よけい意地になった青年が号外を持った手を高く差し上げる。
「みんな騙されるなッ!こいつは政府の陰謀だ!」
「おい、なにが不満なんだ!」
「ジャップだって自慢の戦艦を差し出して謝ってるじゃないか」
「だまれ!だまれ!だ、まれ!」
ちょっと静まった民衆を前に、勢いづいてまくしたてる。
「いいか!俺たちはまだ戦えるんだ。なのに政府のやつらはなんだ!ジャップに良いようにされて、仲直りするだと? ふ、ふ、ふざけんな! 俺の友達はなあ、ジャップに殺されたんだぞ!」
あたりがしん、となる。まだおさまらない青年は、さらに続けた。
「パールハーバーでだまし討ちにされたことを、みんなはもう忘れたのか! 俺たちはなあ、ずっと命がけで戦ってきたんだ。今だって、やっとケガが治ってこれからまた戦いに行くところだったんだぞ。そうさ、俺たちは不屈の精神を持つ栄光あるアメリカ人だ。まだ戦えるんだ!」
うっすらと涙さえ浮かべて喚く青年を見て、周囲の人々はすっかり同情的になった。確かにこの国の男は命を賭けて戦った。それは確かだ。
「そうだわ! 貴方たちのおかげで、この国は負けなかったのよ」
ヘレンが夢中で口にした言葉が、その場にいるみんなに響いた。人々がはっとしてヘレンを見る。
「ありがとう海軍さん。これからはうんといい世の中になるのよ。もしかしたらヒットラーを日本と一緒に倒して、世界を平和にするかもしれない。これからの時代は、アンタたちが作るのよ」
おお、そうだ、ありがとう。と周りの大人たちが口々に言う。
「だけど、だけど……俺の……」
泣きべそをかく青年を見て、ヘレンはなんとかしてなぐさめてやりたくなった。戦争を戦い、生きのび、またふたたび戦場へ赴こうとしていた矢先、そのハシゴを外された憐れな青年に、なんとか感謝の念を伝えてやりたかった。
だが、どんなに言葉をかけようと、青年の胸にぽっかりと空いた穴を塞ぐことは、けして出来ないだろう。彼の憎む敵は、もういないのだ。
「俺は……おれは……」
ヘレンは青年に近づき、その細い首に手をまわした。つま先で立ち、おもいきりキスをする。
「!」
青年は一瞬驚いて抵抗しようとするが、唇を合わせたヘレンの息遣いを感じて、力を抜く。
パシャ!
誰かがカメラのシャッターを切る音がする。商売柄、ヘレンはそれが写真家の持つような、大型のカメラだと知る。誰だろう……?
だが、そんなことはもうどうでも良かった。
太平洋における戦争はひとまず終わったのだ。この国の男たちはずいぶん自信をなくしているかもしれない。それは、これから私たちが癒してやらなければならない。
まわりが驚き、ついで拍手をしだした。
ヘレンはそのポーズのまま、しばらく青年のぬくもりを感じていた。
◇◆◇
ようやくリベリアの海岸が見えてきた。
ごつごつした岩礁に、ヤシなどの木々が立ちならぶ。
真っ白な浜辺は、いかにもアフリカの自然がそのままだった。
こんなちっぽけな港には、とても巨大な艦隊が停泊できそうにない。草鹿はそれを空母翔鶴の艦橋から双眼鏡でながめていた。
(うーん、こりゃ大発動艇を出すしかないな)
アフリカ南東部の島国、マダガスカルでの油田採掘交渉を終えた草鹿たちが、喜望峰をまわってこのリベリア近海に到着したのは、大本営から原爆実験成功の極秘電文を受けとった直後のことであった。
文字数にして三千にもおよぶ長電の内容をなんども検討したすえ、草鹿はこの米国の属国であるリベリア政府に、正式な特使を送ることにした。
日本からの電文にはこう記されてあった。
『……しかるべき約定をかわし鉄鉱石の採掘権を至急取得されたし。なお、この取引は正式なる輸入であり、対価の支払いは当然なるも、戦艦大和、および武蔵の見返りとして、相応の鉄材を無償にて受け取ることを最低の条件とする。その量、およそ十二万トンである』
要約すると、まさかまさかの、鉄で返してもらえ、である。
たしかに、新しい時代には無用の長物とも言える両艦だが、血のにじむような現場の努力と、国家予算の一割にもおよぶ執念がこめられてある。ならば誠意を見せよ、という密かな強弁がそこにはあった。
「それにしても、大和と武蔵は惜しい! なぜ勝ってる戦争にこちらが譲歩せねばならんのか」
隣の山口多聞が、すべての軍人を代表するように、口を尖らせた。
彼にしてみれば、それこそ米艦の十隻も差し出させてこその講和だ、くらいに思っているのだ。
草鹿はそっとたしなめる。
「ま、ま、お上の御裁定ですから……」
「それにしても……」
と、まだなにか言い足りない山口に、草鹿が続けた。
「ときに、信濃は海上公試がはじまるそうですよ」
「ほう!」
『信濃』とは、現在世界最大の新型空母へと改装がすすんでいる大和型戦艦の三番艦のことだ。それが海上公試――いよいよ、実際に海に出て試験運用をはじめるというのである。
「大和去りて信濃来る……ですかな」
「ええ、夕べの通信では、なにやらその構造的欠陥を南雲長官が見抜いて、進言もされたようで……」
「へえ……南雲さんが」
山口が真剣な表情になる。
「はい。厚さ四十センチもある鋼鉄の防護アーマーの接合リベットが脆弱なのに気づかれて、その数を三倍にするよう提言されたそうです。いやはや、南雲長官の慧眼には恐れ入ります」
「むう……南雲長官の肝いりでは、とんでもない空母になりそうですな」
「いかにも」
「おっ、海岸に向かえが来よりましたぞ」
やはり隣で双眼鏡を構えていた角田がなにかを見つけたようだ。
草鹿がその方向にレンズを向けると、大勢の現地人が正装をして海岸に並ぶのが見えた。わずかに軍隊らしきものもいて――今の草鹿たちから見るとお話にはならないものの――彼らなりに威厳を見せようとしているのがわかる。
「では、われわれも参りますか」
「ですな」
「いいでしょう」
草鹿は双眼鏡を外して振り返った。
「吉田特使にご連絡を。各艦の陸戦隊は至急準備せよ」
「はッ!」
連絡の兵が敬礼をして去っていく。
それは空母瑞鶴の特務室で待機している外交特使、「吉田茂」を筆頭とするリベリア王国上陸隊への連絡であり、未来永劫に渡って大日本帝国の鋼鉄を賄う、画期的貿易のはじまりでもあった。
世界の反応はおおむね良好。どの国の民衆も、うんざりする戦争の終わりはきっと歓迎されるものでしょう。 ご感想、ご指摘にはいつも励まされております。ブックマークをよろしくお願いいたします。




