南雲の精神論
●43 南雲の精神論
おれは情報管理室に陣取り、無線のチャンネルを次々に切りかえながら、空戦のようすを聞いていた。
「一機撃墜確実!」
「うおおおおおッ」
「まわれ!まわれ!」
各隊のチャンネルは、そのまま空戦の激しさを物語っている。
戦況は悪くない。敵はまっしぐらにマーシャル諸島を目指しているが、迎撃隊も懸命に追いすがり、戦果をあげているようだ。だが、なにぶん敵は多く、戦いは長期戦の様相を呈している。
おれは手に汗を握って、無線に耳を澄ませていた……。
飛龍航空隊の島田直一飛曹は、小さいころから運動神経がよかった。
相撲や体操、卓球や野球、なんでもそつなくこなしたし、自他ともに認めるスポーツマンだった。海兵になって、あこがれの飛行機乗りとなってからも、指導員が舌を巻くほどの操縦技術を披露した。横転や宙返りはお手の物で、演習でもただの一度も後ろをとられることはなかった。
敵が後ろから雨あられと撃ってきた。
曳光弾に気づくとほぼ同時に、島田は本能的に避敵行動をとる。スロットルを引き、ダイブレーキをかけると敵は頭上を通り過ぎてしまう。
(しぇからしか!)
すぐ機首をもたげて高度を上げると、十三粍機銃を撃ちかけた。
ババババババババ!
キャノピーが血に染まり、がくんと失速したF6Fが、煙を吐いて墜落していく。そのようすを、バンクして見届けた。
(これで三機目……)
ひといきついて、計器や残りの弾を確認する。まだいけそうだ。
『……戦闘機およそ五十、雷撃機四十、爆撃機はわずか』
坂井飛曹長の無線を思い出す。つまり百機は獲物がいるわけで、今日という今日は、一気に撃墜数を増やせる気がする。今まで撃墜王になれなかったのは、敵にめぐまれなかったのだ。
舌なめずりして島田は大きくバンクしたまま北への針路をとる。高度は高ければ高い方がいい。天候の関係で、七千以上は雲が厚くてどうにも視界が悪くなるから、現在の六千五百あたりで敵を探そう。
音がふっと少し静かになった。
気がつけば聞こえるのは自分が乗る五二型零戦のプロペラ音のみで、あたりに機音が聞こえない。敵を見失ったか。いや、敵どころか僚機も見当たらない。
(しまった。はぐれてしまった)
速度を緩めてみる。徐々に高度を落としていく。雲間が絶え、群青色の海上が見えてくる。夕方の空気が冷たくなっている。
だめだ見当たらない。反転しよう。
そう思って宙返りしながら機体を捻ったところで、とつぜん高空から突撃してくる敵機が見えた。それも二機だ。
ダダダダ、ダダダ、ダダダダダ!
ピュンピュン、ピュンピュン
左右を挟まれるように銃撃される。両側を攻撃されては避けようがない。操縦かんを倒して右に横転、左へ横転する。身体にかかる重力の方向で水平を判断して機体を安定させる。
二機の敵は垂直にS字を描くように飛びはじめた。二機とも、逆かもめ型の翼をしていた。
「二対一かい。上等じゃわ」
煽るようにぐいぐい上昇するが二機も追随してくる。速度は遅いが、飛行士の練度は悪くなさそうだ。しかも一機を追うと、かならずもう一機が後ろに着くので、やりずらい。
そうこうしているうちに、雷撃機が低空を飛行していくのが見えた。
(ああ、こいつらはアレを護っとるんじゃな)
島田は雷撃機に向かって突撃していく。この角度なら同士討ちをおそれて撃てまい。
ダダダダダダ、ダダダダダダ!
「あッ!」
雷撃機の後方機銃が火を噴いた。うっかりそのことを忘れていた島田は、面食らってバンクする。そこへ戦闘機がまた攻撃をしかけてくる。
バババババババ!
ピュンピュン!
バスッ!
(まずい!)
胴体後方に被弾した機体が不気味な音を立てた。
ピュンピュンピュン!
コースを変えるが曳光弾はどこまでも追ってくる。しかしわずかに自機の方が早かった。なんとか逃れ、態勢を立て直す。
「おのれえええ」
カッと頭に血が昇る。気がつけば、味方とはぐれた空域で三対一の戦いに巻き込まれてしまっている。いかに戦闘機が零戦で、腕に自信があると言っても、この状況には無理がある。
(無理もクソもなか!)
島田は全身が熱くなるのを感じた。
ぐいっと操縦かんを倒して一機の戦闘機に突撃する。もう一機が後方に回ろうとするのを利用して横転し、逆さの状態で反転する。後方の一機があっと言う間に近づき、敵が慌てて遠ざかろうとするのを無理に機体を寄せてていく。
アメリカ兵が恐怖に目を見開いた形相でこちらを見ている。
「死ねや!」
米軍機の数メートル真上を交差する瞬間、横転して翼の先でキャノピーを抉った。
ガシャン!
敵の頭をつぶした。敵機は失速してがくんと機首を落とす。
だがこちらも翼に衝撃を受けてくるりと横に回転してしまう。そのおかげでもう一機が目に入る。
「しぇからしかああああ!」
全弾をぶちこむ。
ガガガガガガガガガガ!
ドガアアアン!
敵が逆かもめの翼を飛ばされ、キリキリ舞いをする。そのまま雷撃機を探して急降下する。ミシミシと自機の構造材が音を立てる。
(いたッ!)
操縦かんを押しこむ。雷撃機がぐんぐん迫る。また後方機銃が撃ちかけてきた。
ダダダダダダダダダダダダ!
左に躱し、右に躱し、最後は互いに銃撃しあう。
ダダダダダダダダダダダダ!
ガガガガガガガガガガガガ!
がんがんがん!
零戦のプロペラが被弾して火花を飛ばす。動きがおかしくなるのを構わず撃ちまくる。
ガガガガガガガガ!
後方機銃手がまずガクンとのけぞった。
こうなったらあとは撃ちたい放題だ。機銃痕が前方へ胴体を舐めるように走り、飛行士をやったところで、とうとう雷撃機が失速した。
雷撃機が煙を吐いて墜ちていく。
島田はそれを見ながら、スロットルを押すが、さっきの被弾でどうにかなってしまったのか、高度がじわじわと落ちていく。プロペラが曲がったか、あるいは角度がおかしくなったか。
(ああ、これまでじゃな。戦闘機五機、雷撃機一か……)
まずまずの大戦果だが、帰り着ける自信はなかった。とにかく、報告だけはしておこう。
あきらかに変な動きのプロペラを見ながら、島田一飛曹は無線機をとりあげた。
「こちら飛龍島田、当機ははぐれた。敵戦闘機五、雷撃機一を撃墜確実とするも、交戦によりプロペラに被弾したため飛行不良。徐々に高度が落ちる状況なれば、いさぎよく靖国で待つことにする。あとの指揮は脇園二飛曹がとれ。天皇陛下万歳」
無線の最後に、深呼吸をひとつする。
高度は約五千まで落ちた。グライダー飛行でもその一・五倍だから飛べるのは四千マイルほどだ。とても艦隊には届きそうになかった。
ま、思い残すことはない。島田はそう思った。
やるだけのことはやったし、敵も倒した。博多に住む両親が唯一気がかりだが、このことはきっと同僚が伝えてくれるだろう。
そう思ったとき、思いがけず無線が入った。
『ばかたれ!』
だ、誰だ?!
『しまだあ。いい根性してるじゃねえか。陛下から預かった戦闘機はちゃんとお返しせんかい!』
南雲長官の声だった。めずらしく伝法な口調だ。
「しかしプロペラが……」
思わず言いつのるのを、怒号が打ち消す。
『じゃかあしい!根性で帰ってこいや!根性で!キサマ、根性ねえのか!』
(あんた、精神論が嫌いじゃなかったのかよ……)
思わず吹きだす。せっかく死を覚悟していたというのに、すっかり気が抜けてしまった。仕方ない。やるだけやってみるか……。
島田はレシーバーを抑え、こう言った。
「はッ!島田飛曹、帰りますッ!」
百人いれば百人の人生がある。攻撃隊と迎撃隊の追いつ追われつの戦いが続いています。ところで島田飛曹の斃したのはなんという戦闘機でしょうか(謎微笑 ご感想、ご指摘にはいつも励まされております。ブックマークをよろしくお願いいたします。




