アメリカの最後通牒
●33 アメリカの最後通牒
長い電話が終わり、執務室に引き締まった貌のマッカーサーがあらわれた。
「合衆国の方針が決まった」
ジョセフィン・マイヤーズはかすかに長い睫毛をあげる。
「マーシャル諸島への総攻撃だ」
一瞬の間があり、彼女はマッカーサーを見つめる。
「……しかし」
「ただし、日本がわが国の条件を飲んだ場合、ただちに攻撃を差し止め、停戦合意となる。ボールは彼らの手にあるのだ」
老司令官は執務室の椅子に腰を降ろし、窓から夕陽をながめた。
茜色の空が、彼の目に強い西日を投げかけていた。
大本営に集まった幕僚たちは、その夜、帰ることが出来なかった。
紛糾した会議がようやくひと段落ついたとき、アメリカ合衆国からの通告が、グルー元大使を通じてもたらされたのだ。
彼らはすぐさまその内容について検討をはじめなければならなくなり、深夜に陛下の来臨が告げられるにいたって、喧々囂々の議論が熱を帯びていく。
「そんなバカなことが飲めるか!」
「現に我々は勝っております。このまま戦争を遂行して困るのは彼らの方です」
「しかし、長びけば資源に勝るアメリカは脅威となりましょうぞ」
「いや、石油も鉄もアルミも、すべて抑えてあるではないか」
「問題はわが国の権益だ。そこが守られるかの保証がない」
「亜細亜の共同管理など、やつらの思うつぼではないか」
「や、大和は……」
やがて、それまでいなかった幕僚たちまで姿を見せ、大本営の地下会議室は、ますます混迷を深めていく……。
おれがその日の仕事を終え、独ソの兵士たちとも交感の宴が終わって宿舎に帰ろうとしたとき、その急報はもたらされた。
「緊急入電?」
「はい。すぐに山本長官と二人で赤城にお戻りくださいとのことです」
山本さんも兵士二名を連れ、すぐにやってきた。
「南雲君、なにがあった?」
「さあ……とにかく戻りましょう」
酔いも冷めやらぬまま、急いで港へ向かう。
宿舎から港までは滑走路を横断して一キロほどある。テントの前にやってきた二台の九五式ジープに乗り、猛スピードで突っ走る。
大発動艇が唸りを上げ、三十分後にはもう赤城の甲板に立っていた。
「お疲れ様です」
小野がおれたちに敬礼して出迎える。
「いったい、なにがあった?」
おれの問いに、小野は首を軽くふる。
「わかりません。とにかくお二人だけになって、第一種警戒無電を受信するよう永野総長より言われております」
永野さん?
「暗号はどうすんの?」
「かぎられた者のみ、が従事いたします」
「南雲君、とにかく急ごう」
山本さんにうながされ、おれたちは赤城の情報管理室に向かう。
部屋に入ると、いつもは百人あまりが机に向かって作業しているというのに、わずか四名だけが緊張した面持ちで待機していた。
おれたちは屏風のようなもので仕切られた一角に案内される。湯呑とやかんが置かれ、喉が渇いていたおれは、注いだ茶を一気にあおった。
「あっつ!」
山本さんはというと、腕組みをして瞑目している。この異様な緊張感の中でも、落ち着きを失わないのは、さすがだよな……。
軽い打ち合わせを終えた小野がやってきた。
「それでは通信をはじめます」
「うん、やってくれ」
山本さんの言葉に、小野は身をひるがえす。屏風で仕切られているので、向こうの様子はよくわからない。
すぐさま作業が行われ、ややあって、小野がB5大のハトロン紙を二つにたたんで持ってきた。それを山本さんに渡すと、机の上に開いてみる。
「「「
永野修身発 山本五十六・南雲忠一
昭和十七年九月五日、アメリカ合衆国グルー元大使よりル大統領ならびにチャーチル大英帝国首相の親書として通牒あり。委細は後段を見るべし。なお、本議については大本営にて閣議せしのち、御前会議を行う予定なれば、貴官らにても熟慮の上その用意を行われたし。
本文
アメリカ合衆国ならびに大英帝国は大日本帝国に対し、以下の各項の実現に向け合意されることを求む。合意せし場合は、マーシャル諸島への空母艦隊による攻撃ならびに日本本土への高高度重爆撃を中止し、米英ともにして日本との停戦協約を締結するものとする。
一、マ島における原子爆弾実験の中止
二、南樺太沖に停泊中の貴超弩級戦艦二隻の破壊協力
三、貴国が占領せし太平洋ならびにアジア各地の共同管理
四、国際連盟への復帰
以上
」」」
「な!」
「ば、馬鹿な!」
当然のように山本さんが怒り出す。
おれだって唖然とするほかなかった。おれの現代的な感覚から言っても、あとの三つはともかく、原爆実験だけはやるべきなのだ。
そうしなければ、核の平和は訪れない。どこまでも通常戦力での戦いが繰り広げられ、おそらくはどこかの国が――このままではたぶんアメリカが――その犠牲になって、さらに戦争は果てしなく続くだろう。
「おれ、原爆はやりますよ」
おれはその紙を見ながら言った。山本さんはぐっと電文を睨みつける。
「くそ。あっちは負けているんだぞ。まるで、まるで勝っている国の言い草だ」
あ、そっちですか?
おれたちはしばらく、その紙を穴が開くほど見つめた。
「三つ目はもうイギリスが提唱していますから、いまさら驚きはしませんね。共同管理といっても、日本を議長にしてくれるらしいんで、悪い話じゃあない。……ま、あいつらお得意の議論に巻き込んで状況を有利にしようって腹でしょうが、大本営は飲むんじゃないかな」
「超弩級戦艦とは、大和と武蔵か……」
山本さんは唇を噛んでいる。戦艦大和は大日本帝国海軍の象徴のような戦艦だ。それをなぜ破壊させないといけないか、きっと今ははらわたが煮えくり返っているに違いない。
「問題はそこですね。長官としては、当然反対ですね?」
「……う、うん」
あれ?
おれはちょっとびっくりして山本さんの顔を見る。
「反対……じゃあ、ないので?」
「あ、いや、むろん反対だ。しかし……」
ふーっと息を吐き、天井を仰ぐ。なんども唸り、腕組みを解いた。
「補償しだいじゃないか?」
「補償?」
「うん、今はもう戦艦の時代じゃない。人間のいない空の戦艦だったら、破壊しても鉄で返してくれれば、いい」
「マジすか!」
おれは思わず聞き返す。
山本さん、意外に柔軟だった。そういや、ここに到着したときも、老朽艦を差し出すとか言ってたっけ?
「たとえば、草鹿がむかっているリベリアの鉄を認めさせれば、十分お釣りが来るんじゃないかね?」
そう言って、山本さんはおれを上目遣いで見てくる。
「ほう……」
山本さんが言うように、草鹿が鉄の輸入をもとめてアメリカの保護国リベリアに航行中なのは、みんなが知っている。そこでは鉄鉱石が産出されるから、その権益を認めさせれば、結果的には何倍にもなって帰ってくる。
「では、戦艦の処分はそれ次第で許容するとして、問題は原爆ですね。これだけはやらないと、戦争が終わりません」
その時、ふたたび紙を持って小野がやってきた。
「別電です。ハワイの諜報員より通報あり。真珠湾を米空母艦隊が六隻出航す」
「なにッ??」
「内訳、軽空母六隻、駆逐艦、巡洋艦約二十隻。目的地は不明」
(き、きやがった)
あいつら、片方で停戦の提案をしておき、その間に返事を督促しようと総攻撃を開始するつもりだ!
そういえば、重爆撃機の諜報もあったよな……。
「これは……やるしかないな、南雲君」
山本さんの目が細くなる。
「南雲君、この戦いは実質上の停戦交渉になるぞ。やつらを食い止めれば、原爆実験をやって停戦交渉に入れるが、負ければ……」
「原爆実験中止して停戦合意するか、原爆実験を強行して戦いが続くか……いや、最悪は米国本土に原爆を投下することになるかもしれません」
「返電はどうする?」
山本さんの問いに、おれは乾いた喉をうるおすためもう一度茶を淹れた。こんどは慎重に飲む。
「……ふう。さしずめ、戦艦などは無用の長物、リベリアの鉄にて賄える、とでも返しておきますか」
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