ソビエトの魔手
●20 ソビエトの魔手
共通チャンネルに無線が入る。
「「南雲艦隊司令部より全攻撃隊。弾薬のなくなりし攻撃機は、右指定の海域にて空母隼鷹の警護に当たれ。ただし、追撃は必要とせず、敵機を重巡那智へ追い込むを一義とす。指定海域は北緯……」」
(面白いこといいよるな)
空母龍驤を母艦とする坂井は、帰投する西への針路を急ぎながら、この奇妙な無線を受けた。少し考えてからひと笑いし、計器や燃料の残量、残り弾数などを確認する。
(まだ余裕はある……か。これで今日の任務は終わりかと思ったが、敵を追い込む役とは、南雲長官は楽しませてくれよる)
横に並んだ飛行機を見ると、そちらの搭乗員も笑って北を方を指さしている。行きましょう、と言っているのだ。
無線のスイッチを入れる。
「龍驤坂井隊、聞いたか? 行こばい!」
「大本営より入電!」
あわただしく乗組員が動いている隼鷹艦隊司令部に、さらに動きがあった。
とつぜん通信員が立ち上がり、こちらにやってきてぴっと敬礼をする。
「……どうした?」
通信員の顔色を見て、たいしたことはないと思いながら、一抹の不安を覚える。
「大本営発、第一航空艦隊南雲忠一中将」
「おう」
「ソビエト大使館より、カムチャッカ半島ペドロパブロフツクを母港とするソビエト海軍の潜水艦がエンジン不調のためアッツ島西百 海里を海上航行中、帝国艦隊およびアメリカ合衆国に対し、戦闘行為が及ばぬよう配慮を願うとの報あり。当艦隊はこれに配慮し、ソビエト潜水艦に攻撃がおよばぬよう、万全の配慮をせよ」
「……ふうむ」
こらまた、ややこしいときに、ややこしいことが……。
といより、ややこしいこと言うのが目的なのか? たとえばこの海域での自国の存在感を示すとか……。
おれはしばらく唸ったまま立ち尽くす。
そうだ、きっとそうに違いない。西洋列強の中で、陰謀うずまく欧州と対等にやりあってきたソ連中枢部の、したたかさが透けて見える気がした。
あえてこの戦闘海域に自国の潜水艦をよこし、わざわざ手を出すなよ、と通告してきた。このことで、カムチャッカ半島という、ソ連の領土近くで、おまえらの勝手にばかりさせないぞ、という釘を刺し、同時に戦闘の様子を堂々と偵察する気なのだ。
さらにこうしておけば、救助を口実に艦隊を派遣することもできるし、さらに万一攻撃されたら、それを理由に不可侵条約を反故にしたり、アメリカとの決別の論拠にもできるわけだ。
佐伯翁の言っていた、
『スターリンは今一番世界で恐ろしか男』
というのが腹に沁みる。
新聞社プラウダの編集から、レーニンとともに革命を指導してコミンテルンという組織づくりをやり、さらにポーランド侵攻、第二次世界大戦が終わったら戦勝国入り、という強引な離れ業を生涯のうちになんどもやってのけただけのことはある。
さすがのおれも、これには度肝を抜かれたが、対抗戦略を考える時間はない。そういうタイミングそのものがこの作戦のうちなんだろう。
「じゃあこう回答してくれ。艦船は見分けがつくが、潜水艦は当たったら、ごめん……」
敵の北艦隊の攻撃隊はまもなくやってきた。
味方の「弾切れ直掩機」たちも、指定海域に集結してくる。駆逐艦を前方に配置した隼鷹艦隊の西南を少し開け、そこに高度三千から五千付近で、航空機がやたら飛び回る空域をつくったのだ。
この高度を飛ぶ航空機からみた艦隊は、それぞれが木の葉のように小さく、ともすれば厚い雲間に消えてしまう。そこへ航空機が一撃離脱のごとく、敵が斜めに切り込んできては飛び去るので、それを躱しているうちに、戦闘機F4F、F6F、雷撃機デバステイター、爆撃機ドーントレスの混成編隊は、知らずに数キロ奥の重巡洋艦・那智へとおびき寄せられていった。
「攻撃を終えた味方機がつぎつぎに集結しています!」
その報告を聞き、隼鷹の艦橋から空を眺める。
いくつかの空域で航空機による戦闘がはじまるが、敵機に被害が多い。
主には疾風と五二型ゼロ戦による一撃離脱が功を奏しているようだ。
「対空戦闘!」
「弾幕を張れ」
「高角砲撃て!」
「機銃掃射はじめ!」
護衛する駆逐艦からも高角砲が撃たれて、隼鷹艦隊の上空には色とりどりの弾幕が張られていく。煙に着色する技術のすぐれた日本軍は、各艦ごとに違った色の弾幕になるのだった。
しばらく散発的な防戦が続く。
爆撃機をやりすごし、雷撃を躱しながら、おれはあることに気づいた。
「あれ? 敵の攻撃がずいぶんぬるいが、なんでだろう? ちっとも近づいてこないぞ」
蝟集する日本の戦闘機や高角砲の弾幕をかいくぐり、それでも何機かは隼鷹を狙ってくる。しかし、その攻撃はかなりアウトレンジからのもので、特に急降下爆撃は皆無に近かった。
「確かにそうですね。もしや、こっちには連動高角砲があると思ってるんじゃないですか?」
と草鹿に言われ、おれは手をぽんと叩いた。
「羹に懲りて膾を吹く。ってやつか」
つまり、連中は過去、おれたちの連動高角砲に痛い目にあって、今は必要以上に警戒しているというわけか。となると、艦隊決戦はこの先少し違った様相を呈してくるかもしれないよな……。
おれは黒い点のような戦闘機が、低い空に舞うのを見ながら、次の戦略に思いを馳せていた。
「おい。南雲中将に打電してくれ。こちら重巡那智、そろそろ反撃の許可を願う」
ここは重巡・那智の艦橋である。
艦長の清田孝彦は、いまだに慣れない音声通信を避け、無電と光通信での連絡を指示した。
「南雲さんの作戦によもや間違いはありもはんが、こっちはたかが巡洋艦じゃち」
重巡洋艦とは言え、装甲はそれほど強くない。そもそも、巡洋艦という艦種そのものが、ロンドン軍縮会議で設けられた一万トン以下、戦艦よりも小さい口径の砲しか有さない補助艦というカテゴリーなのだ。しかもトン数を制約されているため、どうしても装甲は厚くできなかった。
「ほれ見よ」
無言で双眼鏡をかまえる砲術長、航海長たちに、空を指さす。
その方向、十キロほど離れた遠い空では、敵味方の戦闘機が入り乱れて空戦を繰りひろげていた。
(こげなこつしちょって、まこち大丈夫じゃっどかい、あん高角砲っちヤツは……)
那智からは司令部の指示で、ほとんどなにも砲撃をしていない。
清田は新しく装備された高角砲を眼下に見おろし、不安そうにつぶやいた。
いつもご覧いただきありがとうございます。ソ連が嫌がらせをするなか、戦いは那智へと移ります。ご感想ご指摘お待ちしております。また、ブックマークをお勧めいたします。




