発つ鳥の思い
●23 発つ鳥の思い
「そうか……原爆が出来よったか!」
杉山元は太い腹をさすりながら、黒革のソファーにどすんと凭れこんだ。そばには、あの丸メガネの馬面少佐、山縣喜八が長身を屈めるようにひかえている。
「はい。あらかじめ記録した通常火薬による衝撃波と比較して、推定一万トン以上の威力が認められたそうです。それと、実験が行われた坑道では熱による岩石の溶融がおこったらしく、その熱はおそらく数千度以上だろうとのことです」
「ほおおおおお!」
ここはあの新しい大本営である。
陸軍が陛下を擁して、世界に号令をかけるために、最新鋭の通信設備を集めて新設された司令室だ。まだ稼働はしていないが、準備は着々とすすんでいる。
そしていま、杉山は大勢の兵士が働く中を、奥の応接セットに陣取って、山縣喜八の報告を聞いている。
「威力は充分たいね?」
「衝撃波、熱、いずれも都市を一瞬にして壊滅させるだけの力があると思われます。それと……」
「ん?」
山縣が声をひそめる。
「作戦を主導した核反応の権威、仁科博士によれば、原爆の爆発によって発生する残留放射能が、人間はおろか、動植物の生命活動にすら影響を与えかねないと……」
「こ、これは愉快たい!」
杉山は世界中の都市に、原子爆弾が投下される場面を思い浮かべていた。破壊され、ぼろぼろになったエンパイヤステートビル、燃え上がるロンドンのビッグベン、人っ子ひとり住めなくなって砂漠になったオーストラリアの大地。そしてその後おこなわれる、大日本帝国陸軍の堂々たる進軍。
顔に満面の笑みが浮かび、紅潮する。
「まさしく最終兵器じゃな」
ひとしきりうなずくと、杉山は山縣に顔を近づける。なにか悪だくみをするときの、杉山のクセだった。山縣はちょっととまどいながらも、大人しく従っている。
「これはいよいよ、あの南雲や永野なんかに任せてはおれんぞ。さっさと取りあげてしまえ」
声をひそめ、片方の頬で笑うととたんに悪い貌になる。
「は。心得ております。先の南雲中将との談判にて、原爆の輸送は陸軍が担当することになりましたので、この間に海から陸への移管を発表いただければ、まず問題ないかと」
「……抜かるなよ」
「は」
そう言って杉山はふたたび書類に目を落とす。
「うん、そうか、ついにやったか……くっくっく」
「小野、大丈夫なんか?」
おれは空母赤城の情報管理室で通信参謀の小野にたずねた。暗号のアップデートが終わって、これから通信の試験をやるというのでやって来たのだ。
やるなら、今度こそ、アメリカに解読されないものにしてもらいたい。史実のミッドウェーや、山本さんと一緒の時を待ち伏せされた、みたいな経験はもうごめんだ。
「また同じような暗号使って、簡単に解読されるんじゃないだろな」
「大丈夫です。すべての言葉を文字単位でばらして入れ替え、倍ほどに増やす方式になりました。元に戻すには複数の暗号表と数式による手計算が必要になります」
部屋を見回しながら、小野がちょっと得意そうに答える。机は『非』みたいな形に並べられ、百人ほどの兵士がすわっている。机の上にはマイクやレシーバー、オシロスコープなんかもある。
「数式による手計算って、難しそうだな。そんなことができるのか?」
「日本にはそろばんの猛者が普通に居りますからね……あ、最初の通信が入って来たようですよ」
兵士たちの動きがあわただしくなる。日本からの通信を送受するチームが暗号表をとりだし、分業でこれの解読にあたっている。
「へえ、最初の通信か。なんだろ……」
演習通りの手順で兵士がテキパキと作業し、最後に出来上がった文書を持ってくる。
小野はそれを受け取り、おれに手渡す。
「長官あてのようです。どうぞ」
「お、ありがと」
B5くらいの紙に、なかなかの達筆が書かれてある。この時代の兵隊って、字がうまいんだよな……。
おれは文章を読む。そこにはカタカナ混じりの文字が、たった一行だけ書かれてあった。
「「「海軍省発 南雲忠一 ゲンバクジッケン、成功」」」
大きな音を立てて大日本帝国陸軍と書かれた機関車が山あいの線路に到着した。
この線路はこれまで多くの機材や火力発電の燃料石炭を運搬するのに使用され、進たちの原爆実験に大いに役立ったが、それもとうとう最後の役目となった。
巨大なウィンチが、兵士たちによってガリガリと引かれ、その先にある大きな鉄球を吊り上げていく。
「おい、落とすなよ。そっち下がってるぞ!」
軍服を腕まくりした新庄が、前後に回ってなんども確認している。むろん、ウィンチを操作する兵士たちは、これがなんなのか、まったく知らされていない。
「お世話になりました」
線路わきに立ち、あらためて頭を下げると、本永がめずらしく照れくさそうに笑った。
「君たちは本当に一緒には行かないのか?」
進はにこりとしてうなずく。
「すみません、最後まであずけちゃって……」
二人はしっかりとした軍装に身を包んでいる。本永は陸軍の、そして進は海軍の白い軍装だ。
「すまん、ちょっと、か、厠へ……」
そういいつつ、白いハットをかぶった仁科が二人のそばを駆けていく。トランクを持ち、麻の背広を着ているとまるで剽軽な旅行客のようだった。
「あの先生もようやく日本に帰れるな」
あたふたと駆ける姿を見送りながら、本永がため息をついた。
「よろしくご同道ください。私もご一緒したかったのですが、あと片付けがありますので」
「うん……発つ鳥、あとを濁さず、というからな」
「はい。残留放射能が心配ですから。土をかけて現場は封鎖してありますが、ここの役人や警察にもよく説明しませんと」
「そうか……あいわかった」
やがて準備が整うと、新庄が汗を拭きながらもどってくる。
「本永中佐、積み込みが終わりました!」
新藤が進むの横に立つ。
「では、いろいろありがとう」
「いいえ、どういたしまして。中佐もお元気で」
「うん、では」
最後に敬礼をして、車両へと乗り込んでいく。二人に気づいた仁科が、窓から手をのばしてくる
「じゃあ進くん、また本土で会おう。お父さんによろしく」
「はは……父はいつ帰るかわかりませんよ」
「いいさ。生きてりゃいつか会える」
「それもそうですね。はい。では先生もお元気で!」
それぞれへの別れが終わると、進はすこし線路から離れて、貨物車両に目をやった。
貨車は鉄の土台だけがむき出しにあり、その上に巨大な鉄球が二個、鎖でがんじがらめに縛られている。その後方には、貨物車両がもう一両接続され、銃を持った兵士が四人、動かないように固定されたベンチに腰をすえている。
やがて警笛が鳴り響く。
蒸気が吹き出す大きな音がして、ゆっくりと機関車が動き出した。
進と新庄は敬礼で見送る。
「ねえ進くん」
客車に顔を向けたまま、新庄が口を開いた。
「なんだい?」
「いよいよだね」
「うん、いよいよだ」
機関車が二両の客車、そして二両の貨車を引いて走り出す。
「うまくいくかな?」
「行くとも」
「そうだね」
列車がいなくなると、二人は線路に背を向け、砂利道を速足で歩き出す。
荒れた山道を、二台の軍用トラックが砂ぼこりをあげて、ゆっくりと姿をあらわした。
風雲急を告げる平山、そして杉山元の陰謀が動き始めます。 ご感想、ご指摘にはいつも励まされております。ブックマークをよろしくお願いいたします。




