江草ふたたび
●23 江草ふたたび
北艦隊への攻撃はただちに行われた。
空母飛鷹、龍驤、直掩部隊の各攻撃隊は、南艦隊の攻撃を突然とりやめると、そのまま六十マイル北の敵北艦隊に向かっていく。
敵の北艦隊は、空母隼鷹への第一次攻撃が効果を発揮せぬまま、すでに一発の雷撃を受け、航行が不自由となっていた。
護るべき駆逐艦は一隻しか残っておらず、それもあっという間に千メートル以内という至近距離から九一式航空魚雷の餌食となった。
「あとは空母だけじゃの」
新型艦爆機『彗星』の操縦席で、江草隆繁大尉は、後席の兵士に話しかけた。
すでに戦闘海域には到着し、眼下の海上には、敵の空母艦隊が小さく見え隠れしている。いくつもの煙がたなびき、すでに敵の空母は手負いである。高度は三千、味方の攻撃を見ながら、江草は爆撃のチャンスを狙っていた。
ここまで、空戦らしい空戦はない。すでに敵の直掩機は疾風の攻撃によって殲滅されているらしく、その証拠に同じく攻撃の機会を狙う僚機たちも、ほとんどが無傷だ。
「久しぶりの実戦じゃから腕が鳴るわい。後方はたのんだぞ」
「はっ。お任せください。……大尉殿の腕前、拝見いたします!」
後方への機銃を油断なく構えながら、兵士は尊敬してやまない上官へ、陸軍みたいに『殿』をつけて呼んだ。
江草は以前にも南雲艦隊の一員として空母蒼龍の爆撃隊長をやった人間だ。インド洋コロンボ空襲などで、その才能をいかんなく発揮したあと、横須賀で航空教官を務め、その間に階級も大尉になっていた。
今回急遽の艦隊招集にともない、練習中だった新型艦爆機の『彗星』とともに、蒼龍以前に乗船したことのある古巣、龍驤での出陣命令を受けた。
「久しぶりといやあ、南雲長官のお役に立てるのも久しぶりじゃ」
「南雲長官はどんな方ですか」
「ああ。人使いの荒い方やが、まず、機略は縦横じゃの。若い連中にはずいぶんシンパ(ファン)がいる」
江草は南雲の顔を思い出した。
爆撃の神様、と謳われる彼も、まだ南雲と直接は話をしたことがない。しかし横須賀の航空隊で教官を務めながら、彼が南雲中将の話をしたことは何度もあった。すなわち、
『南雲長官に精神論は通用しない』
『アメリカの通訳を雇うなどして、独自の情報を持つお方』
『若い兵にも意見を訊き、いいものはすかさず採用される』
『兵器にも造詣が深く、中島知久平とも昵懇の仲』
『今の海軍で唯一陸軍にも恐れられる人物』
まあ実際はそこまでの英傑とは信じがたいが、この時期の南雲に対するおおかたの人物評としてはこのようなものであり、江草も知らぬ間に幾度となく話題にあげていた。
「……自分も、いつか直接お話を伺ってみたいであります」
後席の兵士が機銃を握りしめて言う。
江草は応じかけ、しかし抜け目なく海上に気を走らせた。雲が晴れ、攻撃をしていた味方機が遠ざかって、狙っている空母に絶好の隙が生じたのだ。
「おい、行くぞ!」
一機の戦闘機が水平近くから空母の機銃掃射をしかけ、その応戦に空母からは曳光弾が光っている。
今なら、敵はこちらに気づかない。
江草は彗星のフットバーを踏み、操縦かんを引き上げた。
「急降下爆撃用意!」
「はっ」
スロットルを全開にする。
彗星の水冷式アツタ二一型エンジンが猛然と唸りを上げる。
先のとがったロケットのような機体が、ぐんぐん上昇して、高度をあげていく。
「後方はどうか」
「いません」
「よし、このまま高度六千まで上昇する」
「諒解」
雲に入る。
目の前は真っ白になり、なにも見えなくなるが、敵艦の位置はしっかり把握している。それを想定して徐々に旋回しつつ、さらに高度をあげる。
江草は計器を見る。
高度四千、五千……五千五百……。
厳しい冷気が首筋と肩を襲うが、しっかりマフラーを巻いているので我慢できる。
高度……六千。
スロットルを半分閉じ、ダイブレーキを利かして機体を水平に戻す。
がつっとスロットルを押しこみ、一気に急降下に入る。
操縦かんをしっかり制御しないといけない。
右手を握りしめ、Gに耐える。
どんどん降下していく。
雲が途切れ途切れになってくる。
流線形の機種が切り込むように垂直に近くなる。
ばっと視界が開けた。
海上が見え、その先には敵の空母が見える。
(どんぴしゃじゃ!)
と思ったその瞬間……。
ドン、ドンドン!
自機の周囲に高角砲の黒煙があがる。
ガシャン!
風防を一発の榴弾が貫通する。
江草は本能的に機体を九十度横に倒し、榴弾を避ける。
風がごおっと操縦室に舞う。
渦巻く空圧が頬を差し、首が持って行かれそうになる。
しかしスロットルはそのままだ。瀕死の敵空母にも、まだ撃てる高角砲が残っていたらしい。
後席が気にかかる。破片と風防の被弾でケガはなかったか。
「おい、大丈夫かっ」
「はいっ」
「……よし。爆弾投下用意」
「はっ」
歯を食いしばって前を見る。
ぐんぐんと空母が迫ってくる。敵艦の放った機銃の曳光弾が無数に飛んでくる。
後席をうかがっている暇はなかった。今は言葉を信じるしかない。機体を操作して、空母の後方からほぼ垂直の甲板直撃を狙う。
Gがすさまじい。奈落の底に叩き落されるような気分だ。
エンジンは唸り、空母は目前に迫る。爆弾の物理落下を見越して、やや前方の海に照準を合わせる。
「……今っ」
叫びながら、投下レバーを操作する。
がくん、と衝撃があり、機体から五百キロ爆弾が投下される。
次の瞬間、昇降舵を倒し操縦かんを一気にひきあげる。機首が持ち上がり、海がようやく遠ざかる。
爆風を避けるためややバンクして離脱する。
数瞬しても後席の報告がない。
不安になり、江草は後ろを振り返る。後席の兵士は後ろ向きのまま、がくんと首を垂れている。
「おい!どうしたっ!」
返事がない。さては、やはりさっきの榴弾でやられていたのか?
「おいっ!」
「……」
「……お」
「す、すみません……大尉どの」
江草はほうっと息を吐きだす。
とにかく、まだ死んではいない。
「どうしたっ」
「実はさっきの弾が……こ、こめかみを掠ったようで」
水平飛行に戻して、後方を振り返ると、兵士は帽子を脱いで自分の傷を確認しているところだった。
右手でこめかみを擦り、血を確認している。
「傷は?」
「かすり傷です」
「よ、よし」
どうやら、一時的な脳震盪だったようだ。ようやく汗がどっと噴き出てくる。風防には穴が開き、アリューシャンの風が舞い込んでくるというのに、全身が熱い。
(そうだ、俺の爆弾はどうした?)
バンクさせ、海上を見る。
見れば、敵の小型空母はもうもうと大きな黒煙を上げ、炎を噴き上げている。
「おみごと……で、あります大尉殿」
「かばちたれ……」
首をまだぐらぐらさせながら、後席の兵士が報告するのを、江草は安堵と苦笑の入り混じった奇妙な顔で聞いていた。
いつもご覧いただきありがとうございます。江草さんがコロンボ以来の登場です。ご感想、ご指摘をよろしくお願いいたします。ブックマーク推奨いたします。(いつのまにか200話になりました)




