海戦の悪魔ってだれのこと?
●25 海戦の悪魔ってだれのこと?
こいつはいかにもナチスドイツの将校らしいインテリ風の男で、この暑いクエゼリン島にも関わらず、きちっとしたグレーの詰襟服を着て、斜めがけ付きの腰ベルトを締めている。
年齢は四十歳くらいか? 肩の階級章もなんとなく偉そうだが、あいにくおれはドイツ軍装や階級章の知識が乏しい。縄っぽいベースがあって、その上に星っぽいのが三つ……大佐?
……いや、よくわからん。とにかく、おれが知っているのは、ドイツの軍服をデザインしたのが世界的デザイナーのヒューゴ・ボスだってことぐらいだ。
とりあえず、兵士たちの歓待を部下に任せ、銀髪の彼と、一対一の話し合いに持ち込むことにする。
「先生、あっちに移動しようって言ってください」
「あ、はいはい……らす、うん、だらばあ、ぎいん」
お経か! ……あ、なんとなく、通じたみたい。銀髪はうなずいて、無言でついてくる。
軍用テントの外には、大砲を置いた丘の一角があり、そこにルーフ屋根を広げた日陰がこしらえてあった。すぐ下は塹壕だが、そこは高台だけあって、遠い海岸線が一望できた。
「いやあ、今日も暑いねえ」
汗を拭く真似をすると、銀髪は軽く笑顔になる。
南太平洋の単調な暑さは、たった数日でおれたちをうんざりさせていた。癒されるのはただ風景だけで、ギザギザの赤褐色の岩礁に、そこに寄せては返す白波が絹糸のようにからみつき、点々と生い茂る小さな緑は、まるで首飾りを彩る宝石みたいに見えた。
小さな机に真っ白なテーブルクロスをかけた席に腰を降ろす。おれたちはエーテル圧縮型の製氷機で冷やしたサイダーで乾杯をした。
「とーすと」
たしか、ドイツ語で乾杯はこういうんだっけ?
「トースト」
かちん、とグラスを合わせると、冷えたサイダーを一気にあおった。
ああ、グラスの向こうは、どこまでも青い空だ。
「へい。おれの名前はナグモ。ナグモ、チューイチ」
自分の胸をさす。
田垣先生がなんとか通訳してくれる。
以下はなんども聞き返したり、確かめたりしつつ進めた、おれと銀髪のやりとりだ。
「ワタシはヴェルナー・フックスである。ナチスドイツの外交政策局の一員であり、海軍の軍人である。海戦の悪魔と名高いナグモ提督に会えて光栄だ」
「それは誉めているのか」
「もちろんだ。ナグモの名前はわが総統閣下もご存じだ。さすが日本人はたくらみがうまい」
「それは誉めているのか」
「もちろんだ」
「君らが来たのは原爆実験を見るためだろう?」
「いや、アメリカのB―24に追われて気がついたらここにいた」
「そんなの、ここらに飛んでない」
「間違った。B―17だった」
「それもこんなところにはいない」
「これは総統の命令だ。ついでにナグモに表敬訪問しろ」
「ついでかよ!」
「ここが気に入った。滞在します」
もはや禅問答みたいになってきた。
しかも相手は超真面目な顔なのだ。どこまでがジョークか、さっぱりわからない。てか、そもそもドイツ人がジョークなんか言うのか?
……ま、いいや。
どうせこいつらの目的はわかっているし、ここらで助け舟を出してやろう。
「われわれは来月半ばに原爆の投下実験をする。よかったら見ていってくれ。滞在ルールを守ってくれたら、邪魔はしない。まともな通訳も数日以内に来る」
田垣先生が脂汗をだらだら流している。
「それはとても助かる。ではよろしく」
「こちらこそよろしく。今夜は歓迎の宴を開こう」
そう言って立ち上がり、握手をする。
「あ、そうそう忘れてたヴェルナー」
「なにを忘れたナグモ」
「もうすぐソ連の潜水艦も表敬訪問に来るのだ。仲良くしてくれ」
目が飛び出そうになりながら、固まる銀髪の肩をぽん、と叩いて、おれはその場を離れた。
(この忙しいときに、まったく……)
おれは歓迎の宴会の用意に立ち働く連中を見ながら、クエゼリン港の真新しい建物にむかう。そこはこの数か月、おれが敵と戦っている間にも、着々と準備を重ねていた原爆実験の統括拠点だった。
だいたい、投下実験とひと口には言うけれど、実際に投下するのは富嶽であって、このクエゼリンの海軍兵たちじゃあない。では彼らがなにをするかと言うと、それはもう、ものすごく手間のかかる仕事が山ほどあって、それぞれに実行班がわかれている。
たとえば、ビキニ環礁に住む酋長や村民たち――百四十人と聞いている――をはじめとする周辺の島民を退避させる安全班、原爆の映像記録をとる記録班、それを世界に発信する実況班、そして兵器としての威力を確認するため、老朽化した艦艇を配備する船舶班などがあり、それぞれがスケジュールにしたがって、日々の仕事をしているのだ。
実験統括本部に入ると、あの相撲取りの西村がいた。塔の形をした木の模型を数人で囲み、なにやら話し込んでいる。
「あ、司令官!」
おれに気づいて立ち上がり、最敬礼する。でかい腹をランニング姿でつつんだ彼は、小さな帽子をななめにかぶって、まるで昔見た兵隊映画の登場人物みたいだった。
「おお、西村。……あ、そういや、すまんなテント」
こいつには昨日、来客用テントの仕事を増やしたばかりだ。
「いえ、大丈夫です。トラック島から輸送するよう依頼しておりますよって、数日で完成しますわ」
こいつ、なかなか頼もしい奴だった。
「それ、電波塔かい?」
「へえ、そうです。少ない資材でいかに丈夫な塔にするか、検討中ですねん」
よく見ると、箸で作った模型みたいだ。
「リベットで接合して、要所と土台は鉄材を電気溶接して土に埋設します」
「ほー、柱は六本をひとまとめにしているのか、これなら頑丈そうだな。高さは?」
「三十メートル以上あります」
「マジか!」
「マジです。ご指示のラジオファクシミリをやるには千五百と二千三百キロヘルツの短波なんで、電離層に反射させるのにできるだけ高い方がいいそうです。これは本国のえらいさんに確認しました」
「お前さん、なかなかやるね。でもこれ、台風で倒れないか?」
「そら、イチコロでんがな」
おい、簡単に言うなよ。
「まあでも、まだ台風にはちょっと早いし、今は下半分だけ立てて、上半分は実験の前日にあげまっさかい、たぶん二、三日は持ちますやろ」
「これでどこまで届くんだ?」
「出力十キロワットで、少なくとも東欧以外はいけますやろ。アメリカ全土、日本、インド、モスクワ……」
「十分だ」
おれはこの男がすっかり気に入ってしまった。
行動力があって、なかなか頭もいい。なにより、見た目が頼もしいので、やってくれそうな気になる。
「よし、任せた」
「ははッ!」
うん、なんか気が楽になったな……。
ジリ、ジリリリ……。
うん? 電話か?
黒電話に出ていた兵士が駆け足でやってくる。
「長官、赤城より無線、電探反応ありとのことです」
またかよ。
今度は誰だ。
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