おれ氏、将棋がヘタ
●38 おれ氏、将棋がヘタ
裏口――おれがそう名づけたナウル島から、一式陸攻発進の報が入る。その後も、多方面からの入電が頻々とつづく艦橋指令室の片隅で、おれは海図を睨みつづけた。
四隻の空母には着艦がはじまり、交代のものたちが今度は南方へと飛び出していく。むろん直掩機や攻撃隊もすでに発艦をすませていた。
「電探に……」
反応はないか――そう言いかけて、口をつぐむ。
そんなことを聞かなくても、あれば誰かがそう叫ぶ。みんな必死にやっているんだから、今はただ、じっと「敵発見!」の一報が入るのを待つしかないのだ。
その指令室に、山本さんがやってきた。
「おーい、南雲くん、持ってきたぞう」
眉をあげ、のんびりした顔でそう問いかける。見れば、手には使い込まれた将棋のセットを持っていた。きっと、無聊を慰めるために持ちこんだものを、兵士たちから借りてきたのに違いない。
「あ、ありがとうございます。今大丈夫なんですか?」
「大丈夫?」
と、山本さんはきょとんとする。
現代風のいいまわしは曖昧で、山本さんには奇異に聞こえたらしい。
「いや、お時間いただけますか」
「うん、いいぞ」
山本さんは意に介さず、おれの腹にその将棋セットを押し当てる。
山本さんの将棋ずきは有名だった。もっとも、山本さんが将棋を指す時って、縁起わるいんだよなあ。たしか、ミッドウェーで大敗を喫したときも、この人、将棋やってなかったか?
「じゃさっそくやるか。……君の部屋でどうだ?」
そう言って、本人はさっさと踵を返した。
おれは後ろを振り返り、
「大石、部屋にいるから」
とだけ告げ、指令室をあとにした。
私室に入ると、山本さんは応接セットに腰を降ろし、早々と駒を並べ始める。おれはため息をひとつついて、それにならった。将棋をやりませんか、と山本さんを誘ったのは、おれだった。
「お先にどうぞ」
そう言われて、おれはあっさり飛車先にある歩を進める。
「……なにか、言いたいことがあるのか?」
目を盤面から離さずに、まるで世間話のように山本さんがつぶやいた。おれは少し考え、両手を膝の上に置いた。
「大和と武蔵のことですが……」
「……」
「南樺太から、太平洋に南下させてはいかがでしょうか?」
「ほう……そのこころは?」
「樺太にいるところを攻撃させるのは少々まずいと思うんです。ソ連には弱みを見せたくない。対米戦がまもなく終わるとしても、その後の太平洋には、大国が軍事力と核で拮抗する見せかけの平和が訪れます。だからソ連にも弱みを見せるような真似はしたくないんですよ」
おれの言葉をじっと聞きながら、山本さんは角の道を開ける。
「そりゃ、そうだ」
「もうひとつは、アメリカへのメッセージですね」
「メッセージ……と来たか」
ちゃかすように言いながら、じっと盤面を睨んでいる。
「ハワイ沿岸、たとえばミッドウェー近海まで引っ張ってきて、そこで旗を降ろして乗員が引き上げれば、大きなメッセージになります。同時に、日本の領土からは遠ざかり、本土はより安全になる。言っておきますが、彼らはおそらくB29を開発してますよ」
「B29?」
「これも諜報情報ですが、高高度大型爆撃機のアメリカ名です。富嶽よりはちょっと小さい四発の爆撃機ですが、航続距離が長く、日本の絶対国防圏を狂わしかねない機体です、……いや、この先の世界じゃ、たぶんもうそういう国防圏という発想は無意味になってしまうでしょうね」
「それが日本を狙っているというのか?」
「そうです。だからこそ、停戦を急がなければならないんです。大本営の決定を待っていては、この機を逃してしまう。長官、大和と武蔵を南樺太から出航させましょうよ。もう、十分ソ連は脅せたでしょうし、世界に大日本帝国海軍の威容を示すこともできた。航空機や噴進爆弾や、原爆の時代に、戦艦は無用の長物です。われわれでしっかり葬ってやりましょう」
停戦条件にこの二つの戦艦を差し出せ、というのがアメリカの言い分だった。これまで負け続け、自国民にも世界にも、いいわけが出来ないアメリカが、最後の面子を保つために考え抜いて出した結論なのだ。
その意図には感心するし、山本さんも同意している。ただ、おれの提案は、それを一歩すすめて、現場のおれたちでその後押しをしようというものだった。
「あれは俺たちのものではない。陛下のものだ」
その言葉に、おれは愕然とする。
この時代の軍人の発想だった。たしかに、そう言われてしまえば、おれには言いかえす言葉もない。
ぱちり、と山本さんが金を動かす。おれはふうっと観念してまた歩をついた。
「大本営にミッドウェーへの艦砲射撃を具申するのはどうだ?」
「え?」
山本さんがふいに言った。
ぱちり。
その意味がつかめず、おれはちょっと戸惑う。
「乗員を数百人にして駆逐艦を随伴させておく。もしも、もしもだぞ? この二隻の目的が途中で変われば、駆逐艦に乗員を収容して引き返せばいい。この作戦は連合艦隊司令長官たる俺の名前で具申する。……ご聡明な陛下も、大本営も、それでわかるだろうよ」
「パイセン、やりますね……」
思わず漏らした言葉に、しまったと思いながら、おれは駒を動かした。
ぱちり。
「なあ南雲くん」
ぱちり。
「なんでしょう?」
「君はすごい男だ。なんというか、稀代の軍略家などという言葉だけでは測りようがないほど、君のやることなすことが、的中する。宣戦布告、数々の武勲、ミッドウェーにウェーク島にオーストラリアにインド洋。電波兵器に口を出したかと思うと、中島をして富嶽を作らせ、ついには原爆だ。君のシンパは今や日本中にいるよ」
「はあ……」
「不肖、この山本五十六もその一人だ。だから、君の言うことなら、協力は惜しまない。そこは安心してくれ。だから、索敵が気になる中を無理して俺を将棋なんぞに誘わなくても、さっさと相談してくれていいんだよ」
「あ、バレてた……」
「だが、ひとつだけ不思議でならんッ」
「はい?」
「なんで君は、こんなに将棋がヘタな、ん、だ!」
ぱちッ!
そう言って、山本さんはおれの角を盗り、自分の角を裏返しておいた。
「ひでえ!」
戦いにおいて、偶然というのはよくあることだ。どんなに戦術を描いて、用意周到に準備をしたとしても、運命の気まぐれがすべてをぶち壊してしまうことはままある。しょせん人間の英知や努力など、運命の神々にしてみれば、塵芥ほどの価値もないのであろう。
この場合、第七五五海軍航空隊の一式陸攻一番機が、それだった。
たった四機でナウル島を発進し、大海原を敵艦隊をもとめて勇猛果敢に飛行したものの、敵はさっぱり見つからず、やっぱりそううまくはいかないかと、搭乗員が諦めかけたその時、運命の神は微笑んだ。
風が厚い雲を運んで、わずかな間隙を生んだ、白一面の空に一筋の光が差し込み、海面を照らすと、帰巣しようと翔んでいた海鳥たちが驚き、急に方向を変えた。
一生懸命に海面のあちらこちらを見ていた偵察員が、それに気づいて、見過ごすはずの遠方の海上に、なにかが黒く蠢いているのを発見した。
「!」
偵察員があわてて双眼鏡を目に当てる。
接眼リングをまわし、次いで焦点リングを合わせる。なかなか見えず、もういちど裸眼で確認する。
……たしかに、なにかある!
こんどは慎重に方向を合わせ、レンズの向こうに多数の船団が白波を蹴立てて航行しているのを確認した。
「敵艦隊発見ッ! 四時の方向!」
偵察員は開け放たれたドアからの風の騒音にまけじと、大声をあげた。
「なに?」
仲間が同じくやってきて、双眼鏡を構える。
「まちがいないか」
「まちがいありません!」
「おおおおおし!」
「位置を確認せよ、無電打て!」
いつもご覧いただきありがとうございます。その人が思ってたより自分を評価してくれていた。そんなときは妙に嬉しいものです。敵発見でいよいよ風雲急を告げる南洋の図。 ご感想、ご指摘にはいつも励まされております。ブックマークをよろしくお願いいたします。




