ムスタングP―51
●52 ムスタングP―51
赤城司令室からの連絡を受け、ぞくぞくと集結中の各空母航空隊は、敵の戦闘機へと目標を変える。
この時点で、もともとの直掩部隊に加え、空母艦隊から発艦した迎撃部隊は、総勢ですでに百五十機になろうとしていた。
『いいか。戦闘機を狙え。電波欺瞞紙を撒いているのは戦闘機だ。まずはそれを防ぐんだ!五千まで近づいていいぞ』
母艦からの連絡を受けた戦闘機隊がいっせいに襲いかかると、敵が当然のように応戦する。一目散に空母を目指す爆撃隊、雷撃隊と違い、戦闘機は交戦や陽動することが目的なのだ。
空域はがぜん混戦の度合いを増す……。
アメリカ合衆国アラスカ州ウナラスカのアマクナック島。
ダッチハーバー基地から出撃した飛行士のバド・ミッチェル中尉は、最新鋭最強の戦闘機でであるノースアメリカン社製・P―51ムスタングの操縦かんをにぎり、戦闘空域に向けて、高度六千の空を慎重に飛行していた。
五機の編隊を組み、大きく迂回して戦闘域を目指している。
ときおり、暗い中を、僚機に合図を送って安全を確かめる。
その返答を見て、バドはふたたび前を向いた。
彼は飛行艇、PBY―5Aカタリナに乗っていたパイロットだった。
それまでのんびり偵察飛行などをやっていたが、日本軍がアッツ・キスカを占領し、このアラスカの島嶼僻地が風雲急を告げるようになると、急遽、この最新鋭の機体を与えられ、今日まで厳しい訓練を重ねてきた。
彼はこの機体をもらってすぐに、そのたぐいまれな性能と、クセの良さが気に入った。スタイリングは機首がずんぐりして、スマートとは言い難かったが、なんと言っても戦闘機は性能が重要だ。
最大で千三百馬力を出すという触れ込みのアリソンV―1710エンジンはとにかく速かったし、頑丈なつくりも、前方視界の良さも、まさに戦闘機の名にふさわしい。
もっとも、途中給油が必要だった今回のように、航続距離の短さは気に食わないが、それも燃料を大量に積むことで近々解決してくれるらしい。
(たのむぜ相棒。……ジャップをぶち殺すんだ)
バドは黒い握りのついた操縦かんを撫で、チャフのロープを確認する。
そのロープは座席後方に置かれた布製のバッグにつながっており、これを引くと、袋の底が開かれて、後部キャノピーにある左右の穴から、チャフがばら撒かれる仕組みになっていた。
「いいか。これを引いたら、敵の砲撃がすぐにやってくると思え。すぐにその場所を離れないと、本物の囮になっちまうぞ!」
長身のアーレン大佐によるブリーフィングを思い出す。
(こんなものを使ってまで、戦わなければいけないほど、日本の兵器は進歩しているのか……)
バドはそのとき、説明用に出されたキラキラ光るそのテープの束を手にとりながら、そう思ったものだ。
そもそも、太平洋艦隊司令部からの緊急命令が入り、付近のあらゆる航空機が総動員されたこの作戦には、上層部の異常なまでの執念が感じられた。
島嶼防衛の要として、優先配備されたこの虎の子の機体を惜しみなく投入しただけでなく、こんな基地にストックされるはずだった秘密兵器をすべて放出してまで、指定座標に停泊中の空母アカギを破壊せよとの命令が出たのだから、司令部の執念は異常というほかなかった。
(……ん、あれだな?)
高度五千の高みから見ても、夜目にも激しく曳光弾の飛び交う空域が遠い眼下に見えた。その先に、黒煙が渦巻き、投光器を照らしている大きな船の気配がある。
胸のポケットからアカギの写真をとりだした。
懐中電灯を口にくわえて、それを見る。茶色い甲板、大きく描かれたジャップの国旗。
見間違いようがなかった。
「OK、待ってろよジャップ」
僚機の合図を受け、バドはスロットルを全開にする。
エンジン音が高鳴り、加速感が全身を包む。この感覚は悪くない。このとてつもないパワーが、ジャップとの戦闘では生かされるんだ……。
「……?」
目を凝らす。
なにかが来る。
ぴんと張った翼と丸いエンジン。
日本の戦闘機だ。
(たった二機かよ。こっちは五機だぜ?)
僚機に指をさし、GOを合図する。
上空を目指し、すれ違いざまの一撃を狙う。
相手も高度を合わせてくる。
バッと敵機がバンクする。 疾い!
バドはそれに合わせて操縦かんを切る。
横滑りのような軽快は動きで反応する。
一瞬、相手の腹が見える。
いける!
バドは機銃の電動ボタンを押す。
ダダダダダダダダダ!
十二・七ミリ四門がいっせいに火を噴く。
やったぜ!
そう思った瞬間、敵の姿が消えた。
(なにっ?!)
首を回す。
どこだ? どこに行った?
必死で見るが、夜の暗さでまるで見えない。
上の方でエンジン音がした。
その音はすぐに後方へ消え去り、あとにはもう影も形もない。
何がおこった?
僚機を探すが、すでに散り散りになって、すぐには見つけられない。
バドがどうしようかと迷ったとき、また後方に音がする。
後ろ!?
慌てて針路を変えようと思った瞬間、曳光弾が走った。
(しまっ……)
ピュンピュンピュン……。
ドカドカドカッ!
背の分厚い鋼板に敵の機銃弾が命中する。
(な……んて野郎だ。すれ違いざまに宙返りしやがっ)
状況が浮かんで消える。
敵の銃弾は防弾壁を貫通しなかったが、すさまじい衝撃に気を失ったのだ。
どのくらいの時間がたったか、バドは意識をとりもどした。
(だ、だめだ、逃げないと……)
スロットルを開くが、エンジンは唸らない。
エンジンから火が噴いて、視界が奪われている。
しまった!これじゃもう飛べない。
バドはあきらめて脱出することにした。
背中の痛みに耐え、固定ベルトを外し、キャノピーを開ける。
ごおっと言う風が、燃えるエンジンの油を巻き上げている。
見ると、被弾で破れたのか、チャフが飛び散っている。
足をかけると、必死の思いでジャンプした。
無我夢中でパラシュートのひもを引くとき、銀色に光るチャフを撒き散らしながら、墜ちていく愛機の黒い影が見えた。
バドの機体が落下するのを見て、スロットルを全開にして、戦闘空域を逃げ出したのは、友軍機をあやつるオリバー・ストローブリッジ大尉である。
こいつは最高速なら負けない。
空戦に慣れたジャップと空戦をやるなんて、まっぴらごめんだ。
オリバーは分厚い唇をゆがめて、前を見すえた。
俺様の任務はこのチャフを撒くことだ。
そりゃあ、いくらかは戦うさ。
だがこんな夜の空戦なんて、訓練だってちょっぴりしかやったことがない。
だから、ジャップにつきあわず、アカギの前でチャフを撒く。
その時運が良ければ、アカギに機銃を撃ちこんで、さっさとオサラバだ。
オリバーはそう自分に言い聞かせて、曳光弾の飛び交う海域を目指した。
しかし……。
ズバズバズバズバアア!
とつぜん身体が撃ち抜かれる。
「な……にっ?」
……下から?
ジャップの戦闘機が、下から攻撃してきたのか?
……ああ、もうだめだ。
オリバーは四肢のしびれを感じる。
全身が熱い。
気が遠くなる。
くそ……こんなはずじゃ……。
どんどん高度が下がる。
ふと気がつけば、もう敵の空母は目の前だった。
チャフのひもを探す。
あ、あった。
必死の思いで引く。
ざあっと音がして、風に流れ出るそれを感じる。
もう、ダメだ。
おれはここで、死ぬ……。
死ぬ、くらいなら……。
操縦かんを両手でつかみ、サーチライトで照らされる敵の空母に針路をあわせる。
ぶつけて、やる。
ぶつけて、やるぞ。
よし、これで、いい。
ざまあ……
ドンドンドンドン!
バシャアアアアアア!
オリバーのムスタングが決死の体当たりを敢行しようとしたそのとき、空母赤城の連動高角砲が火を噴き、その機体を粉々に粉砕してしまった。
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