二式飛行艇出動
●5 二式飛行艇出動
小屋の奥から見上げる若き帝国兵と、入口に立ちつくす島の若者。
息詰まる沈黙が、二人の間に流れる。
やがて、肩を落としたラニが、のろのろと膝をついた。
川北が大きく息を吐く。
「日本、ワタシ、コロスカ? バツ、与エルカ」
「……保証はできんが、俺が口をきいてやるよ。寝返って協力してくれたら、ご褒美も、もらえるようにしてやる」
「ナニヲ、スレバ、イイ」
「なにも。……ただ、俺がいいと言うまで、そこでじっとしていろ」
川北は油断なく目を光らせる。
ヤンチはそっと兄の方に行き、身体を寄せる。
無電にはたしかに反応があった。念のために三度の送信をおこなったが、あとの二つには、諒解を意味する「・・・-・」が送られてきた。あせってそれ以上の通話は避けたが、味方はかならずやってくる。
蘭印ティモール島。
このインドネシア最南にちかい島の沿岸部、岸から五十メートルほどの海上には、帝国海軍の水上機が数隻、係留されていた。
ここはオーストラリアからの米軍攻撃に備え、島全体を基地化する目的で、桟橋の造成や対空砲の配備、それに兵員の駐留のための、物資の搬入が続いていた。
水上機の中に、ひときわ異彩を放つ大型のものが一機。
それは未明の昏い星明りの中にも、巨大で重厚な光を放っている。
二式大型飛行艇である。
その全長二十八メートルの巨体にはいま、草鹿艦隊からの急報を受け、松明を掲げた大勢の日本兵が、ボートに乗り組む乗員を見送っていた。
「急げッ遅れるな」
「おう!」
胴体に描かれた大きな日の丸。その少し後方のドアが開けられ、そこから昇降のためのラッタルが下げられる。
乗りこむのは操縦士と飛行士、あとは機銃手だけだった。それにしては、見送りの兵が異様に多いのは、こんな時間での緊急出動が、ただごとではないことを示していたからだ。
「しっかりやれよ!艦隊のみんなによろしく」
「俺たちの分まで、戦ってこい」
「敵に会ったら、撃ち落とせ」
最後のは半ば冗談でもあり、本気でもある。
この巨体に似合わず俊敏で馬力のある四発の水上機は、およそその姿とはうらはらに、高い飛行性があり、そのため、なまじの戦闘機では太刀打ちできないほどの堅牢さと、攻撃能力を備えていた。
「ではッ」
最後の一人が無事に乗り組み、抜錨されてボートが離れていくと、かん高いスターターの音とともに、すぐに豪快なエンジンの音がして猛烈な風と波しぶきを巻き起こす。
ゆっくりと動き出した飛行艇が海上を飛んで、明けはじめた水平線に浮かんでもまだ、見送りの兵士たちは、帽子を振り続けていた。
そのころ……。
空母翔鶴の甲板には、各艦選りすぐりの猛者たちが、二式大艇の到着をいまかいまかと待ちかまえていた。
武装兵士は総勢十名。指揮官は、あのミッドウェー上陸戦でも指揮を執った、杉浦嘉十大佐である。彼らは機関銃や手りゅう弾、榴弾砲まで持ち込む気で、甲板にならべ最後の点検にいそしんでいる。
「おい、来たぞ」
誰かが双眼鏡を覗いて叫ぶ。
空はもう明るくなり、太陽が茜色の頭をのぞかせようとしている。
その中を、二式大艇が爆音をあげながら、近づいてくる。
すうっと高度を下げ、巨体の割にはふわりとした着水をしたかと思うと、見事翔鶴の五十メートルほどの海上に停止した。
「よし大発降ろせ」
クレーンの音が鳴り、兵士たちの乗った動力船が降ろされていく。
やがて二式大艇へと兵士たちが消え、厳重に扉が閉められた飛行艇が川北の待つニラ島へと飛び去ったのは、川北からの無線を受電してから、ちょうど一時間後のことであった。
夜が明けた。
明るい日差しが、南国の海を輝かせている。
二式大艇の操縦席から、杉浦大佐は眼下の島をながめていた。
操縦士がなにかを見つけた。
「村が見えます」
「む……?」
ニラ島は思っていたよりも大きかった。
蘭印マルク州に属する島嶼のひとつで、高い活火山を有しているようだ。
その影響で島全体は山ばかりだが、南西部の海岸沿いに村がひとつあり、そこにはいくつかの木船も見えていた。
「よし、あそこに降ろせ」
「わかりました」
操縦士に命じると、杉浦大佐は後方を振り向く。
「着水に備え」
兵士たちがベルトを締めなおす。もとより帝国軍人は無駄口をきかないから、そうは言っても見た目に変化はない。
何度かバンクし、急降下したあと、機首を持ち上げて静かに着水する。足元でざあっと言う音がして上下にはずむと、その瞬間、飛行機は船になった。
「よし、上陸だ」
プロペラが回り、静かに岸へとすすむ。
頃合いを見て、扉が開かれると、厳重な武装をした兵士たちが、次々に海岸へと降り立つ。バシャバシャと海をかき分け、あたりを伺う。海岸線は長く、砂浜は二十メートルほど。その先はうっそうとしたマングローブの森に連なっている。
その森のふもとに、飛行艇の音に驚いた住民たちが、粗末な格好でおずおずと立ちすくんでいるのが見えた。
「敵はいるか?」
「今のところ、見えません」
「うむ、油断するな。いつ攻撃されるかわからんぞ。半数づつ、一気にあの森まで走るんだ。若林!」
「はッ」
「キサマはあいつらを捕まえてこい」
「はッ」
残りが片膝をついて銃を構えるなか、若林と呼ばれた男が部下をつれて走り出す。海岸を縦走し、村民に追いつくと、大半が逃げ惑うが、そのうちの二人を捕らえるのが見えた。
「……よし、行くぞ」
杉浦はほっとしながら、部下を振り返った。
「川北を迎えに行こう」
耳をつんざくプロペラ音が聞こえたとき、川北は大きな安堵とともに、一気に激しい痛みに襲われだした。
ついさっきまでは緊張していたのか、あるいはヤンチにもらった薬草が効いていたのか、とにかくそれほどでもなかったのだが、これで帰れると思ったとたんに、ズキズキと強い痛みを感じはじめた。
外では日本語の叫び声がしている。
ラニはもう完全に諦めてしまったのか、ただうつむいてじっと埃のたまった床を見つめている。
「ヤンチ……」
川北は急に熱っぽくなった唇を舐め、ようやく口を開く。
少女がこちらを向く。
「ラニ、通訳してくれ」
「?」
「妹に、ありがとうと。助かったよ」
ラニがなにかを言うと、ヤンチがほんの少し、笑った。
「ラニ、君もだ。ありがとう」
村長とともに、杉浦たちが入ってくると、その階級章に驚き、遠くなる意識を必死に保ちながら、敬礼をする。
「川北かッ。第二航空艦隊、陸戦隊の杉浦だ」
「嶋崎特務部隊、川北であります」
片手の支えを失い、どおっと倒れこむ。
「おい、しっかりしろ。担架を持ってこい」
「大佐、この男が諜報、ですが、どうか、寛大な……」
頭を抱えてうずくまるラニを見ながら、言葉をつむぐ。
「この兄弟は……自分の命の恩人で、あり、ま、す」
それだけを言うと、川北は気を失ってしまった。
川北が救助され、P-38が出没する連絡諜報のしくみも解明されました。次回からいよいよ反撃がはじまります。ご感想、ご指摘にはいつも励まされています。ブックマークをよろしくお願いします。




