蘭印の島
●3 蘭印の島
夜の艦橋に重い沈黙がおとずれる。
時刻はすでに午後八時を回ろうとしていた。
夕ぐれの哨戒任務中、双発三胴の敵襲により撃墜された川北小隊は、その後ただちに発艦した友軍機と、水上機により、吉井、滋賀の二名が無事救助された。彼らは被弾墜落したものの、なんとかパラシュートによる脱出に成功したのである。
しかし、隊長である川北一等飛行兵曹の姿だけは、懸命の捜索もむなしく、発見にいたっていない。
草鹿が吉井二等飛行兵装にたずねる。
「川北の脱出は見えなかったのか?」
「は、はい。……隊長機が落ちて行ったのは現認しましたが、落下傘は見ておりません」
もうひとりの二等飛行兵曹である滋賀は、肋骨を折って病院船氷川丸に収容されていた。
吉井にしても、頭には痛々しい包帯を巻いている。
「水上機で収容したとき、すでに川北機は沈んでいたそうです。付近を捜索しましたが、発見にはいたっておりません」
吉岡航空参謀が報告書を読む。
「ただ……」
言いよどむのを見て、草鹿が顔をあげる。
「吉岡参謀、どうしました?」
「川北機の機内にあった海図などは付近の海域にて回収できました。したがって、おそらく風防は開いていたものと思われます。しかし、落下傘は発見されておりません」
「というと……?」
「もしも、脱出しなかったとしたら、落下傘が残されているはずです」
「おお、なら、脱出した可能性もあるわけだな?」
横合いから、山口多聞が腕組みをして口を挟む。
そうであってほしい、と草鹿も願うが、望みは限りなく薄いだろう。
それに、もし川北が脱出したとしたら、いったい、どこに?
航海参謀の角田覚治が海図を持って来た。
「この付近にはたくさんの島が点在しております。そのどこかに漂着したことも考えられますな」
草鹿はうなづく。
「よし、明日、調査隊を出そう。もともと、この海域には調査隊を出すつもりでいた。誰かがあの双発三胴機を手引きしているとしか思えないからな」
いつも日本の航空機が飛ぶタイミングで現れることの不思議さは、かねてから話題になっていたのだ。
草鹿は吉井の肩に手をやる。
「川北の仇は必ず打つ。あいつが生きていようと、いまいと、俺たちのやることは、ひとつだ」
……まぶしい。
目が痛い。
身体が……動かない。
まわりで、大勢の人の気配がする。
ここは……どこだ?
濡れている。
身体も服も、地面も濡れている。
ここは……砂浜だ。波の音、潮の匂いもする。
きつい陽射しに顔をそむけて、川北はゆっくりと目をあけた。
(……!)
まぶしい。もう昼なのか、まともに昼天の太陽が見える。
なんだ、こいつら……?
現地人か? 日本人でもアメリカ人でもない。顔は東洋人ぽいが、衣服が圧倒的に粗末だ。大半が裸で、肌の色が黒い。
起き上がろうとして、足に激痛が走る。
だめだ。動けない。
川北はその時になってようやく、自分が落下傘を背負っていることに気づいた。
そうだ、俺は……双発三胴の敵機に襲われて、撃墜されたんだ。
足を撃たれて……。
なんとか手だけで……。
確認しようとして、あまりの痛みに驚く。
見ると、右足は太腿に、左足はふくらはぎ全体が血で汚れていた。
(く、くそ!)
なんとか手で体重を支え、上半身を起こす。
また激痛が走る。
現地人がやめろ、とでも言うように、身体を押してくる。
無視して身体を捻ると、ずきん、と脳天に突き抜けるような激痛が走った。
あきらめて、身体の力を抜くと、貧血のような眩暈に襲われる。
きっと、大量の血が流れたのだ。
ああ、だめだ。
だ……め……。
川北はもういちど、気を失ってしまった。
次に目覚めた時、川北は涼しい小屋の中に寝かされていた。
粗末な木の枠組みにむき出しの草吹き屋根。
日本の農家の住居にも似ているが、障子も襖もなく、風通しだけはやたら良さそうだ。
衣服は脱がされ、上半身にはなにか布がかけられている。右の脚には添え木のような処置がされ、左足には布でぐるぐる巻きにされていた。あきらかに、なんらかの医療処置をしたようだ。
「アパカースダバムン?」
声がして振り向くと、素朴な衣装に身を包んだ少女が、小さな丸い膝をついて川北をのぞき込んでいた。
「う……」
起きようとして、やはりまだ無理なことに気がつく。
「き、君は……?」
少女がにこやかになにか言うが、やはり言葉がわからない。
絶望的な気分になったところで、小屋にのっそりと誰かが入ってきた。
「日本人、気ガ、ツキ、マシタ……」
ぶっきらぼうな口調だが、日本語だった。
「!」
そうか、ここは日本の占領地なのか。
なんとか上半身だけをおこし、声の主を見る。
若い男だった。
海岸で見た現地人と同様に、上半身は裸だが、下にはぼろくなってはいるが、ズボンのようなものをはいている。
年はよくわからないが、子供ではない。おそらく二十代か。
髪は黒く、短く刈り込み、不機嫌そうな顔をしていた。
「キサマ、日本語がわかるのか?」
「ワタシ、日本語、少シ、ナラウ」
こちらをあまり見ようとはしない。
歓迎されていないのは、確かなようだ。
だがそれでもいい。
簡単な単語程度でも日本語が話せるのなら、聞きたいことは山ほどある。なにから聞くべきか、整理しないと……。
男とは対照的に、少女はにこにこと愛想がよい。
男は少女に何か言い、外へと走らせた。
やがて少女が容器に入れた水を持ってやってくる。
川北はそれを飲み、ようやく息をついた。
「……聞きたいことがあるんだ。まず、ここはどこ?」
たどたどしい会話を辛抱強く続けて、川北がようやくわかったことは、ここは蘭印のニラという島だということだった。
男の名はラニといい、少女はヤンチと言うらしい。二人は兄弟であり、ラニがほんの少し日本語ができるという理由で、今朝海岸にたどり着いたばかりの日本兵という、やっかいものである川北を、看護するはめになったようだ。男がずっと不機嫌なのは、面倒ごとが嫌いなのかもしれない。
それと、男は村長の手伝い仕事をしているらしい。そのせいか、この家は周りとくらべると明らかに大きく、粗末ながら、軒からつるされる食べ物や、食器などの調度もそろっているように思えた。
川北はとにかくどこかの日本の基地か、日本人への連絡を急いでもらうように頼んだ。ラニは仏頂面のまま、村長に頼んでみると言って、出かけて行った。
あいかわらず傷は痛むが、ヤンチが傷に薬草をつぶして貼り、苦い汁を飲まされると、少しはましになった。気分もようやく、落ち着き、川北はヤンチと遊んで、暇をつぶした。
その夜、とうとうラニは戻ってこなかった。
こういうことはよくあるのか、ヤンチは特に心配そうにもせず、食事を運んできては、寝るように身振り手振りで言う。その無邪気な表情につられて、川北は乾いた草に敷かれた布の寝具の上で、うとうととまどろんだ。
夜半、遠くで航空機の音がした気がして目をあける。
耳を澄ますが、もう聞こえてこない。
(気のせいだったか……)
見ると、小屋の片隅には、ヤンチが座ったまま眠っている。
窓から月が見え、その明かりが白く差し込んでいた。
四方にある窓には雨の時には落とされる木の板が、今はつっかい棒であげられている。
川北はばっと体を起こした。
「ヤンチ!」
川北の声に驚き、ヤンチがごそごそとにじり寄ってくる。
あどけない表情で、川北をのぞき込む。
上半身をおこした格好で、川北は窓のむこうを指さした。
「あれはなに?」
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