捕虜への敬礼
●42 捕虜への敬礼
こちらは空母神鷹である。
まだ一発の銃弾も受けていないまっさらな甲板では、新米の兵たちが整列して、必死の面持ちで北の空を見つめていた。被弾した高村機の着艦事故にそなえ、多めにワイヤーを張ったり、消火や手当の用意も整えている。
「来たぞおおおお!」
艦橋の上部見張り員から声がかかる。
白い雲の中から、プロペラ音とともに、見た目にも安定しないゼロ戦一機があらわれた。
補佐するように、二機の僚機が左右についている。
「しくじるなよ!」
「がんばれ高村っ!」
彼を知る一部の兵士が思わず叫ぶ。
高村は人柄もよく、整備兵たちからも愛されていた。
全速で航行する神鷹の後方から、高村のゼロ戦が低空で接近してくる。
途中、なんどかガクン、と高度を落とし、見ているものをハラハラさせる。
そのゼロ戦には、風防がなかった。
鉄骨の一部だけが残り、アクリル部分は前がまるでなくなり、後部もささくれだった破片を今もまき散らしている。
(あれで着陸できるのか?)
ふらつきながら、近づいてくる高村機を見て、甲板で待つ白い兵装の者たちは、みんなそう思わざるを得なかった。
車輪が出ているのだけが、せめてもの救いだ。
左右をなんとか調整し、さらに近づく。
ぐっと高度を下げ、もうすぐ着艦と思ったのその瞬間……。
ふわり……。
ゼロ戦が大きく機首をあげてしまう。
(いかん!失速して後尾から激突か?!)
あわてて係員が消火ホースを持って駆けだそうとした瞬間。
……ドッス――ン!
名誉の負傷をした航空士を乗せた零型戦闘機は、車輪を叩きつけるようにして、甲板に着艦したのだった。
「いそげ!高村を収容せよ!」
大勢が駆けつける。
大勢で機体を掴み、ようやく停止させたところで、機内にいる高村をのぞき込む。
「おい、大丈夫か!」
「だは、だは、だは。すみ……ません」
それだけ言って、頭から肩にかけて血まみれの姿となった高村は、気を失った……。
潜水艦の探索はそろそろ終盤にさしかかっていた。
通商破壊を目的とする敵の潜水艦を発見した草鹿艦隊と、台南に配備された哨戒天山は、まる一日を超える執拗な追撃によって、四隻相当と推定される敵の潜水艦を破壊し、さらに一隻は航行不能となって浮上したところを鹵獲した。
あたりの海面には残骸と油が漂い、なんとか落命をまぬがれたアメリカの船員たちがライフジャケットを着たり、なにかに掴まったまま漂流している。
中には一晩中浮かんでいたものもいて、どの顔も疲れ果て、人形のように表情がない。
人間はあまりに疲れると、一様に喜怒哀楽の感情をなくし、無表情になってしまうものなのだ。
その中を二隻ほどの内火艇が走り回り、沈みそうな者から救助していく。
その様子を草鹿司令官は双眼鏡で眺めていた。
「そろそろ終わりですね。敵の傷病兵はいかほどですか」
「五十は下りますまい」
山口が傍らで答える。
「では氷川丸を呼びましょう。米兵は駆逐艦にあげて武装解除と身体検査をすませたら、そのままいったん病院船に移します」
真っ白い巨大な船がゆっくりと姿をあらわした。
全長は百六十メートルを越え、空母や戦艦と比較してもそん色がない。太い緑のライン、そして赤い十字が両舷に大きく三つずつ描かれ、それは近代的といってよいほど、洗練されたデザインだった。
黒や灰色の多い戦艦にあって、その姿は白鳥のように美しく、見る者に平和のありがたさを感じさせた。
病院船氷川丸は1941年の十一月から、帝国海軍に徴用され、アジア各地で活躍していた。レントゲン検査や手術などの設備もあり、へたな病院よりはずっと確かな治療が行えた。
「それにしても、敵兵五十人、日本兵一人とは、前代未聞ですな」
「こちらの負傷は神鷹の高村だけですか。あいつなら米兵とも仲良くしそうですよ山口参謀長」
草鹿と山口が翔鶴の甲板から、駆逐艦に収容される米兵を眺めている。
「ところで、本当に慰問するんですか?」
山口がいぶかしげに言う。
「やりますとも。南雲長官には捕虜は手厚く扱え。今回は大東亜戦争終結のための遠征だと言われてますからね。今日の敵は明日の友、でしょ?」
「……」
山口多聞はちょっと考え、
「ま、武士の情けともいいますからな」
そう自分に言い聞かせたのだった。
その船室には音がなかった。
真っ白い壁、十メートル四方もある病室である。
中には、二十あまりものベットが並べられて、そこには白い着物を着せられ、包帯を巻かれたアメリカの乗組員たちが、あるものはベットに座り、またあるものは寝たまま、無言で佇んでいた。
船は投錨されているから、それほど揺れはしない。エンジンも停止してるので、むしろ快適とさえ言えた。開けられた細い空気窓からは涼やかな風が舞い込み、夕方の気配を運んでいた。
しかし、彼らは相変わらず無表情のままだった。
私語が禁じられているせいもあり、これからのことが不安でたまらないせいもある。そしてなにより、みなが疲れ切っていた。
ドアが開き、銃を捧げ持った十人近くの兵士が入ってきた。
室内に無言の緊張が走る。
眼だけで追い、兵士のだれかと目が合うと、顔をそらせる。
あとから入ってきたのは、真っ白な将官服をきちっと身につけた、草鹿龍之介であった。
「米兵虜囚につぐ。ただいまより、草鹿長官のお言葉がある。心して……」
「も、もっと優しく……」
草鹿があわてて言うのを、通訳が言い直す。
「……よく聞いてください」
「こ、こほん」
草鹿が悩む。
言うべきことはちゃんと考えてきたが、それはいつもの演説調の文語体だ。そんなもの、米兵になんの意味がある?
君らの身分は保証するから安心しろ?
それとも、しっかり傷を治せ?
どちらにしても、詭弁のような気がした。
自分はなにを言いたいのか、もう一度考えてみる。
われわれはみな、国のために命をかけて戦っている。今日は自分たちが勝ったが、だからと言って敵を辱めるのは間違っている。南雲長官は、いつもそんなことを言っていた。草鹿もまた、そう思う。戦争の現場に出ない上がなんと言おうと、現場はみんなが命懸けで殺し合い、そしてその結果死んでいくのはどちらも普通の兵士であり、人間なのだ。せいいっぱい戦い、今はこうやって対峙しているが、そこに敬意があってもいいはず。いや、敬意がなくては、ならない……。
草鹿は、しゃべるのをやめ、病室の傷病兵たちにむかってびしっと敬礼をした。
そのポーズのまま、右に左に、わずかながら身体をむけて、全員の目を見る。
日本兵たちは最初、気をつけのポーズをしていたが、やがて一人、また一人と敬礼していく。
はじめはなんのことかわからず、ただぼうっと見ていたアメリカ兵たちの目に、光が灯りはじめる。戦いやんで、敬意を表す。その草鹿の心根を少しずつ理解しはじめる。
草鹿は敬礼をやめない。
アメリカ兵たちは、やがて一人、また一人と返礼を返しはじめた。
腕の動かないものは頭を垂れ、それに代える。米兵の一人残らずが、草鹿になんらかの返礼をしていた。
草鹿が手を降ろす。
「……以上、終わり」
草鹿が笑顔を向けると、兵士たちの目に、ようやく人間らしい表情がうかんだ。
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