P―38をおびきだせ
●6 P―38をおびきだせ
南蘭印の洋上に浮かぶ、空母翔鶴。
その甲板下の一角、司令官サロンにおいて、草鹿艦隊の参謀たちは川北救出の報を聞き、次なる作戦のための会議を執り行っていた。
壁に掛けられた海軍時計は、すでに朝の八時を示している。
「つまり……」
草鹿は報告内容を整理してみる。
「例の双発三胴の敵部隊は、そのニラ島の諜報情報によって、出動していたということですね?」
「そのようですな」
と、山口多聞。
「おそらく日本の飛行機が飛ぶのを見て、方角や機数を敵に通報していたんでしょう」
「けしからん!」
はげ頭から湯気をたてんばかりにして、角田が机を叩く。
「いったい、そいつのおかげで何人の帝国兵が死んだと思ってるんだ。断固、見せしめに銃殺すべし!」
草鹿はうなずきながらも、やんわりと嗜める。
「たしかに許せん話ですが、軍規上、諜報員の銃殺には軍令部の許可が必要です。しかし、今は暗号変更のため、本国との無線を封鎖されています。……それに、川北が寛大な処置を願い出ておるのでしょう? 命の恩人だと」
「う、うむ……」
「とにかく、諜報の処分はあとにして、まずはそいつを利用する手を考えましょう。偽の無線を流し、敵の部隊を誘い出すんです。やるなら、急がねば敵に察知されます」
「ダーウィン基地への攻撃はできんのですか?」
山口多聞が目をぎらりと光らせる。
「それは南雲長官が禁じています。敵基地への攻撃はあきらかな戦線拡大につながると……」
「……」
ここにいる誰もが、南雲の名前が出ると沈黙せざるを得なかった。
この緒戦からほとんどすべてと言っていい海戦を勝ち抜き、大日本帝国海軍が陸軍と伍して、なお地位の逆転すら成し遂げた功労者は、これまでも戦争の趨勢についてほとんど誤った判断をしたことがなかった。
それはあたかも世界史に登場する英傑たちのそれのように、草鹿以下の海軍将校たちに絶大な信頼を醸成し、今ではほとんど心のよりどころとなっているのだ。
源田がここぞとばかりに海図を持ち出した。
「航空参謀として献策してよろしいでしょうか」
「ぜひ」
草鹿の返答と同時に、全員がそれをのぞきこむ。そこにはダーウィン基地のあるオーストラリア大陸と、蘭印海域までの詳細図、何本かの飛行ライン、そして時間と内容を一覧表にしたものが記入されてあった。
「時間は今から二時間後の午前十時開始を想定しております。まず第一に諜報に擬装し無電を送信します。内容はこの方向に……」
海図にある、ニラ島より西のラインを指さす。
「日本の航空部隊が現れたというものです。編隊は約三十。そうすれば敵部隊は少なくとも五十以上が出撃し、やってくる方角はおそらく太陽のある東方向、高度は少なくとも六千以上でしょう」
敵の予想ラインをなぞる。
「ふむ」
「第二に、その三十分後、今度はさらに東の方角に二十の編隊が現れたと通報します。そうすると、敵は挟まれることを恐れ、いったん南に回避するでしょう。この転進行動は編隊の蝟集を招くため、嶋崎隊の狙いどころとなります。そこを待ちかまえ、一気に四方より襲撃し、殲滅します……」
「待て」
角田が口を挟む。
「源田航空参謀の案では単に敵の混乱と蝟集をついて、それに乗じて四方から襲うものだが、そううまくいくかな。たとえば嶋崎部隊の到着が十分すれば、ただの乱戦になるぞ」
へえ、と草鹿は感心する。さっきまで激していた角田はもはやなく、今はすっかり戦術家の顔になっている。激しい感情と緻密な戦略家。それが角田の持ち味らしい。
山口多聞も同感だと腕を組む。
「敵が無電を受けて出撃するのにどれくらい時間がかかるかだ。おそらく早く見積もっても二十分はかかるだろう。たしかにそこからは速度で読める。読めるが、敵が十分で出たり、三十分かかることも考えられる」
「そうです、ね」
源田も押し黙る。その十分が確かかどうかで、作戦の成否がかかるとあっては、おろそかには出来ない。
こんなとき、南雲ならどうしたかと、草鹿は考え込んだ。敵はそう計算通りに動くとは限らない。それは角田の言うとおりだ。しかしその誤差をとらなければ、作戦は成立しない。だとしたら、誤差をなくせばいい。そのためには……。
「二式大艇を忍ばせましょう」
草鹿がしばらくして口を開いた。
「ニラ島とダーウィンの中間海域に二式大艇を係留して敵の襲来を探らせるんです。発見したらすぐに無線でしらせる。それを起点にすれば、ほぼ時間のずれはなくせるんじゃあないですか?」
「なるほど、あれには新式の無線がある……」
その場のみんながうなずく。草鹿はさらに続けた。
「それから逃げた敵をもう一度襲撃する部隊も用意しましょう。高高度から一撃離脱で一気に叩くんです」
「逃げ帰る敵は散逸しますぞ。それに敵の高度も読めない」
草鹿はにこやかに答える。
「南雲長官ならどうするかと考えたんですけどね……」
くすくすと笑いだした。
「きっとこう言う気がしたんです。一か所だけ、敵が高度を下げて集まる場所があるぞ……てね」
「ま、まさか」
一同がそれに気づき、唖然とする。
「そのまさかですよ。敵が逃げ帰るのはおそらくダーウィン基地。だとすると、その手前では高度も落とすし、集まっても来るでしょう」
「いや、草鹿、さっき」
つい呼び捨てにしてしまうのを、山口は慌てて訂正する。
「草鹿長官、ダーウィンは攻撃せんのでしょう?」
「無論しません。しませんが、降りる寸前の航空機は別ですから……」
「なるほど……」
山口がつられて笑いだす。
「たしかに、南雲長官の言いそうなことだわい」
「とどめを刺す部隊は陽動に先立ってダーウィン基地の東三百マイルの空域で待機させ、基地に帰投する敵機を待ちかまえて襲撃します。ただし基地には手を出さず。高角砲の届く沿岸にも近づかない。これなら、戦線の拡大にはならんでしょう」
作戦はたてられた。すぐに二式大艇を通じ、ニラ島の杉浦部隊に連絡が飛ぶ。陽動無電の開始は1000(ひとまるまるまる)である。
「無線は修繕できたか」
杉浦は後ろ手に括られている島の男――ラニの横で、無線の修理をしている部下に話しかける。
「……は。打腱器はなんとか使えるでしょう。バッテリーは他の車のものを用意しました。あとは無線機の本体ですが、水をかぶっただけなので、中を開けて拭き取り、日に干しております」
「使えそうか」
「ええ、電源と真空管とコイル、抵抗とコンデンサー、いずれも拭けばいいだけです。真空管を割らなかったのは川北のお手柄ですよ」
「よし。0950までに修繕を終えよ」
そう言って杉浦は立ち上がる。
「無電はお前が打て。内容はわかっているな?」
さっきまでラニを尋問していた兵士に言う。
「はッ。1000にひとつ。あとひとつは二式大艇から連絡を受けて十五分後。わかっております」
「あとは、諜報の符牒に間違いがないかだが……」
どういう手順、どのような記号で連絡していたのかは、ラニの弁を信じるしかない。杉浦の心配はそこにあった。
杉浦と尋問を担当していた兵士は、二人してラニを見おろす。
にらみつける彼らに、ラニは怯えて目を逸らす。
「おいキサマ。もし聞いた話が嘘なら、妹を殺す。いいな」
ラニが兎のような目をしてがくがくと首をふる。
部屋の隅では、妹のヤンチが身をすくめていた。
杉浦が兵士たちを振り返る。
「よし、われわれは先に発つ。あとは頼んだぞ。川北を二式大艇に運んで、出発だ」
川北の救出がなり、P-38の撃滅作戦が動き出しました。はたして無事敵はやってくるのでしょうか。 ご感想、ご指摘にはいつも励まされております。ブックマークをよろしくお願いいたします。




