親の言うことは聞かない
●44 親の言うことは聞かない
カリフォルニア州のモハーヴェ砂漠。
照りつける強い陽射しが、今日も赤茶けた砂をじりじりと焼いている。
その一角、乾いた湖の跡地に、ミューロック陸軍飛行場があった。
あたり一帯には複雑にからんだ何本もの滑走路が縦横に走り、大型のテスト機などが所せましと並んでいる。
敷地にはコンクリートの大きな基地建物がひとつあり、そばにはまっすぐ南北に幹線道路がのびていた。
その数マイル手前、複数の兵士が自動小銃を手に持つ検問所に、一台のロールスロイスが到着した。
この暑いのにヘルメットを生真面目にかぶった兵士が、車内をのぞきこむ。
「ミューロックへようこそ」
後部座席の窓から、太い指の手がでて、シガーの灰をぽんぽんと落とした。太い眉をした壮年の男が顔をのぞかせる。
「マッカーサーだ」
兵士は慌てて敬礼をする。
「お待ち申し上げておりましたマッカーサー司令官!」
マッカーサーは、表情を変えず前を向く。
兵士は訪問リストに載っている人間を急いでチェックする。運転手、そして……。
「おい早く通せっ!暑い!」
マッカーサの奥にいた、少女としか見えない金髪の軍人が、とてつもない剣幕で叫んだ。
「よ、ようこそマイヤーズ少佐!」
超大型爆撃機がずっしりとした機体を、テストコースに向け引き出されていく。その様子を窓から見ていたマッカーサーが、ノックの音に振りかえった。
秘書官とともに、一人の恰幅のいい軍人が入ってくる。
この部屋には極上の装飾がしつらえられていた。
広々とした白い室内に厚い絨毯、天井には羽の長さが二メートルほどもある大きなファンがゆっくりと回り、由緒がありそうな古い絵画や、昔の肖像画なんかも掛けられている。ソファや執務机も高そうなマホガニー製だ。
ジョセフィン・マイヤーズはビッと敬礼をする。
「お目にかかれて光栄ですリーヒ長官」
まったく物怖じもせず、まっすぐにリーヒと呼ばれた軍人を見つめる。
リーヒはわざとだろうか、夏用半袖の、ややラフな軍服を身に着けている。仰々しい勲章や帽子もなしだ。
年の割には軽やかに動き、ジョセフィンに微笑みかける。
「やあマイヤーズ少佐、私を知っているのかね? こちらこそ光栄だよ。なんといっても、君は今時の人だ。著書もベストセラーだし……そうそう、この前のラジオは聞いたよ」
「新聞でお顔は存じ上げております。それにあれは……低俗な娯楽番組でありますリーヒ長官」
ふてぶてしく、ちょっと笑う。
これなのだ。この金髪の可憐な少女――少なくとも大人の目にはそう見える――海軍航空部隊少佐は、最初は見るものをしてとまどわせるだけの外見をしているのだが、その物おじしない口ぶりと、冷徹ともいえる達観した洞察力で、たちまち敬意を払うに等しい存在だと相手に悟らせるのだった。
「うむうむ。……まあ掛けたまえ」
マッカーサーに促され、部屋の中央に置かれたソファーへと移動する。抜け目なくリーヒとマッカーサーが正面に腰を降ろすのを待って、ようやく座る。
「著書は読ませてもらったよマイヤーズ少佐。読みごたえのあるいい文章だ」
「恐れ入ります。……軍の検閲は厳しいものでした 」
ジョセフィン・マイヤーズは今日の会合について、まだなにも聞かされていない。ある日とつぜん、海軍の連絡員が訪れ、軍の要人と会ってほしいと聞かされたのだ。マッカーサーとも、リーヒとも、今日が初対面だった。
「時に……君はまだ軍に籍があったな?」
「ええ。太平洋の海戦で日本の捕虜になったあと、自力で脱出し、アメリカに帰国、現在は予備役です」
ジョセフィンは膝の上の帽子を撫でた。今日は軍服を着てるため、髪はポニーテールにまとめてある。
「単刀直入に言おう。君に軍へ復帰してもらいたいのだ」
「ほう。……小官が帰国して受けた事情聴取のブライアン・コールマンからは、スパイの疑いがあるものは復軍はできないと聞きましたが?」
「特例だよマイヤーズ少佐。君にはこのダグラス・マッカーサー南西太平洋方面最高司令官の秘書官として働いてもらいたい」
斜め前に座るマッカーサーが、わずかに肩をすくめた。
「……なるほど」
微笑をたたえながら、ジョセフィンはすべてを理解した。
この老人は、有名人となったワタシを軍にもどし、よけいな情報をまき散らさないように首輪を嵌めたうえで、対日戦に加担させようというのだ。
(ふん、いかにも年寄りの考えそうなことだが……)
「君については調べさせてもらったよ」
そう言いながら、手を伸ばし、秘書官からファイルを受け取る。
「……父は日系人の天文学者、ショウイチロ・エンドウ。母はシルビア・マイヤーズ。両親ともに頭脳明晰で特に母親はハイスクールを飛び級で卒業、カリフォルニア工科大学で数学者になるはずだった。その後、母は死去……おっと、お悔やみ申し上げるよマイヤーズ少佐」
ちらりとジョセフィンを見る。
「ありがとうございます……」
「お父さんは今も天文台に勤務されておられる……」
「断ることは出来るのですかリーヒ長官」
年寄りは話が長くて困る。
舌打ちしたいのをこらえ、ジョセフィンはリーヒの目を見つめる。
「いや、われわれは頼んでおるのだよマイヤーズ少佐。アメリカ国民を代表してね。ナグモに一番詳しいアメリカ人であり、あのアインシュタインにまで天才と謳われた君の頭脳と才能を、是非とも貸してほしいのだ」
なにもかも、調べはついている。リーヒはそう言外に滲ませた。
「ジョセフィン……」
ふと、マッカーサーがはじめて口を開いた。
「マイヤーズです閣下」
「ミス・マイヤーズ、実は私もナグモとは面識がある」
ジョセフィンは驚いて、優し気な雰囲気の南西太平洋方面最高司令官に目をやった。さすがにそんな話は聞かされていない。
「実に不思議な男だったよ。原子爆弾のことを、熱く語っていた。まるで、未来を見通しているかのようにね」
「……」
ジョシーの脳裏に、南雲の面影がうかぶ。
「君はあの本の中で、戦争すべき相手国を間違っているような書きぶりだったが、その考えは今でも変わっていないかね?」
さて、どう答えるべきか。これがもしマッカーサーの罠なら、答え方ひとつでワタシは牢屋に入れられるだろう。
ジョセフィンは少し迷い、しかしもしそうならとっくの昔に投獄されているような気がした。
「ワタシの入隊志望動機については?」
「ああ、もちろん知っているよ。ナチス、ドイツを倒したい……だったね?」
「そうです閣下。そしてナグモはドイツへの宣戦布告をするつもりです。そうなれば……」
「ふむ、敵の敵は、味方、というわけか」
「……」
「だがその前に、日本とも決着をつけねばならん」
リーヒが割り込んでくる。
「われわれ合衆国は日本にやられっぱなしだ。一矢報いねば、対等の同盟国とはなれん。アメリカ国民を彼らの奴隷にするわけにはいかんのだ。そうは思わんかねマイヤーズ少佐」
「ワタシは……」
ジョシーは南雲の顔と、父親の顔をだぶらせた。その両方ともが、なぜか最初から戦争を感情抜きで捉えていた。日米の戦争を淡々と語り、まるで神のような視点で歴史を語る。しかも、日本が勝ちすぎているという認識は、南雲にもあったような気がする。
「ワタシはアメリカ国民でありますリーヒ長官」
ジョシーは胸を張り、白髪の老人を見つめる。
「……きまりだな」
マッカーサーが安堵したように、息を吐く。
「ひとつ伺っても?」
「なにかね?」
「父は……ワタシの父はなんと?」
当然この会談の前に、軍は父への意見聴取を行っているに違いなかった。
リーヒはぷっと吹き出す。
「知らんとよ」
「はあ?」
「ジョシーに聞いてくれ、ありゃ親の言うことは聞かない子だ。そう言ったと書いてある」
ぽんぽんとファイルを叩きながら、リーヒ長官は愉快そうに笑った。
いつもご覧いただきありがとうございます。ジョセフィンが初見の方は、第一章の後半あたりをご覧いただくといいかもです。ご感想、ご指摘をよろしくお願いいたします。ブックマークを推奨いたします。




