おれ氏、説得される
●6 おれ氏、説得される
麹町の海軍省につくと、山本長官、そして永野総長が待っていた。
さっそくアッツ島近海の哨戒艇による索敵情報、ならびに島の電探による艦影情報の説明を受ける。
なんのことはない。二人とも、あきらかにおれの出撃をうながしているのがわかった。
おれは半ばあきれて、ソファーの背もたれに体重を預ける。
訊けば、そもそもは、あのドゥーリットル空襲のあと、本土に接近するアメリカ艦隊をいち早く察知する哨戒目的で、ここを占領、基地化したいと言い出したことが背景にあるらしい。
おれがアメリカ艦隊と激戦をくりひろげている間に、たった二名のアメリカ人しか住んでいないアッツ島をあっさり占領し、今度は大量の陸軍部隊を載せていこうとしていた矢先、新たな敵艦隊出現の情報を得て、あわてておれを呼び戻したというわけだった。
ちなみに、史実におけるアッツ島の悲劇は、おれもよく知っている。
百三十年ぶりに本土が外国に占領されたアメリカは、アッツ島が占領された翌年、必死の奪還作戦を敢行した。一万人以上の米軍勢力が同島に襲いかかった結果、二千数百名のアッツ島守備隊は全員が玉砕、六千名のキスカ島守備隊も、命からがら逃げだすことになった。
だから、おれはもともとこんな辺鄙なところを占領するのは大反対で、まったく意味がないと思っていたのだ。
おれは憮然とする。
「いくらなんでも、この島々の攻略は間違っていますよ。アメリカ艦隊は当面なにもできないし、ミッドウェー島をやらない以上陽動にもならない。それに、敵のB29爆撃機は南方から来るんです。こんなところ、まったく意味がないですよ」
史実での知識があるから、まったく気乗りがしない。ミッドウェーのいわば囮作戦だったこの列島攻略は、結局無駄と犠牲だけで終わっている。
「南雲くん、太平洋は広いのだ。大鳥島(ウェーク島)だけでは哨戒に漏れが出る。だがこのアッツ島を捕れば、大鳥島を結ぶ二千四百マイルの大半を哨戒できるんだよ」
と、永野総長。おれは首をふる。
「それなら監視空母艦隊を派遣しましょうよ。第一、あそこはアメリカ本土ですよ? もしもプライドにかけて奪還作戦に出られたら、どうするんですか? 増援も補給もできず、守備隊は大変なことになります」
山本さんも妙に真剣な表情だ。
「それこそ、空母艦隊で守ればいいではないか」
「だいたい、みなさんには戦線思想がなさすぎる」
おれは思わず声を荒げた。
「戦線は補給し、常に守らないといけないんですよ?」
「いつも君が言ってる大鳥島から向こうには手を出すなってやつかね? それはわかるが、それだけでは国は守れないのだよ」
「守ってみせますよ」
永野総長はじっとおれの目を見る。
「たしかに君はよくやっている。それは認めるが、敵は米英仏だけではない。ソビエトをけん制し、アメリカとの連絡を断つことも必要なんだよ」
「……?」
「この島を占領し、その守備の名目で大量の空母艦隊を往来させれば、ソビエトは文句が言えない。カムチャッカ半島とは目と鼻の先で、シベリアへの道が開ける。同時にベーリング海を抜けて北極海にもな」
「うーん……」
おれは腕を組んで考え込んだ。
ソ連へのけん制という視点があるのか。そういうことなら、やる意味が……あるのか?
おれは腕を組んで考え込む。
「それに……」
「?」
「どうやら敵には空母がいるようなんだよ」
「なんですって?!」
おれは驚いた。
「さっきの説明では明らかにされていなかったが、キスカに派兵した守備隊の一部が航空機のエンジン音を聞いている。しかもグラマンらしき機影も、別の人間が見たらしい」
マジかよ……。
また新しい空母が就航したとでも言うのか?
「アッツ島先行部隊は二百五十名あまりだが、彼らが艦砲射撃や空爆にさらされるのも、時間の問題、というわけだな。いや、誰かが行ってやらねばならんのだが……さて」
「アリューシャンにも橋頭保があればソ連へのけん制になるし、敵の爆撃機が距離を伸ばす中、日本の本土防衛にも重要な拠点になる。それこそ君の言う前線思想じゃないかな?」
二人がうかがうような目で見る。
「あーもう!」
おれは叫んだ。
「行きますよ。行きます!」
「とまあ、そんなわけなんだ」
「へえ、そうだったんですね」
おれは空母、隼鷹に乗っていた。
とうとう、こんな所にまで来てしまったことにあきれるが、結局、舞台があのアッツ、キスカ島と聞けば、捨て置けなかったのだ。
司令官室で熱い茶を淹れてもらい、壁の海図を眺める。そこにはアメリカ大陸からカナダを経てベーリング海までが記されたあった。
北太平洋を、アメリカ合衆国のアラスカ州から、下にたわむ弧の形にソ連のカムチャッカ半島まで続くのがアリューシャン列島である。そして、その最も西に位置する島がアッツ島、その東がキスカ島だ。
おれは今まさに、このアリューシャン列島へとやって来ていた。ここは夏でも気温は十度くらいしかなく、常に雨も霧もすごくて、かなり過ごしにくいと聞いている。日本で言えば、冬の津軽海峡てところか。
「悪いな草鹿。日本に帰ってまだ二週間なのにまた出撃だ。しかも、第一航空艦隊は修理や補給でドックに入ったばかりで、艦隊もにわかづくりときてる。おまえらも、おれとは腐れ縁と思ってつきあってくれよな」
「やだなあ長官、どこまでもご一緒しますよ」
草鹿が笑う。
「私も南雲長官とご一緒できて光栄ですよ。今から腕が鳴ります」
「おお、頼りにしてるよ」
こちらは角田覚治少将だ。今回のおれたちは、たった三隻の小型空母だけで、敵と戦わなくてはならない。彼はそのうちの一隻、空母龍驤に乗ってくれている。今はたまたま作戦会議でこの隼鷹にあつまっていたのだ。
「龍驤がいてくれてありがたいよ。乗組員は大丈夫かい? 休みがなくなって、不満はないか」
「いえ、文句は言わせません」
角田は自信たっぷりに言う。
「すべてはお国のためです」
「……」
それはその通りなんだが、でも、それで思考停止するのはいただけない。
「失礼します!」
当番の兵がやってきた。
「目標海域に到着しました!」
「お、そか……おい、みんなでちょっとベーリング海を見てみよう」
おれはうなずき、草鹿と角田をつれて廊下にでる。
隼鷹はとにかく狭い。武蔵はもとより、赤城や翔鶴とくらべても艦橋は小さくて、すぐに外への扉に着いた。
「お気をつけください。相当風が吹いております」
「マジで?」
「マジです」
「……」
「開けますか?」
兵士がおれに尋ねる。
目の前には鉄の扉があり、当番の兵士が把手を掴んでいる。
「やってくれ」
「では」
冷たい鉄の軋む音がし、ついで鉄扉がどっと開いた。
びゅおおおおおおおおおお!
甲板を猛烈な風が吹き荒れている。
ちょっと出てみる。
「うおおお!」
「さ、さぶっ!」
「こ、これは!」
六月だってのに、なんちゅう風だよ……。
みんなで甲板の端まで小走りに行って、素早く海面を覗いてみる。
白い泡のような波がしぶき、激しく顔を突き刺す。
うあ!なにも見えない。
それに、この風の痛さといったら……。
「ダメだ!中に入ろう!」
あわてて踵を返す。
「閉めてくれっ」
「はっ」
ガチャン!
(……ふう)
聞きしに勝る悪天候だな。
ベーリング海って、ハンパねえ。
いつもご覧いただきありがとうございます。アッツ島をめぐる攻防のはじまりです。




