アメリカ、呑む
●64 アメリカ、呑む
ついに、大日本帝国からの最終通告が、グルー元大使よりアメリカ合衆国大統領にもたらされた。
ホワイトハウス大統領執務室には、リーヒ海軍大将、フランクリン・ノックス海軍長官、事実上の空軍長官である陸軍のヘンリー・スティムソン陸軍長官、そして、ジョージ・C・マーシャル陸軍参謀総長が集められている。
「原爆実験はどうあってもやるが、その他はこちらの要求を呑む、ということだ」
黒い皮製の椅子に座り、両肘を執務机についたルーズベルト大統領が、身を小さくして座っている軍の閣僚たちをするどく睨んだ。
「日本はよほど原爆に自信があるらしい。合衆国にとっても、これ以上、決定的なアドバンテージを認めることは耐え難い屈辱だが、相手がどうあってもやるというのを、もはや止めるすべはない」
ルーズベルトは深い息を吐いた。
「教えてくれ……合衆国のとるべき道は? 戦争は継続すべきかね?……ビル」
そう水を向けられて、リーヒ海軍大将が脱力したようにうつむく。
「そうですな……もし継続するとしたら、やれることは潜水艦戦でしょうな。通商破壊を行い、日本の資源を断つ。その間に我が国は空母を整備し……」
「そして、ナグモにまたやられるのかね?」
「……」
もはや皮肉ではない。それを否定する材料は、ここにいる誰にも持ち合わせてはいなかった。
「諜報によれば、やつらはマレーの西を通る海上輸送ルートに空母を配備し、潜水艦を徹底して駆逐しているそうじゃないか。このままではアジア全域が彼らのものとなる既成事実が積みあがってしまう。はっきり言おう。それならば、いっそアジア連盟を設立して、それを国際連盟の下部組織としてわが国や英国の管理下とする方が得策ではないかね?」
「お言葉ですが大統領」
ノックスが真剣な面持ちで発言を求めた。ルーズベルトが言ってみろ、とばかりに顔を向ける。
「戦争が長引いて困るのは日本の方ですよ。だからこそ、連中はわれわれの要求を呑んできた」
「問題は既成事実だと言っておるのだ!」
大統領が机をパン、と手でたたく。
「いいか。連中は今やアジア各地を抑え、資源の海上輸送を確保し、朝鮮半島も、中国の一部も、自分たちのものにした。これでミッドウェーやハワイや、ヘタをするとオーストラリアが陥落したら、いったいどうなるのかね? やつらが、もし、わが合衆国に上陸してきたら? われわれはロッキー山脈で防衛しなければいけなくなるんだぞ?」
執務室内が静まり返る。
そう言われて初めて、古今未曾有の国難がこの栄えある合衆国に襲いかかっていることに気づいた。
「時間稼ぎをしているあいだに、やつらがさらに多くの領土や強力な武力を手にしたら、どうする? 認めろ! われわれは、負けているんだ!」
「……ま、負けてはおりません!」
それまで黙っていたマーシャル陸軍参謀総長が口を開いた。
「わが陸軍は断じて負けてはおりません。彼らを迎えうち、かならずや……」
「それで、君はロスアンゼルスやワシントンに原爆を落とされたら、どう責任をとるのかね?」
大統領のするどい視線に、マーシャルが押し黙る。
「そ、それは……」
「われわれは合衆国の国民を護らねばならん。講和をすればそれは叶う」
遠くを見るような目になる大統領を、軍人たちは眩しそうに見た。
「あとはわが国の名誉と国民感情の問題だ。彼らの象徴のような戦艦を二隻沈め、その直後に対独戦を見越して手を握る道筋が、唯一の方法なのだ」
「……いずれにせよ」
沈黙ののち、ノックスがため息まじりにつぶやいた。
「原爆実験を見るとしましょう大統領。それが張子の虎なのか、それとも脅威の新兵器なのか、われわれはまだ、誰もわかっていないのですよ」
こちらはジョセフィン・マイヤーズである。
一晩中電気を消した控えの部屋で悩んだせいか、アクビばかりが出る。
それでも、ジョセフィンは眠る気になれなかった。
彼女は今もマッカーサーとともにハワイにある合衆国太平洋艦隊の指令部にいて、スーパーフォートレス・B29の発進命令を待っていた。それが意味するところは、大日本帝国が戦艦二隻を差し出したということであり、すなわち日米が停戦講和の妥協点にいたったと言う証左でもあった。
最後の賭けだったカサブランカ級空母による攻撃は、全艦の喪失という最悪の結末を迎え、もはや彼女の眼には日本との講和しか手がないように見える。
だが、闘争というものが、必ずしも理性的な結論に達するとは限らないものであることを、聡明な彼女は理解していた。負けていても負けを認められない大人たちはいつでもいたし、フロンティア精神の塊のようなこの国の男たちには、それが到底容認できないものだということも、よくわかっていた。
「閣下がお呼びです」
館内電話に秘書室から知らせがあった。
どうやら、マッカーサーが目覚めたらしい。ジョセフィンはくしゃくしゃの金髪を少しだけ整え、鏡で顔を軽くチェックすると、老司令官の執務室に向かった。
ノックをする。いつもの自分流のノックだ。
「入りたまえ」
「失礼します」
窓を開け放ち、腰に手をやったマッカーサーがそこにいた。
「おはようございます閣下」
「君に急ぎやってもらいたいことがある」
「なんでしょうか」
「対日アジア戦略の構築だ。それと経営に関する組織の提案書を作りたい。まずはアジア各地の資源とその量を算出しろ」
「……と、申されますと?」
ジョセフィンは一瞬、この老司令官が呆けてしまったのかと訝った。この戦時下にあって、アジアはまさにその焦点となる戦果の対象だ。それをいまさら戦略などと、悠長なことを言ってなんになるのか。
それが表情に出たのか、マッカーサーは破顔一笑した。
「おい、しっかりしてくれたまえ。対日講和がなったら、次はアジアの共同管理だろう」
「……あ」
そういうことか、とようやく合点する。
「で、では……」
「ああ、ワシントンは条件を呑むらしい。原爆実験が成功したら、だがね」
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