山本五十六との別れ
●56 山本五十六との別れ
ワインなどという洒落たものは馴染まない。
軍人四人の夕食は、しょせん殺風景なものだった。
とはいえ、テーブルにすわるたった一人の女性の前には、歓迎を表すハイビスカスを添えたハワイアンカクテルが置かれてある。それでも、少女のような風貌と、爆発したようなヘアースタイルのその女性は、大人びた表情で静かにフォークを動かしていた。
ニミッツ、マッカーサー、レイトン、そしてその女性――ジョセフィンの、真珠湾での晩餐会は、まんじりともしない緊迫感で進んでいった。
そして九十分ほどののち、彼らは、日本の暗号解読からはじめた陸軍との緊急共同作戦が、蒼ざめた兵士が持ってきた一枚のメモによって、失敗に終わったことを思い知ったのだった。
「ふ~~っ」
ニミッツがメモを食器の並ぶテーブルにぽんと置いた。
「残念な知らせだ。すまないダグ」
マッカーサーは黙ってそのメモを横目で見る。
「「「攻撃を終了。アカギは無事」」」
ジョセフィンもすばやく目をやる。
こみあげる安堵感を、悟られないようにそっと息を吐く。
「さて、諸君」
マッカーサーがゆっくりと立ち上がった。
「まず、ニミッツ君の判断に敬意を表したい。君はナグモとヤマモトが同時にいるという千載一遇のチャンスに、できうる限りの手を打ってくれた。成功すれば戦局を一気に逆転せしめる合衆国始まって以来の快挙だったと思う。……しかし、残念なことに、我々は失敗したようだ。こうなると、この先やれることがあまり多くない。彼らの勢力の外にある、南太平洋の島々からソロモンを経て、フィリピンに至るルートを、着実に取り返していくしかないだろう。そこで、だが……」
ニミッツもなにも言わない。
古今東西、敗戦の将には語る言葉がないのだ。
「マイヤーズ少佐、例の話を」
「はい……」
爆発したようなヘアスタイルのまま、ジョセフィンが立ち上がる。
「現在、大日本帝国とナグモ提督は、原子核爆弾を開発し実験の準備を行っております。また、ナチスドイツも、これの研究に着手していることが諜報情報により判明しております。わが合衆国も急ぎこの核兵器開発プロジェクトを発足せしめるよう、マッカーサー南西太平洋方面最高司令官は、大統領への共同提案をリーヒ長官と協議中であります。……ニミッツ提督にもぜひそのご参加を」
なんのことかわからず、黒眼鏡のレイトンはきょとんとしている。
ニミッツはうつむいたまま、もう一度ため息をついた。
「ソロモンから地道に攻め、その間に互いに強力な兵器を突きつけあい、互角の停戦を目指す……しかないわけですね」
そう言ってニミッツは目を伏せた。
将官用ダイニングの薄い明かりの下で、彼はただ瞑目するしかなかったのである。
遠くで、ようやくありつけた食事に賑わう、兵士たちの声が聞こえている。
おれは空母赤城の甲板下の暗い船首から、まだ収容に冷めやらぬ海上をながめていた。
空では月に雲が流れ、潮風が久しぶりに心地よい。
「ここにいたのかね?」
山本さんの声がして、おれは振り向く。
「長官こそ、まだ休んでなかったんですか」
山本さんは軍服のまま、おれの隣に並ぶ。
「うん、ちょっと君と話をしたくてね」
「……?」
おれは思わず山本さんの顔を見る。
五十八歳になる連合艦隊司令長官は、揺れる船の上で、鉄柵を握りしめた。
目の前の海上では、救助や漂流物の回収に兵士たちがいそしんでいる。
「どうかしました?」
「いや、今後のことだ。……明日には発とうと思う」
「ほう」
穏やかな表情の山本さんを、おれは見つめる。
「ロスアンゼルスですか?」
「うん、それもあるが、赤城が狙われたってことは、君が言うように日本の暗号がばれているように思う。これを早急になんとかせねばならん」
「なるほど」
さっきまで、おれたちは赤城だけにこれだけの攻撃部隊が突然攻撃をしかけてきたという、この状況を分析し、日本の暗号が解かれているという認識で一致したばかりだった。
「とりあえず無線封鎖は指示しておいた。ロスがすみしだい、抜本的な改革を急ぐため、急ぎ戻ることにする」
「それがいいです」
おれはうなづく。
真珠湾の日から、日本の暗号がばれていることはおれが進言し、一応の変更はしたはずだった。それですっかり安心してしまっていたおれにも、この問題には責任があった。
「では、今夜が最後、ですね」
「そうなるな。……予定通り龍驤、隼鷹はもらっていくよ」
「ええ、それだけあれば、ロスを空襲して原爆実験から連中の目をそらすには十分でしょう」
「原爆実験は大丈夫かい?」
「もうすぐ地下核実験をやる予定です。それが成功すれば投下型を組み立て、富嶽が出撃します」
「しっかりたのむ」
「進や伊藤大佐、淵田や坂上が頑張ってくれてますよ」
おれは安心させようと笑顔になる。だが、楽天的な山本さんにはめずらしく、同じ表情のままだ。
「アメリカの連中は馬鹿じゃない。いや、むしろ科学分野では一日の長がある。それが建国以来の危機に一致団結してるんだから、半端な工業力じゃないだろう。今回だって、攻撃機は多種多様の混成部隊とはいえ、あれだけの攻撃機を揃えて来たのは驚きだった」
(へー)
おれはちょっと感心する。
昼間は平気そうだったけど、ちゃんと考えていたんだな。
「彼らが本気になったら、今回の十倍もある攻撃隊を送りだしてくる。そうならないうちに、一刻も早く世論を誘導し、停戦にもちこまねばならん。君の言うとおりだ」
「いやいや、早期講和はもともと貴方のアイデアでしょ」
おれたちはようやく、顔を見合わせて笑った。
「長官、ロスで使う文面は?」
「うん、これだ」
山本さんはふところから毛筆で書いた半紙をとりだした。それはさっきまで、おれと山本さんの二人で練っていた文章だった。
なるほど、これを見せにきたんだな。
おれはそれをながめる。
「……いいと思いますよ。対独戦にもちゃんと触れてますね」
「かなり危ない橋だが、この際、独断専行は俺たちの専売特許だ」
おれはその半紙を返しながら、手を差し出す。
「ご武運を、長官」
「君も、な」
さっきまでの雲が晴れ、月が明るくなった。
やがて海上に、晴嵐が舞いおりてきた。
いつもご覧いただきありがとうございます。ご感想、ご指摘にはいつも助けられております。
ブックマークを推奨いたします。




