全空母攻撃隊、発艦せよ!
●26 全空母攻撃隊、発艦せよ!
「おい、どうしたんだ?」
おれがびっくりして顔を上げると、草鹿がそっと立ち上がる。
「自分が見てまいりましょう」
そう言って厨房との窓口で顔を真っ赤にしている桜庭へと近づいていく。
「どうした?」
「あ、すみません。こいつらが……」
あわてて出てきた炊事の者がペコペコ頭を下げている。
と思ってたら、今度は奥からエプロンを身に着けた責任者らしい人間が出てきて、言い合いを始めた。
「おいっ。お前は烹炊所で手ぬぐいを干すなと言うのか」
「そんではない。安全に干せと言っておるんだ」
「安全だろう! 所内はすべて電気式でなにひとつガスも燃料も使っておらん」
「すかし、冷凍庫は裏に熱が出る。そのそばで濡れた手ぬぐいをば、干すなと言っておるんだ」
「熱があるから干すのだ」
「まあまあ……」
草鹿が間に入り、とりもっている。
食堂にいる兵士たちは、いつものことなのか、あまり驚きもせずにその様子を見守っている。ちらりと見ては、なにごともなかったように、また自分の飯に戻るやつもいる。
おれは我慢できなくなって立ち上がる。
「こらこら、喧嘩はいかんぞ」
「こ、これは南雲長官……」
ふたりはいったん口を閉じ、頭をさげる。
「君は?」
「主計少佐の安藤であります」
たしかに、いかにも主計少佐といった風情の兵士だ。長身で眼鏡。この時代、炊事は民間に委託していたはずだから、エプロン姿なのは単にしきたりだろう。それにしても、彼らが言い合いになるほどの、理由はなんだ?
「草鹿、手拭いがどうしたって?」
「はい。炊事係たちが冷凍庫のそばで手ぬぐいを干したので、桜庭がおこっているそうです。ほら……」
草鹿の指す方を見ると、窓口の奥に炊事場があり、その冷凍庫の横で手ぬぐいを十枚ほど干しているのが見えた。
「そうなのか?桜庭」
「はいい……冷凍庫の裏は熱が出ます。万一故障して火が出れば、手ぬぐいに引火し、大事にもなりがねんのす!」
「引火なぞせん。してもここには水があるし、いつも人がいる。それにまわりに燃えるものはないぞ」
安藤が歯を食いしばるようにして言った。
「なるほどね……」
おれは理解した。徹底した防火対策と、この異常なほどの気配りが、桜庭が名物男たらしめているのだ。
「桜庭は内務長なの?」
草鹿に耳打ちする。
「はい。階級は少佐ですが、防火、防災の担当です」
「うん、いいね。空母はつねに爆弾や魚雷攻撃の危険にさらされてるからな。用心しすぎるということはないんだ」
「……」
「貯蔵する爆薬や燃料は仕方ないとしても、艦内の不燃化は軍備の一部だよな。燃料が燃えようが、爆発しようが、防火区域をつくり、人間の退避する場所の安全をしっかり確保すれば、大勢の、大切な乗組員は死ななくてすむ」
安藤はいつのまにか、神妙な顔つきになっていた。
「……も、もうしわけありません!」
安藤がばっと頭を下げる。
「長官がそれほど乗員を気遣っておられるのに、うかつでありました。桜庭、すまん」
「いや、ええんだ。わがってくれりゃ……」
悪いと分かれば非を認める。安藤は素直なやつだった。
おれはうなずき、草鹿に言った。
「彼らの防火意識を戦闘対策にも活かそうよ。そうすれば、もっと防御に強い艦になるぞ」
空母艦隊は夜の昏い海上をひた走っている。
揺れる甲板では、息をひそめるようにしてうずくまる兵士たちが、命令を待って冷たい汗を流していた。
敵の哨戒を警戒して、灯りは発艦の寸前と決めていた。
見えるのはそれぞれの位置を示す、ほんの小さな照明灯と、あとは艦橋の指令室から漏れる室内の明かり、そして昼間の曇天から一転した星の瞬きぐらいだ。
その艦橋の中には艦長と数人の兵士たち。
そしてその奥には司令官室があり、そこではおれと草鹿が哨戒艇からの連絡をいまかいまかと待ちかまえていた。
『こちら○○丸……蟹籠六つ回収す』
スピーカーに接続されている緊急チャンネルに声が聞こえる。
おれと草鹿は顔を見合わせた。
ほとんど同時に兵士がとびこんでくる。
「哨戒艇より通報。敵艦隊はウムナック島港湾に入港せるものと認む」
「ビンゴ!」
おれは立ち上がった。
「投光器をつけろ。発艦用意!」
「はっ!」
兵士が出ていく。
時計を見る。おれの予想よりは少し遅いが、今から一時間後なら港はまだ明るい。攻撃にはうってつけのはずだ。
「行こうか草鹿」
「ええ」
おれと草鹿は司令官室から艦橋に出る。
「明かりをつけろ」
「甲板を照らせ」
どこかでスイッチの入る重い音が鳴り、甲板が昼間のように照らされていく。航空機の滑走軌道を示すのは、蒸気とあとは松明だ。
いつのまにか整列していた疾風やゼロ戦たちが、投光器の灯りに浮かび上がる。
車輪止めが外され、エンジンが始動する。
空母隼鷹の甲板上は、一気に喧騒につつまれていった。
おれは艦橋の窓からそれらを見おろし、航空長からの報告を待っている。アリューシャン列島が遠のき、今は黒々とした海だけが見えている。甲板の煌々とした明るさで、もはや星も見えない。
「空母飛鷹、発艦準備よし」
「空母龍驤、発艦準備整いました」
通信員からの報告が入る。無線統制のため、むろん光通信だ。
「本艦、発艦準備よし」
さあ、いよいよだ。
草鹿がおれを見ている。あとはこのおれがひとこと言えば、いよいよアリューシャン列島ウムナック島への夜襲攻撃という、この海戦を決定づける一世一代の作戦が開始されるのだ。
そして、おれは口を開いた。
「全空母攻撃隊、発艦せよ!」
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