朝鮮半島、地下核実験
●21 朝鮮半島、地下核実験
「あんなこと言ってますが……」
大石が大真面目な顔で振り向いた。おれは苦笑をこらえてこほん、とひとつ咳をする。
「いや、まあ、山本さんならやると思ってましたよ。でもさ、敵機は全部つぶしとかないといかんでしょ」
「では攻撃は、するんですね?」
「まあね。とにかく攻撃してきた敵機はかたづけよう。問題はそのあとだけど……」
おれは考えた。
空母の追撃までやるかどうか、をだ。
もちろん米空母艦隊はつぶしておきたい。だけどそうすればこっちだって無傷じゃ済まないだろう。敵だって必死に抵抗するし、伏兵がいることだってある。
こっちの目的はあくまでもマーシャル諸島と核実験だから、いま、虎の子の艦載機を失って、あとの作戦に支障をきたすのはどうしても避けたい。おれたちはジョシーと約束した九月十一日までにすべてを終えなきゃならないし、海戦が終了したら日本へ帰れる山本さんたちとは、根本的に違う。
それに、敵はもうこれ以上、戦闘の継続ができないんじゃないか? 軽空母三隻なら、艦載機は約百機だ。そのうちの六十機はもう二十機になってるらしいし、やつらの直掩機だって減っているだろう。いっそ、放っておいてもいい気がする。
おれは腹を決めた。
「よし、山本艦隊を救援したら、敵空母は深追いせずそのまま帰投させよう。おれたちは反転して予定通りマーシャルを目指す」
山本艦隊は坂井たち攻撃隊の反転によって見事危機を脱することができた。航空参謀の進言を受け入れた山本五十六の判断は、あわやという瀬戸際で彼自身を救った。
もしも進言を受け入れず、攻撃隊の発艦がもう少し遅れていたら、数的有利でしかも新型機が大勢いた敵の攻撃隊は、山本艦隊に大きな損害を与えていたかもしれない。
南雲たちの救援が間に合わず、山本の身に何かあったとしたら、南雲の苦労を重ねた停戦工作も、そのすべてが吹き飛ぶところだった。
ともかく、結果として、山本艦隊は勝ち、敵空母はかなりの未帰還機を出しながら、西海岸へと逃げ帰った……。
ここは朝鮮半島、平山。ウラニウム坑道が何本も穿たれ、大きな発電所と謎の工場が十棟以上も建てられた、山あいの平野部だ。
つい先月までは、大勢の労働者が汗を流して働いていたが、今は人影もまばらになって、すっかり寂しくなった。謎の作業に従事していた労働者たちも、それぞれに過分な手当をもらい、家族の待つ村へと帰っていく。
ただ、一部の者たちはその後も残り、山間部から東北に三十キロも離れた別の山で、不思議な地下坑道を掘っていた。
それは一キロも地下に延びる長い坑道で、先端には五メートル四方の、まるでファラオの墓のような暗い部屋がある。そこに入ると真夏の気温はウソのように消え失せ、赤茶けた冷たい岩肌に底冷えさえ感じるのだ。
やがて固い岩盤を刻んだその部屋に鉄の架台が置かれ、直径が二メートルもある巨大な鉄球が鎮座しても、そこはまるで霊廟のように静謐だった。
そしてすべての作業が終わったとき、この地はとつぜん鳴動をはじめる。
南雲進は監視塔の中で、最後の点検をしていた。
「温度よし、通線よし、進君、あとは接点監視所の退避だね」
そばにいる背の低い男は、タレ目がご愛敬の海技研機関少佐、新庄だ。
少し下がった場所で二人を見つめるのは、朝鮮総督府特務中佐の本永だった。
彼はこれまでも時々ようすを見に来ていたが、ついに今日、原爆の地下核実験が行われると聞いて、三日前から泊まり込んでいる。細面でインテリ風、いつも無表情な彼が、本当は親切で頭も切れる男だということを、進たちは半年以上ものつきあいで知っていた。
「接点監視所とはなんですか」
本永が訊く。新庄が笑顔でふりむいた。
「電線の中継地点のことです。起爆させるための電線は三本引かれていて、二本は起爆用と予備、もう一本は連絡用ですが、途中で電流の減衰がおこるので、それを防止するバッテリーと電磁接触器が一キロごとにつけられています。われわれはそれを監視小屋と呼んでいて、係員を常駐させてるんですよ」
あのファラオの墓の鉄球に接続された電線は、坑道を出ていくつもの電柱を経由して十数キロ北の、さらに高い数百メートル級の山の頂へとつながっていた。
頂きには分厚いコンクリートの砦が坑道の山を見おろしており、そこがこの監視塔なのだ。
本永は思案しながら継電器から延びる何本ものケーブルを手で軽くさすり、窓から顔を出してその行方を目で追う。進と新庄は顔を見合わせて肩をすくめた。
「なるほど、実験の前にはその人員の退避が必要というわけか」
「ご名答です。実験の二時間まえには退避命令を連絡用の電線からモールスで送るんですよ」
「……あいわかった」
本永が軽くうなずく。これまでもわからないことがあると、本永は必ず質問をしたし、回答には裏付けをとった。実務能力はきわめて高いのだ。
この分厚いコンクリートの塊には、山を見るための三方の三重窓と大きなアンテナが設置され、十メートルほどの部屋がただ一つある。
中にはいくつかの通信設備と実験用の電力設備、あとは壁につけられた起爆スイッチという名の大きな把手の継電器がひとつ。壁には海軍謹製の――今は午前十時をしめす――無骨な時計が掛けられていた。
警備所から無線が入る。部屋にいる五人ほどの連絡員が、顔をあげる。
「最後の警戒巡視が終了しました。……封鎖よし」
この周囲に人家がないことは何度も確認していた。いまは万一にそなえてすべての山道が封鎖され、厳重な警戒が敷かれている。
「各部点検……よし。準備が整いました。先生!」
進は奥に向かって声をかけた。
「はいよ……」
丸メガネをかけ、白髪の額がかなり禿げあがった老人が立ち上がった。研究者らしく白衣をまとってはいるが、その下のワイシャツは糊もあたっておらずヨレヨレで、髪は茫々と伸びている。
「仁科先生いつでもどうぞ」
「じゃ、はじめるか。最後にもういちど通線の確認を……」
老人は表情を変えず、いつものおちょぼ口で指示をした。
すぐに通信係からモールスが送られ、各所がその動作を確認して返す。
「異常ありません」
「では監視所は退避を」
「監視所退避命令」
「退避発令します」
これが最後のモールスだ。
これを受けた監視所の人員は、ただちに平野部の退避小屋に向かう手はずになっている。
「今のうちにお茶でも淹れましょうか」
新庄が大きな水筒から水をやかんに移し、アルコールランプに火を点ける。本永がそれを見て、茶の葉を探し始めた。
「なあ、進君や」
仁科とよばれた老人が、緊張した面持ちの進に声をかける。
「はい、なんでしょう?」
「わしはあれだけの理論研究を重ね、予備実験をやってもなお、この原子爆弾が本当に存在するのかどうか、まだ自信がない。そこで今ここで、一つだけ聞いておきたいことがあるんだが……」
「なんなりと……」
大仰な言葉にちょっと警戒する。
「君のお父さんは、どこで原子爆弾や核派分裂反応や、ウランについて勉強したのかね? 言っておくが、わしは開戦まで世界中の科学者と交流しておった。核については第一人者との自負もある。そのわしにして、わからずにいた多くのことを、なぜ君のお父さんは、全能の神のごとく知っておったのかね?」
笑いながらだが、仁科の目は笑っていなかった。
体力に乏しく、無理をしてはすぐ青い顔になるこの老博士が、今は不思議な気迫をまとっている。
進は慎重に言葉を選ぶ。
「さあ……私もよく知らないんです。海軍のみんなは神通力って呼んでますけどね」
「それは聞いておる。だが君は科学者のわしに、そんな話を信じろというのかね?」
「そ、それは……」
いよいよ地下核実験。その最終段階になって、ずっと貯めていたある疑問を老博士がぶつけてくる。さて、進ちんの回答やいかに……? ご感想、ご指摘にはいつも励まされております。ブックマークをよろしくお願いいたします。




