やる!
●63 やる!
大日本帝国、大本営本部。地下会議場。
ここはコンクリートに囲まれ、いかなる空襲があっても被害が及ぶことがない設計になっている。この時代には珍しい空調も完備され、室内はつねに快適な温度に保たれていた。
深夜、御来臨あそばした陛下が、無言のまま、最後の決断を参加者の面々に迫っている。どの顔も疲労の色が濃く、もう討議の時間はそれほど残されていないことを物語っていた。
彼らの会議のテーマは、むろん日米英の戦争終結に向けた諸条件に関してである。もっと言えば、原爆実験を中止するか、強行するか、の一点に絞られていた。
米国の示した講和条件はこのようなものだった。
一 原爆実験の中止
二、アジア連盟を設立し、信託統治を日米英により共同運営する。ただし議長国は大日本帝国とする。
三、大和と武蔵の破壊容認
四、三国同盟の破棄
五 日本の国際連盟への復帰
ただし、これを聞き入れたら即刻中止すると言っていた空母艦隊の攻撃はすでに行われ、南雲はそれを見事撃破してしまっている。
であれば、なにも言うことを聞く必要はないではないか、というのが現閣僚たちの意見だった。戦争を継続すべし、というのが軍人たちの、当然と言えば当然の主張だった。
対する外務大臣 東郷茂徳と、企画枢密院 鈴木貞一――すなわち陛下のご意思――は、それはそれとして、講和は進めねばならず、だとすると原爆実験をやめるべきだ、という意見だった。
刻一刻と報告されてくる戦況に一喜一憂した夜はもう過ぎていた。とにかく南雲は勝ち、海軍大臣の嶋田繁太郎と、海軍軍令部総長 永野修身は大いに面目を立てるとともに、発言権を増していた。
彼らが原爆実験の強行を主張することに、内閣総理大臣兼陸軍大臣の東條英機も、陸軍参謀総長の杉山元も反対できずにいる。
もっとも、彼らとて同じ軍部の人間であるから、本音は原爆という魅力的な破壊兵器はなんとしても手に入れたい。管理を海軍から大本営に移行させることが決議されたこともあって、実験には大いに賛成であった。
菊の御紋を背に、終始無言であった陛下がついにお言葉を発せられたのは、二度目の休憩を終えた、午前五時であった。
みなが立って迎えるなか、最後に議場に入られた陛下は、着座せず、こう仰せになられた。
「みなの意見はよくわかった。夜を徹しての論議、御苦労である。本日の原子爆弾実験が米国の戦争継続の意思をくじき、講和への道を開くものであるのであれば、大和、武蔵の犠牲はいたしかたなかろうと思う。米英の意見が反映される大東亜の経営は、みなに一方ならぬ苦労をかけると思うが、ありていに言って話し合いで決せぬ時が戦争であるので、まずは話し合いによる解決を目指すのが順序であろうと思う」
議場内がしん、と静まり返る。
全員、一言一句聞き逃すわけもなく、即座にそのお言葉を噛みしめる。
それはすべての議論を一気に決するに等しいお言葉であった。
講和のためにも原爆実験は有効だからやる。その代わりに大和、武蔵の破壊は容認する。亜細亜の共同管理は受け入れるが、話し合いで決さねば、その時は戦争になる……。
よく聞けば、含蓄のある、明快すぎるほど明快なお言葉であった。
ようやく陛下が御着座になる。閣僚たちはまだ、立ったままだ。
東條総理が静かに頭を下げ、ようやく口を開いた。陛下になにかを決めさせてはならぬ。責任は閣僚がとらねばならぬ、と必死に頭をめぐらせる。
「これより、閣僚において最後の話し合いをいたし、議事を決しますゆえ、しばらくお待ちください……」
記録からは陛下のお言葉を削っておかねばならぬ。だが、この後はあっという間に、議論は決するだろう。そして、この決定をアメリカ合衆国がどう捉え、戦局がどうなっていくかはどうであれ、わが国の意思は間違いなく決したのだ。これでよかった、と東條は頭を下げたまま、思った。
しばらくして、全員が着席する。その時になって、東條はようやく全員の顔を見ることが出来た。
どの顔も、安堵に満ちていた。
「……というわけで、原爆実験はやる。大和と武蔵も差し出す」
おれは甲板で山本さんと会い、大本営の決定を聞いていた。
「そりゃ良かったですね。勝ちに乗じて全部突っかえす、とか言い出したらどうしようかと思いましたよ」
「ま、このあたりが潮時だってことだ。長引けば、それだけ不利になる」
「ですよね」
鉄柵にもたれ、朝日に輝く海原を見つめる。どこから来たのか、一羽の白いカモメが飛んできて、おれたちのすぐそばの鎖にとまった。
「じゃあ、原爆実験、やりますよ」
「ああ、派手にやってくれ」
「まあ、どっちにしてもやるつもりでしたけどね」
「ほう、奇遇だな」
「?」
山本さんがニヤリと笑う。
「実は俺もそう言おうと思ってた。無線が故障して富嶽に連絡がつかないからやるしかありません、とな」
「マジですか!」
「うん、マジだ」
顔を見合わせて笑う。
右舷の上空を見あげる。
「とはいうものの、うまく爆発するかなあ」
首をかしげる。地下核実験はすでに成功していたが、投下型の実験はこれがはじめてだ。だから、うまくいくかはわからず、一抹の不安があった。
「……失敗したら、最初からなかったことにすればいい」
「はい?」
「アメリカはするなって言ってるんだし、なので止めときました、でいいんじゃないか?」
「あ――」
この人、意外にワルだった。
「でも、見たいなあ、キノコ雲……」
泣いても笑っても、結果は今日出る。富嶽は高高度を飛来してくるから、今のアメリカに邪魔されることはないし、よもや淵田の操縦に失敗はないだろう。
迎撃不可能な高高度爆撃機と原子爆弾。富嶽と原爆の連携投下こそが、アメリカや世界に衝撃を与え、この戦争を一気に終わらせる大きな要因になるはずだった。
「あの、南雲くん」
ふと見ると、山本さんが不思議そうな顔をしていた。
「なんですか」
「その……キノコ雲って、なんだ?」
「あ」
おれは思わず口を手でふさいだ。
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