田垣軍医、苦戦する
●24 田垣軍医、苦戦する
おれは司令官室にもどり、思案した。
とにかくまずはドイツだ。なんせ同盟国だし、連中はおれたちが大歓迎してくれる、くらいに思っているかもしれない。
だけど話はそう簡単じゃないんだ。なぜなら、おれはアメリカと講和したあと、ナチスドイツに宣戦布告する戦略を持っているんだ。あんまり仲良くするのはためらわれる。
ただ、今は日本の軍事力や科学力、原爆を見せつけて、相手の出方も探っておきたい。そういや、アメリカやソ連とはなんだかんだ面識を持ったが、ドイツとはまったく縁がなかったしな。
おれの歴史観じゃ、この戦争でドイツは日本と同様、戦線を拡大しすぎ、さらにはソ連という虎の尾を踏んで痛い目にあってる。この点、アメリカという眠れる獅子を叩き起こして敗戦につながった日本とはいい勝負だ。おかげで日独は米ソ二大国と戦うことになった。
とにかく、1942年8月の現時点では、ドイツはまだ勢いはあるし、会っておいても損はないだろう。この世界線では面白いターニングポイントかもしれないし、なにかあったら喧嘩を売る口実にもなる。どんな奴が来てるのかも気になるし、こうなったら、今のうちにせいぜい歓待してやろう。
おれは参謀たちをサロンに招集した。メンバーはいつもの大石、小野、源田、雀部だ。中央に置かれた田の形の机に腰を降ろさせる。
「……というわけで、ドイツ、ソ連、さらに山本さんまでがこのマーシャル諸島に来ることになった。ドイツはすぐだが、たぶんソ連や山本さんも一週間以内には来るだろう。問題はその間、独ソの連中を大人しくさせないといけないってことだ。なにかいい案はないか?」
「連中が来る目的は、原爆実験の視察ですかい?」
と、ランニング姿の大石が汗をふきふき言った。
「まあそうだろうな」
「で、ドイツとソ連がケンカすると?」
「そういうこと。あいつらは戦争中だからな」
「なるほど……」
しばらく沈黙が訪れる。
「いっそ、全部の艦をここへ並べさせたらどうですかな」
「ほほう……して、そのココロは?」
「相手が見えないと人間、疑心暗鬼になりますからな。この島で艦をならべて飯を食えば、暴れる気にはならんでしょう。むろん、上陸には武装解除してもらいますわい」
「なるほど、一理あるな」
Uボート、S型潜水艦、おまけに伊四百がクエゼリン島にずらりと並んで停泊するのは面白いかもしれない。山本さんは新兵器の開帳を嫌がるかもだけど、おれの歴史観からすれば大したことじゃあないし、あの人もしょせんああいう性格だから、俺のが一番でかいとか言って喜ぶんじゃないか?
「よし決まった、そうしよう。小野」
「はい」
「あの相撲取りに、もうひとつ仕事が増えたぞ」
「な、なんでしょうか」
「宿泊テントの設営だ。六十人分を用意してくれ。資材や食料が足らなけりゃトラック島から空輸させろ」
「わかりました」
「ドイツの連中とは明日の朝、おれが逢う。源田、水上艇でおれの親書を届けてほしい」
「はッ」
「内容はこうだ。貴艦を歓迎する。明朝迎えにいくのでそれまでは沖合に待機してほしい。上陸は指揮官を二名と、あとは兵士を十名づつ、これは毎朝入れかえてよい。……潜水艦乗りは陸がなによりの好物だからな。ただし、上陸に際しては指揮官以外、全員武装解除してもらいたい。安全はこの南雲が保障する。これを日本語と母国語、両方併記して承諾のサインさせろ」
「なんだか、愉快千万」
雀部がいつものようにぽつりと言った。
「そうかい?」
「ええ、なんとなく」
「実は、おれもそう思ってたんだよ」
おれたちはひとしきり笑った。
翌朝。
白い朝もやが漂う海上にUボートが静かに停泊している。そこに爆音をたてて二式大艇があらわれ、すべるようにあざやかな着水を披露する。
すでに潜水艦のハッチは開け放たれ、甲板には十人ばかりのドイツ兵がしかめ面をして並んでいる。二式大艇はゆっくりとUボートに接近し、その翼を甲板にかぶせるようにして止まった。
やがてロープで機体が固定されると、入口から桟橋が延ばされ、甲板に歩いて渡れるようになった。
最初にUボートの甲板に降り立ったのは、白い軍装に身を包んだ首席参謀の大石保である。つづいて通訳として帯同するのは、あの、田垣軍医だった。
丸メガネにヒゲの田垣先生は、医師の卵のとき、ドイツに一年間留学していたらしく、一万人もいる艦隊の中で、一番ドイツ語に堪能とみなされた。
「ようこそ、大日本帝国へ。お聞きしていればもっと歓迎できたのですが……」
と、大石が居並ぶ兵士を前に敬礼をする。
田垣氏が汗をだらだら流しながら、必死に通訳をはじめた。
「(ドイツ語)え~、私は軍医のタガキと言います。通訳します。こいつはオーイシ、タモツです。え~中佐ってなんだっけ……ちょっと偉いです。ようこそ大日本帝国へ。来るならなんでもっと早く言わないのか
」
太っちょの大石と、ヒゲ眼鏡のオッサンがにやにや笑いながら変なドイツ語を話すのを見て、最新鋭の潜水艦に立つドイツ兵たちは、がくっと膝を落とした。
「こ、こほん、私はヴェルナー・フックスである。ナチスのなんたらかんたら」
スマートな軍服を身に着けた何人かが自己紹介するが、田垣にはさっぱりわからない。あわてて大石に顔をよせる。
「だ、だめだ。わからん。島に着いたら名簿を書いてもらおう」
「しゃあないですなあ。じゃとりあえず、南雲長官の親書と例の書類にサインをもらいますか……」
「あ、はいはい」
田垣はふところか南雲の親書を翻訳したものを出し、ペンと一緒に渡す。
「これ、見ろ(笑顔)」
「……なんだと?」
なんどもやりとりをして、ようやくサインをもらったのは、それから十分もたってからだった。
そんなことになっているとはつゆ知らないおれは、寝不足の赤い目で彼らを待っていた。本当ならドイツの国歌でも演奏してやるところだが、あいにく軍楽隊はいないし、そもそもドイツの国歌なんか知らない。
砂浜を昇りきって、砂袋で防弾とした木造の基地建物をすぎ、航空機の滑走路とは名ばかりの草原に張った軍用テントは、日章旗を掲げただけの粗末なものだったが、夜中に到着したばかりのおれたちとしては、これでも精一杯の用意だ。
二式大艇から大発動艇に乗りかえ、島の小さな桟橋に着いたドイツ兵たちは、それでも久しぶりの陸地に晴れ晴れとした顔をしている。
「ドイツの皆さんをお連れしました!」
「やあどうも」
おれが手を差し出すと、一番偉そうな銀髪の男が、かつんと軍靴のかかとを鳴らした。
「de:Außenpolitisches Amt der……」
「あ~う~」
おい、田垣先生……。




