空のチキンレース
●57 空のチキンレース
F8Fベアキャットは優秀な機体だった。全長が八・四メートルと、ゼロ戦よりも小さいのに、最大二千七百馬力のエンジンを積み、最高速は時速六百キロ台後半を叩きだす……。
(迅い!)
空母赤城航空隊の高橋赫一はそう思った。
疾風の二千馬力エンジンで必死の格闘をしていても、逃げられれば追いつけず、旋回で逃げても徐々に差を詰められる、彼にとっては名も知らぬ、そんなこの新型機に、高橋は驚きを隠せなかった。
一刻も早く敵艦隊への攻撃に向かいたいのに、自軍、とりわけ空母艦隊の防衛でごそごそしているようでは、どうにもならない。懐に入れたままの銀色のテープは、いったいなんのためにあるのか……。
また一機、惜しいところで逃げられ、奥歯を噛みしめたところで、無線が入る。
『赤城直掩隊は空母上空に参集して、噴進砲搭載型の雷撃機を墜とせッ! ただし、護衛艦隊には接近するな。連動高角砲で撃たれるぞ』
源田航空参謀からだ。
高橋は艦隊周辺からすぐに空母赤城の上空へと向かった。
目を凝らして噴進砲搭載とやらの雷撃機を探す。翼の下に四本の噴進砲を抱いた雷撃機は、その影だけですぐにわかった。しかも、二機いる!
赤城からの砲撃は止んでいる。きっと、仲間の戦闘機を誤爆しないためだろう。安全を確かめると、高橋は無線を取り上げ、僚機たちを同じ空域へと誘導する。
眼下に見える空母赤城は、全速で航行しながら、迫る何本もの雷跡を必死に躱している。ついには砲塔を下に向け、水雷を砲撃しはじめた。
(赤城、がんばってくれよ……)
空は俺たち飛行機乗りの責任なのだ。まずはあの噴進砲を積んだ雷撃機をやっつけねばならない。
その雷撃機を追い、背後へと回りこむ。空母に降下していこうとするそいつに一撃離脱を画策する。しかし新型戦闘機が邪魔をしてくる。
ガガガガガガガガガ!
「おっとお!」
曳光弾を宙返りしてかわす。
どうやら旋回や横転してのひねりこみは、こちらの方が分がいいようだ。
ひるがえって針路を元に戻すと、数十機が入り組んで飛び回るこの空域に、もう雷撃機は見当たらなかった。
(くそ、またやりなおしか……)
これでは埒が明かない。先に敵の戦闘機をやってしまいたい。
だがすでに真珠湾から八か月、敵機との戦法は巴戦から一撃離脱に変わってきている。追っても追いつかないやつは、あっさりあきらめた方が良いというのが常識になって来ているのだ。深追いは危険だ。
疾風を追う別の敵機が見えた。
あれは発艦の時に言葉をかわした緒方飛曹の疾風だ。敵は今にも緒方機に追いつきそうに見える。
高橋は無線を取り上げた。
「緒方、合図したら宙返りじゃ」
『おお、高橋か』
戦闘機乗りは阿吽の呼吸で通じあえる。それだけで、緒方は自らの危機を察知し、連携動作を求められているのだと知る。
『いつでもいいけん』
「よし……今じゃッ!」
ガガガガガガ!
敵からの曳光弾が奔る。
緒方機がぐいっと機首を持ち上げ、針路を変える。その動作を見て、追っていた敵機は速度を落とす。これもまた、追わずに次の獲物を探すつもりだろう。
だが、高橋はそれを待っていた。気づけば抜群の位置どりだ。機首を下げ、新型機にぴたりと照準を合わせる。
ガガガガガガガガガ!
新型機に曳光弾が吸い込まれていく。
ガガガガガガ!
ビシビシビシ!
手ごたえがあった。やや上方から左に舵を切る敵機を、二十粍機銃が丸く突き出た特徴的なキャノピーを吹き飛ばし、さらに右側のつばさへと舐めていく。
ドドン!
火を噴き、ぐらりと転回した敵機は、失速して墜ちていった。
『……すまんのう』
「おう、お互い様じゃきん」
軽く翼をふって上空へ行く友軍機を見送る。だが、もちろんこれで終わりじゃあない。本当の狙いはあの雷撃機だ。
海上に小さく見える空母赤城上空を、高速の螺旋で駆け上がる。高度三千で安定させ、噴進砲の機を探す。
プッシャ――――!
視野の端に、低空から噴進砲を発射した敵機が目に映る。
ド―ン!
赤城の後部甲板を噴進砲が直撃している。破壊力はそれほどなさそうだが、黒い爆炎があがり、確実に被害はありそうだ。何発ももらったら、それこそ、自分の母艦を失うことになる。
(いかん!)
目をしっかりその雷撃機にやり、操縦かんを倒す。他の戦闘機もどうやら狙いは同じらしく、さかんに機銃を撃ちかけている。
高橋は上空へいったん逃げようとする雷撃機を追いかける。その機体は大きく旋回して、こんどは艦隊を先導する重巡愛宕に向かっている。
(ありゃ、連動砲で撃たれるぞ……?)
案の定、連動高角砲が火を噴く。
ドンドンドンドン!
あわてて針路を変え、旋回した雷撃機と向かいあう格好となった。距離は約千五百メートル。高度は同じく二千。
(えい、このまますれ違いざまに撃ってやれ)
操縦かんをしっかり握りしめる。
スロットルを押し、雷撃機に向かっていく。
ピュンピュンピュン!
曳光弾が飛来する。雷撃機なのにたいした銃撃だ。高橋は横転し、かわしながら一回転して照準を合わせて行く。
距離はすでに半分ほどになっている。小さな点だった敵機は、もう機影がはっきりとわかる。逃げる気はない。意地になっているのか、敵機もまっすぐに向かってくる。こちらが見えていないはずはないのに、針路をまったく変えようとしない。
(キサマ、根性試しかッ?)
思った瞬間、敵の翼から火花が散った。噴進砲だ!
プシャアアアア―!
「うわああ!」
反射的にさっきとは反対の方向へ横転する
噴進弾が明るい光跡となって飛んでくる。
高橋は歯を剥き機銃レバーを押す。
ガガガガガガガガ!
二十粍と十三・七粍を同時に撃ちこむ。
シャアアアアァァァァァ!
光跡が右上方にずれる、その間も機銃は止めない。
……ガガガガ!
ドガガガン!
相手がなにかに引火して爆発するのが見えた。
胴体と翼が折れ、四散する。黒煙があがり、破片とともに迫ってくる。
高橋は瞬間の判断でその隙間へと機体を導いた。機体と自分は一体となり、すべての神経がつながっているように思えた。
気がつけば、爆発した雷撃機を通り過ぎ、愛宕に近づきすぎている。
(おっと!)
旋回しながら、高橋は無線を取り上げた。
「こちら高橋。噴進砲をやった。残るは一機だ」
機体を反転させると、二キロほどの海上に、いくつかの爆炎と、曳光弾が交差するのが見えた。
レシーバーに声が入る。
『そいつは俺がやったきに』
緒方の声であった。
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