角田少将、山口多聞を意識する
●15 角田少将、山口多聞を意識する
日清戦争で日本が清国に勝利したのち、南下政策をとっていたロシア帝国は、日本のものとなっていた遼東半島を三国干渉によって返還させた。さらにこの遼東半島をロシア帝国が自国のものとしたとき、日露の関係は決定的に悪化した。
1904年二月八日、遼東半島にある旅順港に停泊中のロシア旅順艦隊を、大日本帝国海軍の駆逐艦が奇襲攻撃したことで、日露戦争の火蓋が切られた。
日本は旅順を守る二百三高地を多大な犠牲により攻略、旅順港と艦隊を撃破、ついで日本海を荒らしまわるウラジオストク港の艦隊を破壊し、さらに欧州から派遣された当時世界最強と謳われたバルチック艦隊を苦心のすえ撃破する。
ここにいたって日本の勝利は不動のものとなり、日露はポーツマス条約で講和、日本はこの戦争に勝利したのである。
そして、この約十年後、ロシア帝国は崩壊をしている。
この一連の戦争を、弱冠十五歳の角田覚治少年は、大日本帝国海軍へのあこがれと歓喜のなかで見つめ、成長した。
もともとは裕福な農家に生まれ、わんぱくで鳴らした覚治少年が――他の中学生たちがまたそうであったように――自然に国への忠誠と、自らもその一線で戦い勝利するのだという信念を育て、やがては兵学校に進んだのは、ごく当然のなりゆきだった。
空母「龍驤」の無骨な広い指令室で、角田はその丸い指をぽきぽきと鳴らしていた。
司令官としての帽をかぶってはいるが、太った体躯は後ろ姿もユーモラスで、人懐っこい。チョビ髭も威厳というよりは、いっそご愛嬌だ。
角田は、いよいよアメリカ艦隊の攻撃を自分が受け、采配する時が来たことに気をはやらせ、手ぐすねを引いていた。
(俺は四航戦の司令官だ。負けるわけにはいかない)
角田は考えた。
南雲長官が世界の海で勝利し、そのせいで空母艦隊が注目されている中、自分はその世界に誇る大日本帝国海軍の司令官である。国民国家のため、世界に恥ずかしくない戦いをやろう。
もともと、なぜか龍驤という、ちょっと旧式の小型空母しかあずかっていなかった身が、こうしてひとかどの兵装をもらったのは、すべてあの南雲長官のおかげだ。
だからこそ、かならずやあの一期下で、南雲長官の覚えがいい山口多聞にも、劣っていないということを南雲長官に見せてやりたい。
……いやいや、山口のことなど、まったく意識をしているわけではない。なんといっても、やつは一期下だし、意識するほうが滑稽だ。それに、そういう対抗意識など、帝国軍人にとっては無駄なこと。無駄はよくない。よくないが……なぜ、海軍は山口の方を取り立てるのか。山口には飛龍、蒼龍を渡し、俺には龍驤だけ。な、なぜ俺には真珠湾にも行かせてもらえず、山口にはいつも機会があたえられるんだ。や、山口は、い、い、一期下ではないか。
角田は深呼吸をして気を落ち着かせた。
……だがまあ、先日のトラック沖対米艦隊決戦では戦地への一番乗りを務めたし、戦闘機はすべて最新式の疾風になり、艦攻もいまや天山だ。おまけに、今回は九九式艦上爆撃機に代わってたった九機だけだが、新型の爆撃機も九機搭載してもらっている。俺もようやく日の目を見てきたってことかな。
(あとは……)
角田は指令室の窓からアリューシャン列島の空を眺めた。
垂れこめる曇天が朦々と広がり、海面が見えている。この空母の指令室は前方甲板下にあるため、視界が広い。
(今回はあれがある。噂にも聞く、あれがな)
角田はチョビ髭をなで、後方を振り返る。
右舷と左舷から二つずつせり出した機銃座には、四基の電探連動高角砲が搭載されていた。
「角田司令官、本艦より約十 海里の海上で、直掩部隊との交戦がはじまりました!」
通信士がレシーバーから耳を外し叫んだ。
「敵機は?」
「約三十です」
(三十か。それなら二十の艦攻と艦爆、戦闘機は十ってところだ)
こちらは三つの空母直掩機からなる迎撃部隊だから、おそらく三十か。なら、全滅は無理だろう。迎撃を免れたやつが、十機くらいはやってくる。
角田は飛行甲板最前部の指令室から上空を見あげた。
「では、もう来るな……疾風は出たか?」
そこからは疾風が発艦していくのが見えている。
「あと二機で十機完了です」
若い航空参謀が答える。四航戦を中心に構成した今回の艦隊も自分を慕ってくれている若い人間に恃んだ。なんといっても、戦争は気心が知れていることが一番だ。
「坂井はどうした?」
戦力の増強で、一番ありがたかったことは、飛行隊長として坂井が登場してくれたことだった。疾風も乗りこなし、すでに撃墜王の貫禄さえある。
「はい、一番機で出ました」
「ようし、疾風が出たらすぐに敵機迎撃だ。よその直掩機に手柄をとられるな」
「そのお言葉、無線で送りますか?」
通信士がニヤリと笑う。
「むろんだ。ただし、南雲長官の命令はまもれよ。迎撃部隊はこの艦隊から五 海里までだぞ」
うなづきながら、通信士はマイクを掴んだ。
「龍驤司令より疾風。発艦後はただちに交戦空域に向かい、本艦より五海里までの空域にて敵機迎撃せよ。なお、以下は角田司令官の命である……他の空母に手柄をとられるな」
「艦長、対空戦闘用意」
「対空戦闘用意!」
角田は窓から電探連動高角砲を見おろす。角田の命令が伝わり、方位角、仰角の順に高角砲が電動で位置をあわせる。その様子を見るのが、角田にはものめずらしくて好きだった。
「右十度、敵機!疾風隊と交戦中!」
兵士が叫ぶ。
角田はうなずき、双眼鏡を目に当てた。
そのころ、坂井は十機の攻撃隊を率いて空を舞っていた。
ようやくすべての機が離艦をはたし、隊形を整えていたところ、敵機襲来の一報が入る。
「もう来たのか。今すぐ行くから待っておれ!」
無線を掴む。
「龍驤疾風隊、高度五千にて敵の迎撃を行う」
報告をすませ、一気に操縦かんをひきあげてスロットルを押しこむ。
ぐいっと機首があがり、白い空が見える。
いつもご覧いただきありがとうございます。角田少将の回です。日露戦争について調べていたら、夢中になってしまいました。ブックマークをよろしくお願いします。




