ロスアンゼルス空襲
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ご注意
本作品は史実をベースにしておりますが
あくまでもフィクションであり
登場する人物、組織、国家はすべて
実像と関係ありません。
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第六章 原子爆弾編
●1 ロスアンゼルス空襲
1942年七月十日深夜、アメリカ合衆国の西海岸沿岸部。
住宅街にわずかな虫の音が聞こえ、そこに住まう市民たちは、静かな眠りについている。
午前三時、突然のプロペラ音が高空に響き渡った。
あきらかにレシプロ機の編隊と思われる轟音だ。
深夜の騒動に驚いて家々を飛び出た人々は、照明弾の破裂音とともに、いくつかの日の丸を目撃することになった。
このとき、これらの地域では、当然日本の機動部隊や空母、あるいは陸軍の上陸部隊に対して厳戒態勢をとっていた。
すなわち沿岸には、機雷はもちろん、潜水艦の侵入をふせぐ防潜網を設置していたし、陸海軍の各基地では、厳重なレーダー哨戒を行い、ゆめゆめ警戒を怠ってはいなかった。
にもかかわらず、ロサンゼルス市にある陸軍の防空レーダーが西方百二十マイルの地点に日本軍機と思われる飛行物体を感知し、対空砲火の準備を整えたとき、すでに大型水上艇六機を含む、十数機の日本軍機は港湾部をやすやすと通過し、その羽音は、サンフランシスコやロングビーチ、サンディエゴ等のアメリカ西海岸沿岸、主要都市の市民を、驚かせることになったのである。
さらに驚くべきことは、この騒動でアメリカ側の受けた被害が、自分たちが目くらめっぽうに発射した、千三百発もの対空砲の破片によるものだけだったことだ。
実際、この対空砲撃の音で三人の市民が心臓麻痺で亡くなったし、破片の直撃でも同じく三人が死亡したが、不思議なことに、かの日本軍機からは一発の爆弾も投下されなかった。
かくして、日本軍機はこれだけの迎撃にも関わらず、一切の被害を受けることなく、二十分にわたって悠々と沿岸部を飛行したあげく、三万枚にもおよぶアジビラをばら撒いて帰って行ったのだった……。
ここは関係者が緊急招集されたホワイトハウスの一室である。
大統領執務室に集められたのは、リーヒ海軍大将、フランクリン・ノックス海軍長官、事実上の空軍長官である陸軍のヘンリー・スティムソン陸軍長官、そしてジョージ・C・マーシャル陸軍参謀総長だ。
「これはいったい、どういうことかね?つい先日、ナグモへの奇襲に失敗した報告を聞いたばかりではないか。なぜこんなことが……」
ルーズベルトは眉根をぎゅっと寄せた。
「ありていに言って……日本軍機による空襲です」
そう答えたのはノックス海軍長官だ。
「だったら、なぜ爆弾を落とさず、こんなものを……」
大統領は執務机の上に、ビラをぽんと置く。
「いったい、やつらはなにをしたんだ」
「大統領……」
ヘンリー・スティムソン陸軍長官がおずおずと言う。
「空襲ではございませぬ」
「なん……だと?」
言下に否定されたノックスがいぶかしげな目を向ける。
スティムソンはとぼけたおちょぼ口をもごもごさせた。彼は日ごろからすこし活舌が悪く、そのために回りくどい、執事のような奇妙なイントネーションになる。
「空襲ならば、相応に高度を落として、破壊目標を狙ったことでありましょう。スクランブル発進したわが陸軍のP―40迎撃隊とも交戦したでしょうし、そうなりますれば、敵機はすべて撃墜されたでありましょう」
「……?」
「つまり……こういうことですよプレジデント」
それまで黙って聞いていたリーヒが微笑をたたえて肩をすくめた。
「ジャップはわが合衆国の反撃をおそれるあまり、爆撃高度をとることが出来ず、高高度を飛来した。したがって空軍に落ち度はない」
「ビル、君ともあろう者が……」
言いかけて、ルーズベルトはリーヒの皮肉な笑いに気づく。
このくだらない責任逃れを、リーヒは重々承知で言っているらしい。
「まさにその通り!」
空気を読まないことで有名なマーシャルが太い膝を叩く。
「ジャップめ、やつらはおかげでわが陸軍の対空砲にもかからず、おめおめと逃げおおせたのです」
「ば、ば、ば……馬鹿なことを!」
ルーズベルトは頭にかあっと血が上るのを覚えた。
「君たちはいったい、なんのために国民の信任を得て、合衆国を守備しておるのかね」
怒鳴りつけたい気持ちを必死に抑える。こんなことを続けていたら、長生きは出来そうもない。ルーズベルトは深呼吸した。
「大丈夫でございますか大統領どの……」
スティムソンが火に油を注ぐのを見て、リーヒは手で制した。
「なぜレーダーによる発見から各方面への通報が遅れたのか、遅れていないのならどこが間違っているのか、マーシャル長官はすでに報告書をお書きのようですよミスター・プレジデント。それをお待ちになられては?」
「う、うむう……」
「スクランブル発進と対空砲についてもですぞ、ヘンリー」
「も、もちろんでございます」
「ところでノックス君、国民の反応は?」
「そうですな……」
リーヒは柔和な目をフランク・ノックス海軍長官にむける。ノックスは役人としての率直な――ある意味無邪気なまでの――意見を述べた。
「市民は恐怖に怯え、右往左往です。新聞、マスコミも、こぞって政府の対応を批判してますよ」
ルーズベルトはネクタイをゆるめ、下を向いたまま言った。
「高度か。高度の問題は使えるな。だから国民への説明をその線でいくのはいい。だが、君らがそれで問題を終結することだけは、断じて許さんぞ!」
「わかっております」
一同を代表して、リーヒが答える。
沈黙が部屋を包んだ。
「ビル、この内容を君はどう思う?」
机の上のビラを取り上げて、示す。
「ただの偽善というには、内容が突飛すぎる」
「……」
一同は沈黙するしかない。
そこにはこう書かれてあった。
『布告
平和ヲ愛好シ正義ヲ尊重スル大日本帝國ハ「ル」大統領ノ挑戰ニ依リ、止ムヲ得ズ戈ヲ取ツテ立チタルモノナリ。故ニ軍ハ大日本帝國本來ノ平和的精神ニ則リ、敵國人ト雖モ敵性ヲ有セザルモノニ對シテハ、其ノ人命ニハ何等ノ危害ヲ加フルモノニアラズ。但シ、此後モ停戦セザルトアラバ、日米英同盟ニヨル欧州對独戦ヲ断念ノ上、何時ニテモ米国各都市ノ空襲ヲ行ヒ、断固戦争ヲ完遂スルモノナリ』
日本の文章が右にあり、その英訳が左に書かれてある。
リーヒは無論、その内容には何度も目を通している。
「そうですな……」
リーヒは深い皺にとまどいの表情を隠す。
「停戦して仲間になろう、そんなところでしょうかな」
「ううむ」
ライオンの唸り声にも似た、音を喉から響かせる。
「たしかに米兵捕虜を返還することを交換条件に、各地の停戦交渉は元日本駐在大使のグルーが窓口になって始まっているが……」
髪を苛立たしく掻き上げる。
「ああ、そうとも。ヨーロッパじゃヒットラーがあいかわらず攻勢を続けている。われわれが日本に注力しているために、太平洋へ兵力を割きすぎているせいもあるが、やつらは衰えを知らない。今年に入って北アフリカでは、エルヴィン・ロンメル将軍率いるドイツ・イタリアの枢軸国軍がトブルクを占領したし、エジプトにも入ってアレクサンドリアの西方約百キロのエル・アラメインに達している。もしも、もしもだぞ?」
ひとりごとのように、大統領は続けた。
「もしも、日本が同盟国になって、ヨーロッパ戦線に参戦するならば、アフリカの補給路は確保され、アジアで暴れまわったジャップどもが今度はドイツに対して牙を……」
そこまで言って、大統領は黒革の椅子に体重をもたせかけた。その勢いで、傍らの車いすが動いて止まる。
手を額にあて、目をつむる。
「……今日はもういい。君たちは自分の仕事をしたまえ」
「では……」
と、リーヒが立ち上がると、他の軍人たちもようやく腰をあげた。
「われわれの不甲斐なさをお詫びしますミスタープレジデント。ですが……挽回のチャンスはまだあります。どうかしばらくお待ちを」
それぞれが姿勢をただし、執務室を出て行っても、ルーズベルトは微動だにしなかった。日が陰り、チャーチルへのホットラインを開くために秘書官を呼ぶそのときまで、彼はただじっと考え込んでいたのである。
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