いざ出陣!
●38 いざ出陣!
大空に轟音が鳴り響く。
グオオオオオオオオオオオ!
横須賀基地で対潜磁気センサーの改造を受けた天山が、六機ごとの編隊を組んでフィリピンへと飛び立っていた。九州、台南を経ての長旅だ。ここ連日、毎日のように、数機から十機の天山が任務のため送られている。
「では行ってきます!」
飛行服を着て、きちんとマフラーを巻いた、明るい表情の若い飛行士が、ベテラン整備士に敬礼する。
「山中あ、わかってるだろうなあ、帰ってきたらいい娘を紹介しろよお」
真っ黒い顔の整備士は、手ぬぐいで汗を拭き、白い歯を見せる。
「わかってますよ但馬さん、でもここだけの話、おれ、フィリピンで任務につくんです。いつ帰れるかわかりませんよ」
「うん……そうか、輸送だけじゃないんだな」
但馬は整備を通じて知り合った、この若くて聡明な飛行士を、ふと案じる顔になった。
「帰って来いよ」
「帰りますとも!」
山中と呼ばれた飛行士は、急にしょげだした年上の男を笑顔で見つめた。彼とは妙に気が合い、時には兄のように感じることもあった。
任務には、それほど危険はないと聞いている。しかし、赴くのは戦場なのだ。絶対安全な場所などない。
「山中、帰ったら、祝勝会をやろう」
山中はにっこりと笑った。
「はい……但馬さんもお元気で。ではっ」
最後にもう一度きれいな敬礼をし、若い飛行士は、天山へと乗りこんでいった。
東京目黒区、海軍技術研究所。
いくつもの公舎が建つ敷地内、その奥まった広い工場の一角では、伊藤技術大佐をはじめ、理研からの出向学者やトップクラスの技術者たちが、頑丈な鉄骨の架台に載せられた大きな二つの鉄球を取り囲んで、それぞれの作業にいそしんでいた。
その中には、南雲とも面識のある、岩間と塚本という、若い職員の姿もあった。
鉄球の大きさは直径約一メートル、中は空洞だが重さは優に一トン近くある。濃縮ウランと爆縮装置が入ると四トンを超える計算だった。
「これをもう二つ作るんですって?」
岩間があきれたようにたずねる。
「そうだ。もう手配はすんでる。みんな、頑張ってくれよ」
伊藤大佐は軍手を真っ黒にしながら、納品された部品を精密ノギスで計測している。
「ふむ……さすがは本田さんの品質管理だ。十分の一ミリも狂いがない」
塚本が壁に貼られた工程表をのぞき込んで嘆息をつく。
「やれやれ、ほんとに南雲さんは人使い荒いよなあ。それにあと二発増えたら四トンですよ。どうやって運ぶんですかね?」
「陸路で横須賀、あとはでかい鳥さんが運んでくれるよ」
「でかい……鳥さん?」
「君、手を動かしたまえ。時間がないぞ」
「わ、わかってますよ」
「時間がない、時間がない」
伊藤はもはや口癖になった、その言葉を繰り返し唱えながら、検品を急ぐのだった。
ブ――――――ン……ゴゴゴゴ……
窓がプロペラ音でビリビリと震える。
白い雲が浮かぶ空を、かすめて飛ぶ、天山の雄姿があった。
ここは北海道、海軍千歳基地にある超巨大爆撃機、富嶽の組み立て棟だ。棟内にそびえる富嶽はその外装にすっかりジュラルミンが貼られ、高い窓から差しこむ陽ざしに、きらきらと輝いている。
外装はこの上から塗装をするはずだったが、なぜか取りやめになった。
巨人にとりつく蟻のように、百人以上もの工員が作業に掛かっている中、白いペンキの缶を持った塗装工が二人、天井を覆うように伸びる巨大な翼を仰いでいる。
「すげえな。身体が震えるよ」
「んだな……だども、なんで外はこのままで、中だけ塗るんだべ?」
「気圧漏れを防ぐにはその方がいいらしいよ。これにはそういうなにかが混ざってるんだってさ」
「んだかなあ……」
手に持った塗料缶からハケを持ち上げると、粘っこい塗料がゆっくり垂れる。
「んなあ、南雲中将、またやってくれるべかな?」
「おいおい、他人事みたいに言うなよ。俺たちだって戦ってるんだ。あの演説を聞いたろう? この戦争はみんなでやってるんだぞ」
そう言った工員がハシゴに手をかける。
「俺たちだって、こいつで一緒に戦ってるんだ」
「うんうん、そうだったべな。すまん……よし、やるべ。俺たちの戦いをな」
塗装工たちは明るい表情で、銀色に光る富嶽へと昇っていった。
沖縄の南、東シナ海からフィリピン海へ抜ける広大な海域。
群青に輝く海を、帝国艦隊の黒い影が波をかき分けながら、ゆっくりと進んでいる。
空母瑞鶴を中心にした第二航空艦隊第一戦隊のものであった。この作戦を前に、ほぼすべての艦隊は再編が行われ、空母を中心とした戦隊構成になっている。第二航空艦隊を率いるのは、草鹿龍之介少将である。
その草鹿は、いま空母瑞鶴の艦橋で大海原を眼下に見ながら、無線で南雲と会話している。
「こちら第二航空艦隊草加、南雲長官どうぞ」
ややあって、南雲の声がする。
『よう草鹿司令官。そっちの調子はどうだ?』
短波だが以前にくらべると非常にクリアな音声だ。
日本の無線技術は半導体の導入で急速に進歩しつつあった。
「天気明朗、波もなし。……って、からかわないでくださいよ。自分にとって長官はお一人だけです」
草鹿は思わず帽子に手をやって照れてしまう。
『んなことあるもんか。おまえはもう、立派な第二航空艦隊司令長官だよ。山口は元気か?』
「はい。彼は翔鶴でがんばってます」
草鹿はちょっとうつむき、しんみりした口調になる。
「もうすぐ無線封鎖です。長官ともしばらくお話できません」
『……いや、すぐにまた会えるさ。次は内地だな。そっちも頑張れよ』
「はい。……では」
草鹿は送話器を通信士に渡し、きゅっと帽子を直した。
「草鹿さんお元気そうでしたね」
通信、電探参謀の小野が言う。
彼にレシーバーを渡しながら、おれは樺太気候の影響で早くも結露しはじめている窓に驚いた。
「おい、今は夏だぞ?」
小野がすましてうなずく。
「ここらは日中と夕方以降の寒暖の差が激しいのですよ」
「へー、どうりで冷えると思ったよ」
おれは窓の内側についた露を白い手袋でぬぐう。
夕方の空はまだ明るく、海も穏やかだった。
「いい天気じゃないか」
「そうですね」
ここはあのなつかしい空母赤城だ。
真珠湾いらいの参謀や兵士たちが、そろって参加してくれている。軍医の田垣さんや、看護婦の比奈さんも、どこかで腹が痛いと訴える兵士の世話をしてくれているだろう。
「いやあ、過ごしやすくなりましたな」
世間話のような調子で、大石が艦橋に現れたので、みんなが一斉に笑う。
「大石、いくら移動中でも、油断はいかんぞ」
「油断どころか、今も他の艦隊に発破をかけてきたところですわい」
真鍮の伝声管を手でなぞり、ついた指紋を消している。
顔に似合わず、繊細なやつだ。
「で、ほかの艦隊のようすはどうだ?」
「はい。問題ありません。針路、機関、兵員すべて順調ですわ」
「それはよかった。……ところで、あちらの様子はどうだ? 山本さん、張り切ってるんじゃないか?」
おれはくいっと首をふり、うしろの方を差す。
「ははあ。あっちは五百キロも後方ですからな」
「おそっ」
「仕方ないですよ。樺太まで伊四百と並走したいちゅうんですからな」
おれは苦笑しながら、壁に貼られた海図を眺めた。
「五百キロというと、戦艦大和は今この辺かな? ……そもそも山本長官までなんでついて来るんだって話だよな。おれも何度も止めたんだが、どうしても現場に出るといって聞かないんだ。伊四百は俺が率いる、とか……ヘマすんじゃないだろうな」
「まさか!」
おれたちは笑った。笑ってから、慌てて口をつぐむ。
猛将山本五十六太平洋艦隊司令長官に、失礼にもほどがある笑いだった。
「おれとしたことが。いかんいかん。……気を引き締めていこう」
ぼそっと言うと、後ろから航空参謀の雀部がやってきて、こそっとつぶやいた。
「半信半疑」
「こ、こらっ!」
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