暗号解読
●47 暗号解読
離陸するGが身体に心地よい。
ここはハワイ行き輸送機C―47の機内だ。窓を背にした固いジュラルミン製のベンチシートに腰をかけ、ジョセフィンはその感覚を愉しんでいた。
上昇するにつれ、機内の温度が下がり始めたので、いったん姿勢固定ベルトを外し、黒のバッグからジャケットを取りだして着る。これでフェリーフライトの十時間を耐えなければならない。
ジョセフィンは装飾の全くない無骨な機内で、正面に座るマッカーサーのサングラス姿をちらりと見た。この陸軍出の老司令官は、たしか1880年生まれだから、今年で六十二歳になるはずだ。
座っているだけとはいえ、ロスアンゼルスの車移動からハワイに向かうというのに、居眠りすらしないのはさすがと言うほかない。きっとそういう姿を部下には見せたくないのだろう、とジョセフィンは思った。気骨の老兵といったところか。
「私の顔になにかついているかね?」
大きな肩をすくめてマッカーサーが微笑する。
「閣下は日本との戦争終結をどのようにお考えなのですか?」
「やつら次第だよミス・マイヤーズ」
と、マッカーサーは笑う。
「やつらは勝ちすぎ、そして太平洋を盗みすぎた。このままではアメリカ国民も、国際社会も納得すまい。なんとしても、やつらに一矢報いて有利な停戦条件を引き出す必要がある」
大きな体をすこし前のめりにして、話しかけている。機体はまだ揺れがひどい。上昇中で、気流が安定していないからだろう。
「水面下での交渉は?」
「それは大統領が決めることだよミス・マイヤーズ。……いずれにせよ、この私が南西太平洋を任された以上、それなりの戦いはやってみせる」
彼はすでに戦争のあとを考えているのかもしれなかった。
噂どおり、政界への野心もそれなりにはありそうだ。
「ニミッツが南雲を倒す秘策を打ったそうだ。ハワイへは、そのために行く」
そう言って腕を組む。
ジョセフンはとくんと胸が鳴る。
南雲がいかに強運で戦略家だとしても、そういつまでも勝ち続けることができるだろうか。もしも、南雲が負けるとすれば、自分はそれに加担することができるだろうか?
ハワイに降り立った時、すでに日はとっぷりと暮れ、パールハーバー、フォード島にある航空基地には、人影がめっきり少なくなっていた。
大勢の将官たちの出迎えを受けタラップを降りる。
「夕食を一緒にとニミッツが言っている。着替えるかね?」
ひととおり儀式めいたものが終わり、基地への案内からの連絡を聞くと、マッカーサーが言った。
「軍服でよければ、ですが。……シャワーを浴びても?」
ジョセフィンは表情を変えずこたえる。
「いいとも。レディー・マイヤーズ」
用意された佐官用の宿舎に荷物を置き、汗を流す。
マッカーサーの手配なのか、それとも有名人だからか、部屋は最上級の角部屋が用意され、狭いながらも室内はきれいに整えられていた。
シャワーのそばにある洗面台にいは、この時代にはまだめずらしいヘアードライヤーまで置いてあったので、気兼ねなく全身を洗うことができそうだ。そういえば、ここに来るまでの間にも、兵士たちはやたら自分の方を見てひそひそとささやきあったり、バカ丁寧に接してくる。このワタシがそれほど珍しいのか?
頭からぬるい水を浴び、金髪と素肌を石鹸で清潔に洗うと、ジョセフィンは新しいシャツに着がえた。
サロンのような場所に案内されると、そこには新聞で見たこのあるニミッツ提督と、黒縁眼鏡をかけてワイシャツを腕まくりした太っちょが待っていた。
マッカーサーから紹介された後、敬礼を終えたジョセフィンに、ニミッツがあきれたような顔で言う。
「それで……マイヤーズ少佐」
「な、なにか?」
「その頭はどうしたのかね?」
ジョセフィンの金髪頭がまるで爆発したように撥ねまくっている。
すでにニミッツの向いに座ったマッカーサーはなにも言わない。
「こちらの水と石鹸とドライヤーの使用結果ですニミッツ提督。業務に支障はありません」
「う、うん、そうだろうとも」
「ぷぷ……」
ジョセフィンと同じやや粗末な椅子を前にして、立ったままの黒縁眼鏡の男が吹き出しそうになるが、ジョセフィンに睨まれて慌てて口を閉じる。
「……ま、まあいい。二人とも座りたまえ。……紹介しておこう。暗号解読班のエドウィン・レイトン中佐だ」
(階級はひとつ上か)
ジョセフィンは仕方なく敬礼をする。
「以後お見知りおきをレイトン中佐」
「あ、ああ、どうも」
手を差し出すので仕方なく握手をする。
「では早速はじめようニミッツ君。君の作戦とやらを聞かせてくれ」
「そうですな。では、レイトン、例の話を」
「は、はい」
「君らは外してくれ」
白いテーブルクロスに似つかわしくない緊張が走り、ニミッツの合図で近くにいるウェイターや兵士たちが離れていく。レイトンが複雑な暗号表らしいものを広げた。
「マッカーサー司令官、それではご説明いたします。実は……日本の暗号が解読できました」
レイトンが淡々と説明を始める。ジョセフィンは驚きを隠して、書かれた単語を見ていく。そこには日本の主要な艦隊、司令官などを指す暗号が、表にして並べられていた。さらに日によってシフトされる暗号表もしっかりと書かれてある。
「ダグ、これによると、合衆国には今、千載一遇のチャンスが来てるんだ」
「……どういうことかね?」
「緊急極秘作戦のため、君の許可なく軍を動かしたことを了承してもらいたい。これがわかったのは三時間前で、君はまだ空にいた」
「……」
「実は今、山本と、南雲が同じところにいる。いまごろは……」
黄昏に乗じて飛来した晴嵐が、空母翔鶴が錨を降ろすそのすぐ横に、白波をたてて着水した。見事な飛行艇操作だ。
おれの立つ空母翔鶴の甲板には、大勢の兵士が並んでいる。
晴嵐がめずらしいだけではない。むろん、それだけ重要な賓客がやってきたからだ。
「派手ですなあ」
おれは半笑いで山本五十六太平洋連合艦隊司令長官を出迎えた。
「ようこそ、アッツ島へ」
「ようやく君に追いついたよ」
クレーンで引き上げられた内火艇から甲板に降り立った山本長官が、きれいな敬礼で答える。
とっくに夕日は落ちたものの、夏のアリューシャンはまだ薄明るい。
「樺太からご苦労様です。伊四百の乗り心地はどうでした?」
「広いが海が見えんのは退屈だな。水上航行している分には戦艦と変わらんと思っていたが、揺れ方が違う」
「なるほどね。それにしても、船で迎えに行きましたのに」
「なに、訓練を兼ねているんだ」
伊四百はここから三十キロほどの場所に停泊している。そこまで駆逐艦をやってもよかったのだが、晴嵐で来たいと言ったのは山本さんだった。
おれは晴嵐を見おろす。
「意外に普通ですね」
「あれか? あれの真価は折り畳みとすばやい組み立てだ。一分で翼を開き、三機の発艦に約二十分だよ」
「そりゃすごいですね」
海上に下駄のような大きなフロートで浮かぶスマートな機体を見て、おれは素直に感心する。
「射出機あるんですものね」
「ああ、あるぞ。実に強力だ」
言いたいことはいくらでもあるらしい。まだまだ自慢したそうな山本さんをうながして、おれは歩き出す。
「敵襲~~っ!」
突然翔鶴の甲板に声が響く。
(なんだ、と?)
いつもご覧いただきありがとうございます。魔は天界に棲む。南雲大苦戦のはじまりです。ご感想、ご指摘をよろしくお願いいたします。ブックマークを推奨いたします。




