ダーウィンの鬼、来たる
●2 ダーウィンの鬼、来たる
台湾からフィリピン海域の海上ルートを制した草加艦隊は、いよいよマレー海域を超え、インドネシア南部へとさしかかっていた。
これまで、通商破壊をもくろむアメリカの潜水艦には、十二分に打撃を与えてきたつもりだ。
各地に配備された、電磁探知機つき哨戒天山と、五十隻近い駆逐艦隊は、見事な連携により、すでに一隻の敵潜水艦すら残っていないと言えるほど、この通商ルートを掃海してきた。
また、空母神鷹は台湾海域に、空母瑞鳳はフィリピン海域にと、それぞれの海域に空母を残してきたことで、その時だけではない、恒久的なシーレーン確保を目指してきた。
小型空母とはいうものの、彼らが常に掩護するならば、輸送船団は絶対的安心を確保できる。そしてそれは、資源の不足がちな帝国の未来に、かつてない安定をもたらすことになるのである……。
夕暮れの空。
バンクした機体にプロペラ音が鳴り響く。
嶋崎は疾風の機内から、輝く海を見おろしていた。
彼らはいま、この海域に出没するという、双発三胴の敵編隊を征伐するため、特務部隊を編成し、日々複数での戦闘技術を磨いている。
今日も一日の訓練が終わり、空母翔鶴への帰艦にかかる。
「嶋崎隊、これより帰艦する。今日の居残りは誰か」
スイッチを入れ、無線で声を送る。
疾風に搭載されたこの新型FM無線は、非常にクリアな通信が可能だが、さほど出力がないために、無線封鎖の必要はなかった。もとより、この海域の制空権は大日本帝国が完全に掌握していた。
『はッ。今日の当番は川北隊であります』
その声を聞き、嶋崎はマスクの下でにやりと笑う。
「川北か。また、迷子になるなよ」
彼は一度空で迷子になり、あやうく帰れなくなったことがあった。
『だ、大丈夫であります』
川北があわてて返してくる。
『おい、敵と遭遇したらどうするか』
とつぜん岩本の声した。川北と同期の若手で、嶋崎が肝いりでこの部隊に引っ張ってきた男だ。
まだ若いが、圧倒的な技量ですでにこの部隊のエースとして尊敬されており、なにごとにも動じないだけの腹があった。
『敵がいたら……撃墜するさ』
『あほう』
岩本がつぶやくように言う。
『まずは報告。それから数を見て、六機以上いたら逃げろ』
一日の訓練が終わった時、三機編隊だけの哨戒飛行が当番制になっていた。
敵機への警戒のためもあるが、若手に編隊での運用に慣れさせ、自立心を養うためでもあった。
『わ、わかってる!』
なんとなく心もとない声だ。
嶋崎は無線のスイッチをふたたび押した。
「川北、命令だ。哨戒は撃墜が任務じゃない。あくまでも索敵と警戒が任務だ。無理するなよ」
『……諒解』
「嶋崎隊からS1。これより帰艦する。なお川北、吉井、滋賀の三機は平常通り豪方面哨戒のため残留する」
『……S1諒解』
連絡を終えた嶋崎は、軽く翼をふって操縦かんを斜めに引いた。
三十機ほどの編隊は三機を残し、母艦へと反転していった。
小隊だけになった川北は、ジャイロを見ながら慎重に哨戒飛行に入る。
ここはすでにオーストラリアから三百三十 海里の空域だ。
ダーウィン基地に近く、そこからは例の、この空域を荒らしまわるアメリカ軍双発三胴の戦闘機隊がやってきていると思われている。だから気を抜くことが出来ない。
とはいえ、上の連中――つまり頭の固い隊長や古参の飛行士たちがいないのは、ずいぶん気が楽だった。
川北は時々バンクしたり、背面飛行したりして、夕暮れの空を警戒飛行していった。
南洋の海は心が洗われるほど美しく、そして蒼い。
大日本帝国という世界に冠たる海洋国家の、空母艦隊でこれだけの任務に就いていることに、川北は幸福を感じていた。
(この勇士を、一度でいいからおふくろやオヤジに見せたいもんだ)
川北は颯爽と外洋の空を飛ぶとき、いつもそう思っていた。
子供の時から学力も優秀で、運動もよくできた。特に目は素晴らしく良く、おかげで海軍航空隊にも入れた。ほんの少し、あわてもので、時にポカもやらかしたが、なに、経験を積めば……。
(ああ、鳥が飛んでるな)
黄昏時の空のむこうに、ごく小さな黒い点が見える。
きっと、海鳥だろう。
あいつらも居残りかな?
ふっとおかしくなり、さらに目を凝らす。
……い、や、なんだかおかしいぞ。鳥にしては……。
(……!)
ほとんど正面、そしてやや上の空に、編隊がいるのだ。
すぐに僚機だけのチャンネルに声を送る。
「こちら川北、零時の方向、高度四千、敵機と思しき編隊を見ゆ。吉井、滋賀、そちらからは見えるか」
司令部に報告したいが、まだ数がわからない。あまりにも遠すぎるのだ。
『見える。あれは……敵機だろうな』
『友軍ならすでに連絡がある。間違いないだろう』
たしかめるには、もう少し近づいてみる必要があった。
「高度を六千とし、接近確認する」
万一のために二千ほども上から近づくことにする。そうすれば、万一の時に有利な態勢がとれる。
『いいのか。どう見ても六機以上はいるぞ』
滋賀が落ち着いた声で言う。たしかにその通りだ。正確な数はわからないが、固まっている黒い点は、どう見ても十機以上はあった。
大きく操縦かんを引き、上空を目指す。スロットルを全開にして、高度六千まで引き上げるのだ。
機体がほぼ垂直になったのを確認して、無線のスイッチを共通チャンネルに変えた。
「こちら川北。南緯三度東経百二十九度付近、高度四千に北上する敵影を確認す。その数、約十……」
バババババババババババ!
(なにっ?!)
とつぜん何発もの機銃弾が、翼を撃ち抜く衝撃を感じる。
『敵襲~~ッ!』
川北は驚いて機体を九十度回転させる。
(どこだ?)
確認しようとするが、川北からは見えない。
『おい、敵はどこだ?』
『前だ!』
上昇する川北らにとって、前方は腹の下になる。どうやら敵はその死角から攻撃してきたものらしい。川北は回転したため、なんとか直撃をさけたのだ。おそらく、やつらは低空の一群が囮となって、高空からの一群が一撃離脱を狙っていたのだろう。
とにかく位置が悪過ぎる。このままでは敵との距離もつかめない。
宙返りで姿勢を入れ替えよう。
ババババババババババ!
スロットルを戻しながら操縦かんを引いたとき、さらに胴を撃ち抜かれた。
(あッ!)
足に被弾して、がくがくと痙攣する。
機体から黒煙が吹き出し、エンジンからは炎も見える
(や、やられた……射撃がうまいじゃないか)
ふと気が遠くなり、かっと目を見開いて、口元の送話器を抑える
「川北被弾。他二機は帰艦せよ。敵は……」
ようやく自機の斜め上を横ぎる敵の編隊が見えた。
足元が火のように熱い。どこもかしこも言うことを聞かない。脱出するなど、とても無理だった。
バババババババババ!
みたび撃たれるが、もはや痛みはない。
川北はようやく、これだけを送った。
「敵は双発三胴機、囮に……やられ、た……」
吉井と滋賀もすでに機銃を放ち、戦闘態勢に入っている。
(うまく逃げろよ……)
『川北あああああ!』
僚機からの叫び声を遠くで聞きながら、川北は大好きな南国の海へと、舞い落ちて行った。
いつもご覧いただきありがとうございます。またまた第六章"原子爆弾編"が始まってしまいました。この物語、いつになったら終わるんでしょうか。作者にもわかりません。お目汚しですがもうしばらくおつきあいください。ご感想、ご指摘をお待ちしております。 ブックマークを推奨したします。




