半身不随の降伏勧告
●4 半身不随の降伏勧告
川北が指差したそこには、月に照らされる高い木があり、その横に延びた枝には銀色に光る棒のようなものと、さし渡される黒い電気のケーブルがあった。
「あれはなに?」
ヤンチは窓の外を見て、首をかしげる。
「ニルカブー?」
言葉はあいかわらずわからない。
だが、一生懸命問いかける川北の真剣なようすに、身振り手振りで答えようとする。
「ニルカブー」
指でなにかを持ち、トントンと叩く。
耳にあてがい、聞く真似をする。
「む、無線だなッ?」
窓から見えるそれは、やはり無線のアンテナだったのだ。
川北はうなずき部屋を見まわした。この家から五メートルも離れていないあの木がアンテナだとすると、無線機はここにあるはずだ。あの不機嫌なラニこそが、米か豪へ日本の情報を送る諜報に違いない。
「どこだヤンチ、無線はどこなんだよ!」
権幕に驚いて、ヤンチが部屋の奥の一隅を指さす。そこには大きな甕があり、上には木の蓋がかぶせてあった。
(くそっ)
たった二メートルほどの距離だが、今の彼にははるかに遠い。
「ヤンチ、俺をそこまで連れて行って」
痛みに耐えて必死に這う。ヤンチがやってきて、助けおこそうとする。
「いや、君の力じゃ俺を支えられない。むしろ引っぱってくれ。……ここを」
首を差しだし、激しく息をつく。髪があれば掴ませるのだが、五分刈りでは無理だ。
近くの布を首にまき、その端を持たせる。
「あっちへ引っぱってくれ」
ヤンチが引き、川北が這うと、ようやく身体が動いて甕のある部屋の隅に移動することができた。
川北は木の蓋をどかし、中を覗き込む。はたしてそこには、鉄製の灰色をした箱のようなものと、イヤーレシーバー、そしてその下には、車両用のバッテリーが入っていた。
「し、しめた!」
とりだして、わかる範囲でセッティングする。バッテリーのケーブルを無線機につなぎ、イヤーレシーバーのジャックを挿し、モールスの打鍵器を接続する。あとは……。
「アンテナ線は?」
きょろきょろと探していると、ヤンチが壁の中に隠されていたアンテナ線を持ってきた。
「おお、すまん」
つなげるところはわかる。無線機の後部にそれらしい蝶ねじがあった。そこにむき出しの芯線をつないで、まわりの網線をアースにつなぐ。飛行士は無線を使うことが多いから、扱いには慣れている。
ようやく、セッティングができた。
「ヤンチ、ごめんよ。俺が今からやることはお前を裏切ることかもしんない。でもな、俺は帝国軍人なんだ。許してくれな」
ヤンチの首の後ろに手を回し、額を自分の額にくっつける。
「すまん……」
そう言ってヤンチを放すと、半ば寝た姿勢のまま、無線の周波数ダイアルを回す。機械はアメリカ製のもので、構造は簡単だった。電源を入れ、ダイアルで周波数を合わし、打鍵する。ただ、それだけだ。
「「カワキタハ、ランイン、ニラ、シマ。ブジナレド、テキ、チヨウホウ、タクニ、オリ……」」
こちらは空母翔鶴の情報管理室である。
南雲の関与で発達した電探とその連携のシステムは、艦隊の旗艦に数十名の情報管理班を発足させ、常にあたり一帯の情報を一元的に管理する仕組みを完成させていた。
たとえば味方同士の通信の司令塔となったり、大本営や海軍省との無線もつかさどっているが、出どころ不明の無線傍受に対して、その位置や意味を解析することも重要な任務だった。
その情報管理室に、最初の一報が入ってきたのは、夜中の二時を少し回った頃であった。あきらかに日本語のモールスが弱々しい微弱な電波で入電してくる。管理兵はそれをただちに書き留めるとともに、どの方角からの電波かを、空母翔鶴に搭載されている電探用のアンテナを使い、突きとめた。
「草鹿長官!」
自室の外があわただしくなり、当番からの呼びかけで草鹿が目を覚ます。
「う、入れ。……どうした?」
「失礼します!」
兵士が頭を下げ入室してくる。
「明かりをつけて」
壁のスイッチが入れられ、部屋が明るくなる。
草鹿は下着姿のまま、ベッドに起き上がる。
「どうした?」
「ただいま、情報管理室の者が来ております。入室を許可してよろしいでしょうか」
「情報管理? ……よし、入ってくれ」
若い当番のものが入ってくる。白い下着と短パンという兵装だ。帽子だけはかぶっているが、ただごとではない気配だった。
「なんだ」
「はッ。ただいま川北一等飛行兵曹と思われる人物よりの入電がありました」
「川北……ぶ、無事なのか?!」
「読み上げます。……川北は蘭印ニラ島。無事なれど敵諜報宅に居り動けず。以上」
「ニラ島?」
「はい。海図を調べたところ、この地点にある島かと思われます。電波が来ている方角とも一致いたしました」
兵士がある島に丸をつけた海図を見せる。そこは蘭印南部と、オーストラリア大陸の、ちょうど中間あたりにあった。
(さすが管理室にいる連中は気が利くな)
草鹿は妙に感心しながらのぞき込む。もはやすっかり眠気は消し飛んでいた。
「うん、わかった。……当番」
「はッ!」
「すぐに艦橋にみんなを集めてほしい。参謀たちと嶋崎も呼んでくれ。自分もすぐに行くよ」
草鹿は半袖のシャツに袖を通し、ボタンをとめる。
兵士たちが走り去ったあと、草鹿はようやく笑いがこみあげてきた。
あのバカめ、生きていたとはな。
きっとうまく脱出して、どこかの島に漂着したんだな。
それにしても、敵諜報宅ってなんだ。敵の諜報の家ってことか?島の住民が敵の諜報だと?
すでに無線は使えなくした。
打腱器を壊し、バッテリーはショートさせてから窓から外に投げ、本体はもとの甕にもどしたあと、別の甕に貯めてあった飲み水をヤンチに注がせた。これが有効かどうかはわからないが、すこしは時間が稼げるだろう。
ヤンチはすっかり怯えている。
できるだけ、怖い表情にならないよう気をつけてはいたが、なんとなく、兄とは反対の勢力に属する男であることがわかったのかもしれなかった。
川北の指示に従いながらも、だんだん無口になり、心配そうに川北の顔をのぞき込んでいる。
そうしてようやくすべての作業がおわったころ、明け方ちかくになって、兄のラニが戻ってきた。
「!」
部屋の隅にたたずむヤンチと、壊れた無線機、そして笑う川北を見て、ラニが息をのんで固まる。
「ラニ、ごめんよ。無線、壊しちゃった」
川北は冷静だった。相手は敵だが、力や奸計で対抗するには、今の自分があまりに無力で、居直るしか他に方法がない。
組み合って噛みつくこともできるが、ラニは精悍な体つきをしており、そもそもの殴り合いだって勝てるかどうかわからないのに、足が動かないこの状況で制圧できるとは思えない。
あるいは、妹のヤンチを人質にして、脅すという手もあったが、世話になった恩もある。それに卑怯な手段は、帝国軍人の恥になる。
その結果、居直ることにしたのだ。
「もう日本には連絡したよ。すぐに仲間がやってくる」
ラニは目を激しく泳がせている。
貌に一瞬、狂暴な影が走る。
もしかすると、こいつを殺して知らないフリをしようとでも、考えているのかもしれない。
川北は腹に力を入れる。
「みんなわかってる。お前に逃げ場はない。だけど世話になった恩もある。悪いことは言わない」
川北はものすごい笑みを浮かべる。
「降伏せよ!」
いつもご覧いただきありがとうございます。ちょっぴり頼りなかった川北一等飛行兵曹の、成長物語?です。 ご感想、ご指摘をお待ちしております。 ブックマークを推奨したします。




