小さな交流
●21 小さな交流
こちらはジョセフィン・マイヤーズ。
軍医の田垣から、南雲司令長官みずから日本の歴史や習俗など、ジョセフィンの聞きたいことに答えるレクチャーを行うと回答があり、それまでしばらく自室での待機を求められた。
それにしてもヒマだ……。
部屋は病人用の木のベッド。
あとはくだらない百科事典の入った古い書棚しかない。
だからこそ、暇つぶしに父の祖国である日本について調べてやろうと思ったのだがな……。
「比奈っ!、比奈はどうしたっ!?」
海水に汚れたもとの兵服のかわりにと、出された白い水兵服に着がえながら、金色の髪をふり乱して叫んでいると、病室のドアから灰色の軍装を着ている少年のような兵士が、ひょいっと顔をのぞかせた。
「比奈さんは傷病兵の面倒を見てるよ。なんせここんとこ連戦で……あ!」
兵士は室内の光景を見て、固まってしまう。
「……どうした? キサマには女の着がえを覗く趣味があるのか?」
「ごご、ごめん!」
兵士は顔を真っ赤にして、すぐに引っ込む。
「お前は誰だ少年?」
「さ、三等整備兵の木村だけど……そ、そうだよな、ちいちゃくても女の子だもんな、ごめん」
あけ放たれたドアの壁のかげから、声だけが聞こえてくる。
「比奈さんは今傷病兵の手当で忙しいんだ。だから僕、かわりに番をしてろって先生から……」
「……もういいぞ」
「え?」
「もう見てもいいと言ったんだ」
「あ、はい」
木村と名のった兵士が、おずおずと顔を出す。
「あは。その兵装、よく似合うね」
ジョセフィンは自分の姿を見下ろした。
着ているものは、帝国海軍第一種兵装、つまりは水兵用のセーラー服だった。
とはいえ、ズボンはぶっかぶかで、ウエストの紐をおもいきりひっぱって、裾を折り返しても、それでもまだあまっている。
「おまえの目にはこれが似合っていると見えるのか。それともワタシを子供だと思って無理な世辞を言っているのか」
「い、いや、可愛いよ……」
よもやジョセフィンが自分とたいしてかわらない年齢とは思いもせず、木村はただ単純に思ったことを思ったまま言っているみたいだ。
「まあいい……お前でもいいから教えてくれ。ナイフってどこにある?」
「はい?」
「ナイフだよ」
木村は質問の意味をはかりかね、はりついた笑顔のまま硬直しているようだった。
(さて、一緒に晩飯でも食うか)
艦隊は一路ミッドウェーに向かっている。
波もようやく静かになってきた。
昨夜の騒動からまる一日たったことだし、ジョシーもそろそろ慣れてきたんじゃないかな?
今のところ、おれは艦のみんなに彼女が敵戦闘機の乗員とは告げておらず、単になぜか救助された子どもということになってる。
うん、幼く見えるってのも、たまには役に立つもんだ。
おれは食堂に行き、子供むけのちょっと柔らかい夕食をたのんでみるつもりで、灰色の廊下を食堂へと歩いていた。
その時……。
「うおおおおおお!」
突然、食堂の方から悲鳴のような叫び声が響いてきた。
(な、なんだなんだ?)
おれは悪い予感がして、あわてて駆けだす。
なんどか角を曲がり、仄暗い灯りが漏れている食堂に飛びこむ。
「どうした!」
……ズガン!
室内に入ろうとしたところで、目の前の木製の柱に食事用のナイフが突き刺さって、おれは思わずのけぞってしまう。
「おおおおおおおおお!」
食堂には十人ほどの兵士たちがいて、大騒ぎしていた。
食堂の入り口を入ってすぐ左に木の柱には、木村一等兵曹が立っていた。
なんと、ナイフは彼の頭上のリンゴをぶち抜いて、柱に突き刺さっている。
「おい!なにやってんだ!」
非常事態ではなさそうだけど、こりゃまたどうしたことだ!?
入ってきたのがおれだと知って、中にいた兵士たちは目を剥いて固まってしまった。
「どうした南雲忠一。キサマも的になりたいのか」
木村から三メートルほど離れた場所に立ち、ジョシーがナイフを何本も持った格好で不敵に笑っている。
「な、なにやってんの!」
「な、南雲長官!す、すみません!」
木村があわてて平身低頭している。
「木村、これはなんの騒ぎだ??」
おれにはまだこの状況がつかめない。
走ってきた息をととのえながら、木村を見る。
その場のみんなが固まる中、木村がおずおずと口を開いた。
「そのう……ジョセフィンがナイフ投げをしたいと言うので、自分らがつきあっておりまして……」
「ナ、ナイフ投げ?」
「そういうことだ」
ジョシーは食事で使うナイフを両手で器用にジャグリングして見せる。
ぺし、ぺし、と音を立てて、ナイフが左右にいったりきたりしてる。
「ワタシはナイフ投げの名人でな。ヒマなときはよくこれをやる。キサマもどうだ?」
「ジョ、ジョセフィン!司令長官にそんな口の利き方……」
仰天して大声になりそうな木村を、おれは手で制した。
「いいよいいよ。彼女は日本人じゃないしそのうち慣れるだろ。……そんなことより、こんなの危ないだろ! いくら遊びだからってさ……」
「も、もうしわけありません!」
おれは柱に突き刺さるリンゴとナイフを引き抜いた。
けっこうがっつり入っていて、力が必要だった。
「リンゴなんか頭に乗せて、お前もよくやるよな。もしジョシーの手元が狂ったら、どうするんだよ」
「は、はあ……」
うつむいて頭を掻いている。
「こいつらと賭けをしたんだ」
ジョシーがすまして言う。
「か、賭け?」
と、おれが木村の顔を見ると、
「あの……三本続けて自分の頭のリンゴを刺せたら、自分とジョシーの勝ちでして……」
と、さらにバツの悪そうな顔をする。
「そういうことかよ……」
おれはあきれて笑った。
「おいジョシー、社会の授業やるんだろ?部屋に戻るぞ」
「ふん、ワタシに授業だと?……まあいい。ヒマつぶしにはなるだろう」
ジョシーはナイフを木村に返しながら、腰に手を当てて鼻をつんと上にむけてる。
普通にしてれば。けっこう可愛いんだけどな、こいつ……。
それからミッドウェーに到着するまでの間、毎晩おれはジョシーにつきあって日本の習俗と、歴史、そして帝国思想に関する授業をしてやった。
彼女の頭脳はさすがに優秀で、まるでスポンジに水をしみこませるように、なんでも、どんどん吸収してしまう。理解力もたいしたものだが、なにより記憶力が抜群で、一度訊いたこはまず忘れない。
年号や人物についての細かい記憶も完璧で、歴史上登場する天皇や武士の系譜なんかは、もうおれより詳しくなってしまった。
なぜかというと、この時代の日本の兵士は、全員が神武天皇から今にいたるすべての天皇の名前をすらすらと暗唱することができたからで、木村たちジョシーと仲の良い一派が、嬉々として教えこんだのだ。
おかげでおれが歴史の解説をしているあいだに、ちょいちょい時の天皇が何をしていたか、誰だったか、ジョシーが質問をはさんでくるのにはまいった。
ところで、おれの授業は、もちろんおれの知る歴史観にもとづくものだった。
とうぜん南雲ッちの記憶もあるんだけど、やっぱおれからすると黴くさい古びた歴史観に思えた。
だから頭のいい、合理主義者のアメリカ人であるジョシーには、結構リベラルで公平なおれの世界観を話すほうがいいと思ったんだ。
もっとも、おれの転生について触れないようにしたけどな。
おれの前世の記憶はおれにしかない。この国の歴史はおれがここに来たことで改変が進み、この先はおれの記憶からも遊離していくだろうから、ますますおれの転生は証明できないことになる……。
それにしても、口の悪さはあいかわらずだ。そのおかげで、木村たちには一目置かれるという、へんな存在になっていた。
ま、見た目で得してるんだけどね。
どんなに口が悪くても、白いセーラー服がよく似合う、アニメのフィギアみたいに可愛らしい金髪碧眼の美少女に、みんな苦笑はしても、悪い感情は持ってないようだった。
「ところで……」
「うん、なに?」
今日の授業が終わり、司令官用のサロンでお茶を飲んでいると、ジョシーがなにか思いだしたようにつぶやいた。
「キサマの説明によるとだ。日本は地理的要因から、歴史上これまでに二度しか独立を脅かされたことがないことになるが……」
「独立のピンチが二度……? ああ! 元寇が二回か?」
「いや、元寇は二度で一度とかぞえる。もうひとつはアメリカが浦賀にやってきたとき」
ジョシーは生意気にもひじ掛けに肘をついて、右の頬を手で支えている。こうしているとなにやら威厳のようなものまで感じてしまう。知性って恐ろしい。
「ああ、なるほど! ……今までそういう考え方をしたことがなかったよ」
「建国以来千五百年でたった二度とは独立国家として稀有なことだ。普通はどの国家も存続や野心から他国の侵略をうけたり、逆に侵略に出かけたりして、その結果糾合と滅亡をくり返す。ところが日本はいまだ隣国との物理的時間的断絶の中にいる。その意味では航空機が普及しつつある現在がはじめての開闢と言えるかもしれんな……。そう考えると、諸外国とのつきあいが稚拙なのもうなづける」
「ふーん、そんなものかね」
おれは笑った。
「ところでさ、おまえって口は悪いけど日本語はうまいよなあ。ご両親とはいつも日本語で話してたの?」
おれは話題を変えることにした。普通の社会の教師にすぎないおれに、これ以上難しいこと言われてもな。
ジョシーはおれの心中を見透かしたようにふっと寂しそうな表情になり、
「ワタシの母はワタシを生んでしばらくして死んだ。ワタシは父と祖父に育てられたのだ」
と、お茶がわりの、温めたミルクを口に含みながら言った。
「そうなんだ……。でもさあ、アメリカ人のお母さんが死んで、日本人のお父さん、よく元軍人のおじいちゃんといっしょに暮らせてるよね。追い出されたりしないの?」
おじいちゃんからすれば、日本人の男はかわいい娘をたぶらかした悪い男のはずだからな。
ジョシーが生まれて娘がなくなったとすれば、そのやるせない怒りみたいなもんは、ふつう男の方にむかうもんじゃないの?
「ワタシもそう思うが、あのふたり、なぜか異常に仲がいい。叔父がまだカリフォルニアにいるころは、よく四人でハイキングに出かけた」
「ああ、叔父さん……ヨーロッパ戦線で死んだとか」
ジョシーの頬がぴくっとなる。
あ、これ以上は聞かないほうがいいかも。
ジョシーはきつい目つきになり、ぽつりとつぶやいた。
「ヒトラーめ……ゆるさん」
「南雲長官!」
司令官サロンに草鹿参謀長が入ってきた。
「長官、そろそろミッドウェーです。ご指示通り、艦隊を三つにわけますので指揮をお願いします!」
「おし!ジョシーは部屋に戻ってて」
おれは立ち上がった。




