南雲拉致
●33 南雲拉致
(あれは……)
ご丁寧に、そいつは帽をかぶった黒いマント姿で、一般人に混じっておれのことをじっと見ていた。長身、がっちりした肩幅、そして小さな丸メガネに馬面。あの風体はそう忘れられるものじゃない。
陸軍参謀本部、第一部作戦課戦争指導班 山縣喜八
おれの泊まるホテルにまで押しかけてきて、佐伯翁への接近に釘を刺しに来たやつだ。
心の中で舌打ちをする。
どうせおれの行動なんて、陸軍参謀本部には筒抜けなんだから、おれがソ連とどんな会話をしたのかも、知っているはずなのに、こうやってわざわざやってきたのは、おれから報告にない情報を聞きだしたいか、圧力をかけたいかだ。
いや、もしかすると、あいつはソ連に近い一派だから、おれとグネチコとの会談をチャンスとばかり、おれをソ連派に抱き込みたいのかもな……。
山本さんがセレモニーをすませたタイミングで、おれたちはようやく舞台をおり、ロープでつくられた道を通って波止場をでる。
そのとき、一瞬山縣と目が合うが、無視をきめこむ。
「どうか、されましたか?」
草鹿がなにかを感じとっておれにたずねる。
「いや、なんでもない」
心配させてもつまらない。それに、おれは海軍省での報告を終えたら、すぐに横浜へ行きたかった。よけいな揉めごとを作って、時間を無駄にしたくない。
波止場のはずれに止まる黒塗りの車に乗りこむ。おれと山本さんに一台と、あとの三人にはもう一台だ。
「いやあ、南雲くんが聴衆を叱ったのは良かった!だが死んだという言い方はいかんぞ。うん、あれはやはり英霊になるとかだな……」
あいかわらず上機嫌の山本さんをよそに、おれは腕をくんで車窓から東京の街並みを眺めていた……。
海軍省で嶋田大臣、永野総長にも面談をすまし、報告書は草鹿にたのんでやっと解放されたのは、もう夕方だった。二人からは、まーたクドい昇進の要請があったので、おれはアメリカ戦が終わったら、退役して中学校の教師になると言ってやった。
海軍省の玄関をでると、階段の下に黒い二台の車と、案の定、あいつがいた。
「しつこいな……」
思わずため息を吐く。
「おれは横浜で人を待たせてあるんだぞ」
「中島知久平さんですか? それとも、息子さんですか?」
山縣がくいっと長い中指で小さな眼鏡をずりあげる。
「どっちでもいいだろうよ。どうせ、二人とも横浜に来ていることは知ってるんだろ?」
「くっくっく、中将にはいいお知らせがあります」
「ふーん、あんまり聞きたくはないね」
「そうおっしゃらずに。どうです、今度も横浜までうちの車に乗りませんか?」
そう言って、山縣は一台の車をさした。
もう一台の方には顔見知りの運転手が恐縮しておれを待っている。
「手回しがいいな。でも、今日はこっちにも車がある」
「同じことですよ中将どの。それに、こっちの車内でしたら内密の話もできます」
……どうしたもんか。
こいつは、どうせ、話がすむまでこいつは離れない気だろう。だったら、道中で済ませてしまう方が気が楽だ。
海軍の運転手に言う。
「すまんが帰っていい。横浜にはあいつの車で行くことにした」
「承知いたしました」
運転手は素直に頭を下げ、おれを見送る。
山縣が開けるドアにさっさと乗りこむ。
「お隣に座ってもよろしいですか? 部下とはいえ、運転手にも聞かせたくない話がありまして」
「勝手にしろ」
山縣は少佐だ。さすがに普通は助手席に座る身分だった。
「中将はいつものお宿ですか?」
「衣笠温泉」
「わかりました」
にやりと笑い、運転手に行先をつげると、山縣はおれの隣に乗り込んできた。
「それでは失礼します」
車がすべりだしたころ、山縣が口を開く。
「今回も、お見事な戦いでした」
「世辞はいいから要件を言えよ。いいお知らせってなんだ?」
「くっくっく。あいかわらず、南雲中将はせっかちですなあ」
「……」
「それでは単刀直入に申し上げます。陸軍では原子爆弾の陸送体制がととのいました。朝鮮の平山から、釜山港までは責任もってお運びいたします。あとは海軍さんが船を使うか、いっそ飛行機で運ぶかですが、どのようにされるおつもりですか?」
「ほう」
おれは隣にいる山縣を見た。あいかわらずの馬面だが、夕方の暗さとメガネの反射で表情が読めない。
「ずいぶん気の早い話じゃないか? それに原爆のことは誰から聞いた?」
「くっくっく。ご冗談を」
ごつい肩を震わせている。
「御前会議でのご発言以来、原爆に関しては陸軍でも重大な関心を寄せております。それに朝鮮での進君の活動には、陸軍もずいぶん手を貸しましたよ」
……なるほどね。
陸海の風通しもよくなり、大手を振って情報の共有化を要求したんだろう。
「……で?なんでいまごろになっておれと手を組む気になったんだ? お前らはソ連と組みたいんだろ?」
「組みたいですね」
山縣はきっぱりと言い放つ。
「われわれは、日独伊にソ連を合わせた世界連盟を企図しております」
「だから、それじゃダメなんだよ」
「なぜでしょうか」
山縣がめずらしく感情の入った言葉を話す。
「ヨーロッパにはドイツがあり、アジアには日本がある。しかも日本が原爆という、最終兵器を手にしたら、誰しもこちらの陣営に入りたがる。選ぶのはわが国です」
「スターリンはな、コミンテルンを率いてイデオロギーで世界をまとめたがっているんだ。けしてこちらの陣営には入らんよ」
「原爆があっても、ですか?」
……?
……確かにそう言う考えがある、のか?
おれはいままでソ連を敵視してきた。
日露戦争の確執もあるし、連中はみんな西洋人、しかもソ連は対ドイツがあって日本とは組めない。
それらを考えあわせれば、スターリンが英米と西側陣営としてまとまるのは必然だし、実際におれの知る世界線でもそういう構図になった。
だからこそ、史実では今年、1942年の十月、中国の重慶において、英米中ソによる対日戦略会議が行われたんだ。
だが、それはこの世界でもそうなのか?
この世界で日本は今のところ連戦連勝。英米は太平洋では負けており、そのためヨーロッパへ多くの兵力を割けずにいる。
現におれが戦った空母のうちの何隻かは、本当ならヨーロッパ戦線で活躍したはずの船だ。その分、ドイツには有利な戦いになっていて、戦況はいくぶん史実よりはドイツが有利になっているかもしれない。するとソ連は勝ちそうな日本やドイツに連合する?
でもなあ……。
「やはり、ダメだな」
「なぜです?」
「それだとドイツをつぶせない。英米仏対日独ソだと戦争は長期化して資源のない日本がもたないし、東ヨーロッパは赤化されて共産陣営になるうえ、独対ソの火種も残る。どこまでも戦争が終わらないんだ……っておい!道が違うぞ!」
車はいつのまにか、おれが知る道から外れて、知らない道を走っていた。
いつもご覧いただきありがとうございます。世界の大きな枠組みをどうするか、南雲の正念場です。 ご感想、ご指摘をよろしくお願いいたします。ブックマークを推奨いたします。




