通り過ぎゆく敵
●41 通り過ぎゆく敵
高橋赫一は空母赤城の攻撃隊を率いて太平洋をまっすぐ南下していた。敵艦隊の位置はナウル島の中攻が突きとめ、なんと雷撃までやったとの朗報だ。われわれも負けてはいられない。
体調に不安はなかった。前回の海戦では長時間海に浸かり、その後しばらく泥のように眠ったが、今はもうすっかり回復して、久しぶりの戦闘にむしろ血が滾っている。
『A1より高橋』
雲海が開けたところで無線が入った。鈍く光る海面をはるかに見下ろしながら、レシーバーを口にあてがう。
「こちら高橋」
『源田だ。よく聞いてくれ。攻撃隊は戦闘機二十を含む八十四機編成とする。爆雷攻撃機はそのまま貴官の指揮下に入るが、残りの戦闘機はすべて坂井少佐が指揮をとり、RとJの守備にまわる。貴官らは連携し、相互の要請あらば隊を分けて救援にむかえ』
RとJは龍驤と隼鷹のことだ。命令に従えば、護衛機は半減したことになる。海兵五十六期の高橋が、攻撃隊の指揮を執るのはおかしくないが、どうやら攻守臨機応変の判断を求められるらしい。
高橋はもうクセになった翼を振り、レシーバーに向かって、諒解とだけ言った。
僚機がならび、轟々とプロペラ音がなり響く。
こちらは空母からわずか十五機で発艦した坂井の攻撃隊である。
高度三千の空はあいかわらずの曇天で、風もかなり強い。ともすればもっていかれそうになる翼をなだめすかしながら、坂井は雲を避けるルートを選んだ。
『A1より坂井隊』
「こちら坂井」
『航空参謀源田である。空母龍驤の海域にて戦闘機を率い、迎撃に徹せよ。なお、直掩機の一部も合流するため、総数は八十八機となる。貴官はその指揮を執れ』
(俺に龍驤を守っておれと……?)
ナウル島から北方に約五十マイル海上の空域で、坂井三郎は耳を疑った。これから敵艦隊を攻撃すべく、血気逸っていたというのに、どういうわけだ?
「坂井よりA1、確認する。戦闘機八十八で迎撃隊を編成するのか」
『その通りである』
艦隊指令部の命令を無視するわけにもいかない。空母四隻の直掩が俺の指揮下に入り、およそ三十小隊の指揮を執らねばならぬことになる。
坂井はレシーバーを口元に引き寄せた。
「坂井了解」
のんびりとはしていられない。作戦をたてねば……。
まずは高度を変えて敵を迎え打つとしよう。坂井は与えられたチャンネルに指示を送る。龍驤の南方で待ちかまえ、高度を分散して待機させる。蒼龍隊は金杉少佐、飛龍隊は島田飛曹が率いていた。
「迎撃隊に告ぐ。R方位角百八十、距離一万に集合し旋回待機せよ。旋回計四度。各小隊は距離をとって六マイルに分散して電探索敵のこと。高度を指示する。Aは六千、Kは五千……」
数字は符牒に変えて指示を飛ばす。
各隊から確認を経て、無線を置くと、今度はチャンネルを自分の隊にしぼって指示を送る。
それにしても、無線がこれほど進歩したのはありがたいことだ。確かにこれなら、今までよりずっと即時的な作戦行動がとれる。今回の命令も、きっとそうした進歩を実戦でためそうとでもいうのだろう。
坂井は気を引き締め、大きく旋回した。
五分とかからず、空母龍驤と隼鷹の海域に帰ってくる。
坂井は流れる雲の合間にその姿を確認した。白い波跡をけたてて進む木の葉のような空母艦隊の姿に、坂井は不思議な愛着を覚えた。二隻は龍驤を先頭に縦列で航行しており。周囲をわずかな駆逐艦が随行している。
僚機を引き連れ、あたりを旋回してすごす。そうこうしているうちに、次々に迎撃の友軍機があらわれ、あたりの海域はたのもしくなった。決められた高度についたと、無線にも仲間の声が聞こえる。
『電探反応ありッ!』
そう叫んだのは空母加賀の金杉隊だった。ただちに無線で友軍機ではないことを確認する。
坂井はただちに高度をあげつつ、戦闘態勢に入る。敵襲の方位に白く煙る高空を睨むと、やがて遠くの空に、無数の編隊が見えてきた。
(な、なんだ、あの数は……)
坂井は一瞬、わが目を疑う。
数十機の編隊が、見るかぎり十ほどもある。
先んじて飛来したグラマンが、腹を見せてぐわっと上昇していく。あれはたぶん、この前の海戦で戦った最新鋭機か。一撃離脱を狙っているのだろうが、小型で動きが力強く、なによりめちゃくちゃ速い。
空戦において、速度はなにより重要な要素なのだ。交差して追いつけなければ、迎撃はそれまでとなる。
(こりゃあ、えらいことになった……)
坂井は本能的に気を引きしめる。
敵の編隊を見るまでは自分は戦闘に参加せず、などと悠長なことを考えていたが、これでは数的にも航空機の性能的にも苦戦は必須だ。
坂井は必死に目を凝らす。
さすがに指揮官として突撃はできないが、大きく迂回しつつ、敵の全容を見極め、不利な戦いを強いられている友軍機を掩護しようとかまえる。
敵の編隊は高度をあげ、ますますこちらに接近してくる。友軍機がそれに応じて突撃態勢に入る。
ガガガガガガガガガガ!
友軍機と、高空からの敵機が応射して互いに横転する。
いったん低空へ急降下していった敵のグラマンは、追いすがる友軍機をぶっちぎると、なにごともなかったかのように北へ離脱していった。
(?)
坂井はふと違和感を覚えた。
いつもなら、くりかえし、なんども執拗に攻撃してくるはずの敵機が、実にあっさりと飛び去ったからだ。それもそのはず、肝心の攻撃機たち――腹の下に不気味な爆弾や水雷を抱えた連中は、龍驤や隼鷹には目もくれず、一機も降下していかないのだ。
「こちら坂井。逃がすなッ!追えッ」
そう言っておいて、もう一度観察して愕然とした。
なんと、爆撃機がほとんどいないのだ。
雷撃は命中率は高いが、船からの対空攻撃にはかなり弱い。高度を下げ、至近距離から投下しなければならぬうえ、水平安定航行は、対空砲などの格好の標的となった。
したがって、急降下爆撃とのセットで、対空砲を散らしておき、隙をうかがっての雷撃とするのがこれまでの常識だったのだ。
坂井は無線を口元に近づけた。
「坂井よりA1。R上空にて敵と交戦せり。戦闘機およそ五十、雷撃機四十、爆撃機はわずか。なお、敵は龍驤を攻撃せず北上。くりかえす。敵は龍驤を攻撃せず北上!」
その間にも戦闘機は空戦に入っているが、敵はまっすぐ北へと飛行していく。坂井はさらに檄を飛ばした。
「いかん!追えッ」
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