一通の訃報
●10 一通の訃報
ダーウィン基地近海での攻撃はさらにすさまじかった。
「いたぞッ」
大陸が見え、ほっとして高度を下げている米軍機が眼下に見えた刹那、待ちかまえた十五機の疾風が西と東から現れ、急降下して機銃を撃ちこむ。
ガガガガガガガ!
狙いはもちろん翼の中央だ。弾薬が尽き、疲れ果てていたP―38の編隊は、襲いかかる新手の日本軍に誰一人気づかず、気づいたときには被弾していた。
それもそのはず、対空レーダーの搭載されている隊長機はすでになく、ダーウィン基地ですらも、接近する疾風隊を友軍機と誤認していた。
そのうえ、来襲に呼応する形で、基地では味方の高角砲が弾幕を張っているため、基地にも降りることもできない。右往左往して逃げ回るあいだに、執拗な追撃にあって、ほとんどが墜とされてしまった。
そしてこれほどの大勝利を収めたにもかかわらず、日本軍はダーウィン基地に近寄るどころか一発の弾丸も撃たず、意気揚々と引き上げていったのである……。
ニラ島の偽通報解明から、それを逆手にとった陽動作戦はみごとなまでに功を奏し、結果は嶋崎特務部隊の圧倒的な勝利に終わった。
特筆すべきはその撃墜数で、なんと各隊の報告を合わせると撃墜三十八機、大破六機という大戦果である。
しかも、未帰還は出撃四十二機のうちたったの四機、大破救助されたものは二名と非常にすくない。
これは嶋崎部隊が対双発三胴機の訓練をくりかえし、作戦をよく練って、さらに全機が疾風であることを差し引いたとしても、やはり驚嘆すべき数だ。
草鹿や山口、角田が思わず耳を疑い、聞き返したほどの大武勲であった。
中でも、岩本の撃墜数は群を抜いていた。
三号爆弾による撃墜六、そのほかの戦闘によるもの八、合計十四機の撃墜は、さすがの参謀連中も聞いたことがない。
「空の海賊どもも、これで少しは大人しくなるでしょう」
帰って来た嶋崎の報告を受けたあと、空母翔鶴の甲板では、参謀たちが総出で、帰艦した飛行士たちの労をねぎらう。
ずらりと一列に並んだ彼らに、ひとりひとりが順に敬礼をして歩く。びしっと気をつけをする飛行服の誇らしげな顔、顔。
参謀たちが短く、
「よくやった!」
と笑顔で声をかけると、
「ありがとうございます!」
と各人が答える。
そのうち、嶋崎がちょっと前髪の長い細面の男に足を止めた。
「岩本です」
それだけで参謀たちは「おお!」と声をあげた。
「お前が岩本か。やるやるとは聞いていたが、ここまでとはな」
そう草鹿が言うのを、岩本はニヒルな笑顔で返す。
「運が良かっただけです」
「なにか欲しいものはあるか?」
「ありません」
「おい、お前がそういうと、他の者が褒美を受けとりにくくなる。なにか言え」
山口がそう言うと、少し首をかしげる。
「では……」
と、岩本は憮然として言った。
「……たっぷりの燃料と弾薬、プラグや消耗部品の交換、あとは……三号爆弾をもっとください」
病院船の氷川丸には、ニラ島で救出された川北一等飛行兵曹がいた。
6人部屋の病室に、四名が収容されており、そのうちの一人がアメリカ兵である。
この船には独特の風習が根づき始めている。すなわち、日本兵とアメリカ兵は当初、別々の病室で治療されるのだが、その後命に別条がなく、回復基調になった兵は、国籍に関係なく相部屋に移されるというものだった。
これは病人の治療に差があってはならないという、草鹿の方針を具現化したものだ。
実に生真面目で、武士道を愛する日本人らしい配慮だが、それは勝っている軍のゆとりともいえた。
いずれにしても、この世界最高の戦時病院船のひとつである氷川丸には、戦争中とは思えないゆったりした時間が流れていたのである。
「戦果は……どうでありますか」
川北が落ち着いた表情で言う。両足に包帯とギブスを巻かれ、掛け布団の重みがかからないよう、右足には鉄筋の枠が覆うように置かれてある。
「大戦果だよ。連中はほとんど撃墜された」
同室のアメリカ兵を気づかって、杉浦大尉が小声でささやく。川北がその米軍兵士をちらりと見ると、能天気に鼻歌を歌いながら、誰かへの手紙を書いていた。
「……安心しました。自分なぞ放っておいてくださればよかったのですが、わざわざこの病院船に送っていただき、作戦のお邪魔になったのではないかと、気になっておりました」
あのニラ島からすぐにこの氷川丸に送り届けられた川北は、飛び立つ二式大艇を見送りながら、機中で漏れ聞いた杉浦の偵察任務を気にかけていた。
「いや、十分間に合った。というより、大成功だ」
杉浦は誇らしげに胸を張る。
「出撃するやつらも、逃げ帰るやつらも、俺たちが知らせた。……海上からだと無線が届きにくいから、わざわざ飛びあがって通信したのがよかったな」
「それは……ご立派な判断でありました。自分などが申し上げる資格はありませんが」
「いや、キサマも立派な兵士だぞ」
杉浦は相変わらず小さな声で、しかしはっきりと言う。
「よくぞ敵の諜報を見抜き、連絡してくれた。その功績は誠に大である」
「……」
思わず涙が滲む。
「まあ、ゆっくり休んでくれ。……そうだ、キサマも」
アメリカ兵をアゴで指す。
「家族に手紙でも書いたらどうだ? もうすぐ帰る、とな」
こちらはアメリカ合衆国、ワシントンにある陸軍航空隊当局である。まもなく空軍に組織が再編されるため、陸海両軍の指揮官と事務官でごったがえしている。
その一角、第四航空軍司令官ジョージ・チャーチル・ケニイ少将の部屋に、一通の電報が届けられた。
それはこの夏、訓練中にオーストラリアのシドニーハーバーのハーバーブリッジで曲芸飛行をし、市民からの苦情が多数寄せられた件で叱責の直電をかけた相手――そしてそのあまりの無邪気さと、自信にあふれた声を聞き、将来を期待して戦況悪化の著しいダーウィン基地へ送った若干二十二歳の若き飛行士の
――訃報を伝える電報だった。
「「「リチャード・アイラ・ボング少尉 1942年七月十四日。南緯五度東経百二十八度の洋上において日本軍との戦闘機による交戦にて死亡」」」
自分が追い込んだようなものだ、とケニイ少将は思った。
ダーウィンの敗戦についてはすでに詳細な報告があがってきている。そのあまりの大敗に、ふと気になったボングのことを問うた結果が、この訃報だった。
ケニイ少将は先日もこの部隊を誉めたばかりだ。それが現地指揮官の油断を生み、結果ボングの死につながったのではないか。
目を伏せ、薄い紙面を頑丈な机に置くと、壁の世界地図を眺める。
オーストラリア大陸の北、インドネシアとの中間あたりに、その海域があった。
電話をつなぎ、ダーウィン基地の飛行隊を指揮するクレブトン大尉を呼びだす。
「ああ、ケニイだ。今回の戦闘は残念だった。……いや、敵を甘く見た私の責任でもある。兵士たちのこれまでの健闘を称えておきたい。合衆国からはいずれ戦死した全員に勲功を与えるだろう。……いや、その必要はない、基地が攻撃されなかったのは、彼らのメッセージだ。……君の気持はわかる……ああ……ああそうだ。ワシントンの方針は捕虜を優先して……そうだ。むろん増援は送る。送るが、しばらくは手を出すな。様子を見るんだ。いいな」
黒い受話器を置き、ケニイ少将はまたため息をつく。
もうこれ以上はたくさんだ。
若い兵士たちを戦地に狩り立て、どれほどの犠牲を積み上げれば、この戦争は終わるのだろう。捕らえられた捕虜だって、このたった十か月ほどの間に、十万人を超えていると聞く。死んだ兵士はもどらない。しかし捕虜は家に返してやるべきだ。相手がこれ以上の戦線拡大を望まないなら、そろそろ、お開きにすべきなんじゃないか。
ケニイ少将は傾いた日ざしを、横顔に受けて、長い睫毛を伏せた。
第一次世界大戦で自らも複葉機を操り、いちはやく航空攻撃の革新的な機動力に着目して、指揮系統や攻撃法を考案した名将が、日本と言う恐るべき強敵にとまどい、すっかり自信をなくしてしまっていた。
夕暮れのワシントンが、早くも暮れなずみ始めている。
ボング氏の曲芸は金門橋ではなく、戦況の変化で、ここシドニーで行われました。ご感想、ご指摘にはいつも励まされております。ブックマークをよろしくお願いいたします。




