白旗をもった淑女
●25 白旗をもった淑女
夕暮れを、海鳥が飛ぶ。
大きな建物から、大勢のアメリカ兵が、手を頭のうしろに組んでぞろぞろと出てくる。これでイースタン島にいるほぼ全てのアメリカ兵が武装解除されたはずだ。
(やれやれ、また長官に助けられたわい……)
結局、膠着した戦局を打開したのは、南雲から授かった作戦だった。
「……と、言うわけで戦局が膠着しとります。島内にも建物が多くて、進むと隠れ、離れると迫撃砲に狙われますし、くっつくと上から後ろから撃ってきよります」
駆逐艦の司令塔で、送声機に大声を送る。脆弱な無線だが、島の上と下、わずか三十キロほどもない距離なのでなんとか使い物にはなった。
(ははあ、そりゃ大変すな)
ざらざらとした南雲の声が聞こえてくる。
「どうします?撃滅で行きますか?」
大石はきっと南雲がそう言うものと思っていた。しかし、受声器の向こうから聞こえてきた雑音交じりの声は、意外なものだった
(じゃあその建物を各個戦闘機で機銃攻撃したらどうかな? 中隊長の判断でなんか赤い旗とか立てて攻撃目標を明確にしてさ)
「あ、なるほど」
たしかに、戦闘機の機銃なら建物の壁など紙みたいに突き抜けてしまうだろう。重い重機関銃と違って、持ち運ぶ手間もいらない。なにより上からの攻撃は建物の二階も一階も関係なく貫通させられる。
(あ、それからさ)
「はい、なんでしょう?」
(機銃掃射したら、大勢で取り囲んで、そうれんだあって叫ぶといいよ)
「はい? それだあ、ですか?」
(いやいや、それだあ、じゃなくて、そうれんだあ!)
「そうれんだあ……」
(そうそう。降参しろって意味だ。じゃあやってみて)
こんな嘘みたいな作戦を聞かされて、大石はからかわれている気分だった。まさかそれで敵がぞろぞろと出てくるとは夢にも思えなかった。
しかし結果は見ての通り。
戦闘機からの機銃掃射は、ほとんどの建物の壁を貫通し、中で身をひそめるアメリカ軍兵士たちを震えあがらせたし、外からの(降参しろ!)の大合唱は、戦意をくじくのに十分だったのだ。
攻め滅ぼす、撃滅主義一辺倒の作戦しか習っていない海軍一途の自分には、とても思いつかなかった作戦だった。
大石はためいきをついた。
……それにしても、いったい、長官はどこでこんな作戦を習ったのじゃろう?
皮肉にも、司令官の命令で戦局を打開したことで、結果的には大石や杉浦の株も上がった格好で、陸戦隊の指揮も最高潮、イースタン島はほぼ完全に制圧が完了した。
それに、南雲や大石の厳命があったせいか、帝国軍の兵士たちは、投降した敵兵士を銃剣を装着した三八歩兵銃で油断なく狙うのみで、けっしてむやみに発砲しなかった。そのため、多くの米軍兵士は迷わず投降できたし、それ以外の者たちも、サンド島へと海峡を泳いで渡っていくことができたのだった。
「やあ大石ごくろうさん。みごと、敵をサンド島に追いこんだよね」
艦橋に帰ってきた大石を、みんなが拍手で迎え、おれはそのいかつい肩を、いきおいよく叩いた。
すでに夜になりかけていたが、窓の遠くには二つの島影が見えている。サンド島は真っ暗だったが、イースタン島は駐留軍がいるので、ちらほらと灯りがともっている。
敵の燃料が手に入って、もう油の心配はいらないはずだ。索敵機はひっきりなしに往復を繰り返しているし、オパナのレーダーも起動して警戒も十分に行っていた。
大石はバツが悪そうな表情で頭を掻く。
「いやあ、長官の作戦が的中しただけですわい。ですがサンド島に逃げこんだ連中がまだ抵抗しちょります。こっちはご指示通り島を取り囲むばかりでいっこうに攻めよらんし、向こうからも攻められんで、どっちも動かれんことになっちょります」
「武装解除には応じないって?」
「はい。しかし、攻めてこないものは降参もできんでしょう」
横から草鹿が口をはさむ。
「いっそ、このまま引き上げますか? われわれの目的はあくまでレキシントンの誘い出しですし」
「いや、それだと連中が飢える。ケガ人の治療もしてやりたいしな」
あらま。
また連中、きょとんとした顔になってるよ。
そうか。敵の食事やケガ人を気づかうなんて、この時代の連中には異常なことなのか。
……ん、ここはもうちょっと説明しておくかな。
「こほん、戦争の目的は相手を敗北させることだろ?」
いつのまにか、艦橋にいる全員がおれに注目している。
ただ、小野と坂上はいま駆逐艦不知火にいるんだけどね。
「その通りであります」
大石がこたえる。
「ところが敗北ってのはさ、自分だけがきめることって、あの勇次郎が言ってたんだよなあ。つまり、敗北感を与えることができないと、敗北させたことにはなんないんだよ」
「うーむ……」
大石はアゴに手をやって考えこんだ。
草鹿がはっとしたようすで、ぽんと手を打った、
「わかった! 痛めつけるだけが能じゃないってことですね?」
実を言うと、おれが敵を殺したくない本当の理由は、今彼が言ってることとはちょっと違くて、おれの対米戦略のもっと大きな話なんだけど、ここは彼らのレベルに合わせてこれくらいの説明にしておこう。
「わかったか草鹿、言ってみろ」
「はっ!長官はこう仰りたいのではないでしょうか。つまり、敵に労わられることほど、敗北感を感じることはない」
「そういうこと!」
おれは思わず草鹿の頭をなでそうになった。
いくらなんでも、それはまずいよな(笑)
「なるほど。司令長官の深いお考えはよくわかりましたが、敵を労わろうにも武装解除に応じないんですぞ? 実際アメリカの連中もなかなかの頑固ものぞろいじゃ」
大石はなにかを思い出したように苦い顔をした。きっと、そう理想通りにははいかない戦争の現実を思いだしたのかもしれない。よほど、イースタン島での戦闘がこたえたんだね。
でもまてよ。
考えてみたら武装解除させる必要ないんじゃね?
結局は相手と交戦にならなければいいんだし、それなら武装解除させなくても方法はありそう。
おれはしばらく考えて、
「白旗あげてみたらどうかな」
と、ぽつりと言ってみた。
「え?」
「い、いま、なんと?」
「白旗だよ。ただの白旗が降伏を意味するなら、停戦旗でどうだ? 白地に大きくC、つまり、停戦の意味のCease―fireを書いておく」
「それをどうするんです?」
「そうだな……比奈さんにでも持たせて、大きく振りながら島に入っていく。それでたぶん大丈夫じゃないかな」
「お、おんなの影に隠れるんでっか?!」
それまで黙っていた源田航空参謀が、大声をあげた。
まあ彼ならそう言うだろうね。
うーん、真珠湾からこっち、ずいぶんこいつらの認識変えた気がしてたけど、まあ一週間じゃやっぱむりか……。
さてさて、どうしたもんかな……?
おれ得意の世界史でいくかな。
「聞いてくれ。これは文化のちがいなんだ。アメリカって国は建国されてからまだほんの二百年ほど、もともとヨーロッパでイギリスにいた連中が、大西洋を越えてアメリカ大陸にやってきた。そのため、当初は男ばかりで女が少なかった。だから、彼らは今でもこういうんだ。レディーファースト!」
え? なんか違うって?
いいのさ。今は目的が大事。
『大きな目標があるのに小さなことにこだわるのは愚かです』
って、誰のセリフだったっけ?
そうだ、ヘレン・ケラーだ。
「おまえらヘレン・ケラーの話って知ってるだろ? その目も耳も口もきけない彼女を救ったのは看護婦さんだった。ニューヨークに建ってる自由の女神も女性だし、アメリカには偉大な女性を尊重する文化があるんだ。女の影に隠れるんじゃなくて、どうしていいかわからない米軍の兵士たちに、停戦の白旗を掲げる女神を見せてやるんだよ。わかるかなあ」
源田がまだ口をとがらせている。
大石や草鹿、ほかの参謀たちは黙って俺の話を聞いてる。
「そうだな。比奈さんには看護婦の姿のままでいてもらおう。うまくいけばすぐにでも傷病兵の治療ができるぞ。この艦の田垣先生も同行させておく。それとメシを配れるように携行糧食とあったかいご飯の用意をするように」
おれは源田にウィンクした。
「悪いね源田。お前の言いたいことはよくわかる。正々堂々、いさぎよく戦いたいのは軍人なら当然だもんな。でもな、おれは部下の犠牲を最小にしたいし、せっかく命をかけてお前らが戦ってくれたその効果を最大にしたい。囲碁や将棋だって大局観が必要で、まっすぐ突っかかる歩や香車ばかりじゃ、勝てやせんだろ」
「わ、わしはただ、卑怯な戦法は帝国海軍にあらず!……そう思てるだけですわ」
「それは卑怯の概念しだいかな」
おれは軽く受け流す。
彼らは問答無用と無口美徳の戦時中人間。
かたやおれはネットでの議論やディベートで鍛えられまくっている。
おれと理屈で言いあいしても、彼らが勝てるわけがない。
「卑怯ってのはな源田。ふるまいが正々堂々としていなくて卑しいことだろ。こっちは危険を顧みず、戦況圧倒的有利の中、正々堂々、停戦の旗ふって戦地に赴き、あまつさえ、捕虜同然の敵に治療と食事を与えてやるんだぞ。これのどこが卑しいんだ?」
……あ。
源田、ぎゃふんとなってる。
まずい。ちょっと言いすぎたな……。
「すまん源田。いいすぎたよ。お前のことは好きだよ。それに頼りにもしてる。これからもおれを叱ってくれ」
「そ、そんな」
おれは源田の肩に手をやる。
「比奈さんは立派につとまるさ。それに、日本にだって天照大神って女神さまがいるんだぞ」




