空と海の攻防戦
●10 空と海の攻防戦
航空時計や気圧計はすでに合わせてあった。
整備兵がエナーシャ(始動機)のハンドルを回して退避すると、小八重飛曹は電源スイッチを入れ、エンジンとのコンタクトを行う。
奥のどこかで、がちっと噛みあう音がした。
その音で、彼は自分が飛行機そのものと一体になるのを感じるのだ。
バルバルッ……バババババ……。
油圧ブレーキをかけたまま、スロットルを開ける。
『第一攻撃隊、発艦』
無線が聞こえ、部隊に攻撃命令が下る。
隊長機である艦攻天山が、エンジン始動から時をおかず轟音をあげて飛び出していく。
「小八重隊、発艦よし」
車輪どめが外される。
ブレーキを放すと、ゼロ戦五二型は力強く動き出した。
高めにした座席から前方を見つめる。
空母隼鷹の船首に流れる蒸気は、風下へとまっすぐのびているようだ。全速で航行するため、ローリングがやや大きいが、これくらいなら問題ない。
その先へと小八重は一気に速度をあげる。
グオオオオオオオオ!
爆音をあげながら、甲板を走る。
あっというまに車輪が持ち上がる。
……雲が厚いな。
小八重は、新型機の性能を確かめるように、大きくバンクして旋回した。
(……みんな、無事に帰って来いよ)
おれは出撃していく戦闘機たちに手をふっていた。
曇天のせいか、発艦するゼロ戦のあざやかな日の丸が、やけにはっきりと見える。飛行士たちがの真剣な表情までもが、まるで望遠鏡の映像みたいだ。
この空母隼鷹からは、戦闘機九、艦攻十二、合計二十一機の攻撃隊を振り分けていた。たったこれだけの数でも、規模の小さい隼鷹では全体の発艦に四十五分はかかるという。
おれは先ほどの決定に穴はないか、思い返していた……。
話は少しもどる。
「草鹿、哨戒機によれば敵艦隊はアトカ島南部にいた、ということだな。距離はどれくらいある?」
「約二百十五マイルです」
「てことは、全速で三十分か……空母はいたのか?」
「はい。それが面白いことに、向こうも小型空母で一隻だけだそうです。駆逐艦七隻、巡洋艦二隻が取り囲む輪形陣です」
「小型空母が一隻だけ、だと?」
「はい……報告によれば」
おかしい……。
小型空母一隻なら、時期的に考えて、インディペンデンスじゃないか? だとしたら、搭載機はせいぜい三十ほどだぞ。いくらなんでも手薄すぎる。
もしも日本軍によるアッツ、キスカ上陸を阻止するつもりなら、少なくとも、あと一隻……。
おれは必死に自分の記憶を呼びおこす。
たしかインディペンデンスは改造空母で、ほとんど同時にもう一隻起工していたはず。名前はなんだっけ……プリンストン?
そいつがほぼ同時に竣工し、やってきていてもなんら不思議はなかった。
それに、おれたちだって、お互いが五十マイル以上離れた陣形をとっている。いくつかの海戦を経て、空母がくっついていることのデメリットを感じたからだが、敵だってそう考えているんじゃないか?
決心して草鹿を見る。
「やはり気になる。隼鷹の一次攻撃隊は予定どおり向かわせるが、残りの六十機はキスカ島あたりで待機させよう。もし敵がおれたちと同じように隠れていたら、それに呼応する必要があるからな」
「わかりました」
発艦はまだつづいている。
おれは艦橋に立ち、飛び立つ飛行士たちを、見つめていた。
こちらは潜水艦グロウラーの艦内だ。
艦長のギルモアは汗ばんだ顔を上に向け、目を閉じている。
聴音士からの報告を聞き、それを頭の中で思い描いているのだ。
フレンドル大尉もまた、ギルモア艦長のそばで神経を海上へと集中していた。敵の駆逐艦は少なく、まだこの艦を知られていないようだ。最初のころに投下された何十発もの爆雷は数百メートルも離れた場所だったし、僚艦はともかく、今のところ本艦に被害はない。
それにしても、とフレンドル大尉は思った。
なぜわれわれがここにいることが、日本の連中にばれたんだろう……。
潜望鏡で敵機の接近に気づくのはかなり早かったし、急速潜行はうまくいったはずだ。なのに、しばらくすると駆逐艦がやってきて、爆雷を投下し始めた。いったい、自分たちのなにが悪かったのだろう……?
「深度七十、バランス回復」
静まり返った艦内に、ギルモアのささやき声が響く。
海面では一隻の駆逐艦が微速で動き回り、彼らの発する機械音に聞き耳を立てているはずだった。
「駆逐艦は?」
「方位二百四十。近づいてきます」
レシーバーを耳に当てる兵士も、今はささやき声だ。
「取舵」
ギルモアが目を閉じたまま、顔をやや傾ける。汗が流れ、疲労が滲む。
操舵士が舵を動かす。
「取舵オーケー……」
こっちもごくごく微速で動いているのだ。じっとしていては反撃のチャンスを失う。なんとかやりすごし、いいポジションを得て魚雷を発射したい。そのためには、海中を三次元的に動いて敵をなんとか射線の先に捉えなければならない。
この艦に乗船する八十名の誰もが、動かず、声もあげず、ただじっと上を見つめていた。
氷のように冷たい海が今はありがたい。それでも、艦内の温度は徐々にあがり続けている。
「どっちなんだ……」
ギルモアがつぶやく。
フレンドル大尉には、その艦長の言葉の意味がよく分かった。
こっちを発見しているのかいないのか。
発見しているなら早く攻撃して来い、発見していないなら……こっちが撃つ。
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