アッツ沖乱戦
●45 アッツ沖乱戦
離陸したばかりの一式戦闘機に、曳光弾が降り注ぐ。
ピュン、ピュン、ピュン。
(ぬおっ!)
見たことのない機体に一瞬サメの歯のような絵が見える。
畠山飛行兵曹は、分厚い雲の中に逃げこみ、ようやく一息ついた。
(ふう、あぶなかったわい……)
なんだあれは……。
やたらずんぐりした機首。けたたましいエンジン音。
中国戦線から海軍へ転属し、さらにアッツ、キスカの守備隊へと転戦してきたベテランの畠山にして、はじめて見る機体だった。
それに、あの落書きはなんじゃ?
畠山はぎりぎりと歯を食いしばる。
よりにもよって、大切な預かりものの戦闘機に落書きするなど、日本なら考えられない。性能をよくするために、やすりをかけて外装を剥がすなら、まだわかるが、あろうことか落書きするとは。
とにかくこのままじゃ危険だ。上空を目指そう。
畠山は機首をほぼ垂直にたてた。
雲の中で視界はゼロだが、数分もあれば雲の上に出るだろう。
それにしても友軍機はどうなった?
アッツ基地の電探に反応があり、迎撃命令が出て基地を飛び立ったのは、四十機ほどだ。
思ったより敵機が接近していたため、低い雲間を超えたとき、上からの奇襲を受ける形になってしまったが、まさかあれで全部やられてしまったわけではあるまい。
この一式戦闘機隼二型は旧型の九九式飛三号無線機しか積んでいない。そのため僚機との音声通話はほとんど使い物にならなかった。
雲に明かりが差し、一気にまばゆい晴れ間に出る。機体はまだ上を向いたままだ。
(……?)
目の端になにかが見え、そちらに顔を向ける。
(あれは……?)
なんと、右三十メートルもの近くに、敵機がまったく同様の垂直姿勢で上昇しているのが見える。
偶然にも、ほとんど畠山と同時に雲から飛び出し、さらなる上空を目指しているのだ。
(おいおい、木登り競争か?)
横目で見ながら、スロットルレバーを押しこみ、速力を最大にする。
エンジンが吹き上がり、敵よりはやや前に出る。より高い位置をとるのは戦闘機乗りの本能だ。
右を見ると、操縦席の敵兵もこちらを向いた。
まだ若いアメリカ人の飛行士だ。歯を剥いて、エンジンをうならせている。
高度計を見ると、すでに六千を超えていた。
さすがに隼の馬力が落ちてくる。この隼二型のハ115エンジンは、速度も上昇性能も、それまでの一型に比べて向上していたが、隣の機体はまるで次元が違った。
雲から出たところまでは同じだったが、そこからはぐんぐん引き離されていく。
すでに敵機は斜め前方だ。
アメリカ兵がふりむき、どうだ、と言わんばかりに笑う。
……。
……いいのか?
畠山はふと罪悪感をおぼえる。
なんだか競走中にすまんが、今は戦争中だぞ若いの……。
畠山はスロットルレバーを軽く戻し、敵の真後ろにすべりこむ。
機首の十二・七粍機関砲二門をぶち込む。
ドガガガガガガガガ!
ビシビシビシビシ!
敵機にとっては慌てて舵を切ったことが仇となった。
さらに尾翼の損傷が、高速上昇中の機体を大きく捻り、胴体部分を横向きにさらしてしまった。
ガガガガガガガガガガガ!
バスバスバス!
操縦席横殴りの銃弾が、敵パイロットの身体を穴だらけにする。
血しぶきが飛んで、操縦席が見えなくなる。
(……)
敵が尾部を振りながら舞い落ちていく。
サメの歯が描かれた勇壮だがユーモラスな機体を見おろしながら、畠山は無言で機体を水平にもどし、やがてあらたな敵を探しに、ゆっくりと降下しはじめた……。
畠山と同じアッツ守備隊に所属する金井二等飛行兵は、無我夢中で交戦していた。
突如やってきた相手に、無駄玉を撃ちまくっていたから、二百七十発しかない銃弾は、あっという間に残りわずかとなった。
弾が無くなれば、戦闘機は帰るか、逃げ回るほかない。
敵機が飛び交う中、必死に隼を操る。が、とにかく相手が疾い。経験のない彼はどうしても目の前を通り過ぎる敵をあとから追うことになるのだ。
それでも得意技の宙返りや、きりもみでなんとか態勢を挽回するが、なにしろ敵が多くて、一瞬の気も抜けない。
ふと見ると、遠くで、くるくると回転しながら墜ちていく敵機があった。
誰かが撃墜したものに違いない。
(くそ、俺だって……)
金井は闘志をあらたにして、敵を探した。
すると……。
……いたッ!
旧型のカーチスが旋回飛行していた。
(よし、あれをやってやろう)
追尾してなんとか追いつく。
左へバンクして逃げるのを追いかけ、照準を合わせていく。
もう少し……。
今だ!
ガガガガ……カチン!
金井を目を思わず閉じた。しまった、弾切れだ!
カーチスが針路を変えて右上方へと宙返り、いつの間にか後方についていた。
ピュンピュンピュンピュン!
曳光弾が飛んでくる。
しまった!旧型と油断したか!
バシッ!バシバシバシ!
右翼に衝撃を受けて、機体がぐらつく。もうだめだ。逃げようがない。
覚悟を決めた瞬間、乱戦の中を交差するように上空から飛来してくるなにものかがいた。
ガガガガガガガガガガ!
カーチスが撃ち落とされ、金井はなんとか乱戦域を離脱する。
(今のは誰だ……?)
ゴオオオオオオオオオオ!
……?
爆音に目を向ける。
金井は目を凝らした。
上空から無数の機影がこちらに向かってくる。
敵機か?
ここに来て、あれだけの敵機だと……?
ゴーグルを外し、マフラーで目をこする。
いや、あれは……。
あれは、あれは……。
緑のカウル、単純化された風防、ピンと胴体と直角に伸びる翼。
新手の戦闘機が一機、機銃を掃射しながら突入してくる。
ガガガガガガガガガガガガガ!
二十粍機銃二門と、十二・七粍機銃の同時連射で、敵機があっという間にバラバラになる。
海軍の疾風だ!
さっきのは、疾風の先発隊だったんだ!
敵機が混乱して逃げていく。
畠山や金井たちのアッツ防衛隊は、ぎりぎりのところで、南雲艦隊の航空隊に救われたのだった……。
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