こげ臭い少女
●3 こげ臭い少女
作戦会議が終わり、海軍省二階の廊下に出たところで、山本さんに呼びとめられた。
「南雲くん、進くん、ちょっといいかな?」
山本さんは目配せをして、他の者を先に行かせる。
「なんでしょう」
おれたちは廊下を通る人間の邪魔にならないよう、少し端っこに寄って立話をはじめた。副官らは遠慮して、ちょっと離れて待っている。
「進くんにはもう話してあるんだが……」
「?」
「お父さんすみません。凱旋されておケガもされてましたので、ご心労おかけしてはと……」
「どうした?」
なにか言いにくそうにしている進に、不安を覚える。
「実は、佐伯さんのご実家が賊に襲われてな」
「佐伯さん?」
すぐにピンとこない。
誰だっけ、いろいろ引っかかるけど……。
「この前、私がお見合いした、佐伯 四海さんのご実家です」
「ああ!」
おれはようやく思いだした。
山本長官の紹介で、進のお嫁さん候補にと、紹介してもらい、おれが出撃しているあいだに、進がちゃっかり見合いをすましてた相手先だ。
「確か、旧大名家とか」
「賊に襲われて、家財がすべて焼失したそうだ」
「な、なんですって?……進、お前お見舞いには?」
とうぜん、そんな災難にあわれたのなら、お見舞いに行くべきだろう。お互いが気に入り、今はほとんど許嫁といってもよい仲だとすると、おれにとっても親戚同然だ。
「いえ、まだです。お父さんにご報告してからと……」
おれは山本さんを見た。
「長官、お見舞いに行ってもいいですか?」
「行ってこい。君も海から帰ったばかりで大変だが、伺っておいたほうがいい。それに、すこしは海軍にも関係がある……」
「それは、どういうことですか?」
「いや、これは佐伯翁から直接聞いた方がいい。とにかく、こっちは大丈夫だから、すぐに行って来たまえ。ご実家は大分だ」
そこまで言って、山本さんはぱっと顔を輝かせた。
「そうだ、深山に乗るってのはどうだ? ちょうど立川で試験飛行をやっている」
「え? し、深山ですかあ?」
「それがいい、明朝マルロクマルマル、立川の陸軍飛行場に行け」
山本さんはおれの肩をぽん、と叩いた。
四発のプロペラが回りだす。
滑走路にいる陸軍の兵士が、誘導の旗をふっている。
朝五時に起床して、立川飛行場に入ったおれと進は、背広姿のまま、土埃の舞う滑走路に立った。
「でかっ!」
おれは思わず叫ぶ。
進も口をあんぐりと開けている。
目の前には、銀色に光る真新しい巨大な航空機が、出発を待っていた。
「へー、これが深山ねえ」
まるで旅客機のような大きさだ。それもそのはず、たしかこの深山はアメリカ・ダグラス社の旅客航空機DC―4Eを軍事転用目的で輸入し、研究して国産化したと記憶している。
(だけど、あんまり性能がよくなくて、結局は量産にならなかったんだよね……)
あまりはっきりとは覚えていないが、ネットかなにかで見た印象が悪すぎて、どうもテンションがあがらない。試験飛行だと聞くとなおさらだ。
とはいえ、艦載機を見慣れたおれには、全長三十一メートル、全幅四十メートルの軍用機は、なかなかの威容だった。なにしろB29と比べても、そん色のない大きさなのだ。
「すごいですねお父さん!垂直尾翼が二枚ありますよ。……あ、見てください、あんな大きなエンジンが四発もついてます!」
「う、うん、落ちなきゃいいんだけどね……」
いっそ、普通に旅客機を手配できなかったのか?
今さら後悔してもはじまらないか。
高さ六メートルもの飛行機への乗りこみには、本来タラップが必要になる。おれたちは鉄パイプで組み立てられた、まさにラッターのような急ごしらえのはしごを上り、機内に乗り込んだ。
「せ、せまっ」
中に入っておれはふたたび驚いた。
操縦席が二名のほかは、両側に二つずつ、四席しかない。後部にも銃座はあったが、そこに座るわけにもいかなかった。
「仕方ありませんよ。あくまでも爆撃機仕様ですし、まだ運用前ですからね」
暗くて狭くて、大きな窓もない。これじゃ閉所恐怖症になりそうだ。
航空士が二名乗り込んで来たので、結局は満員になった。
緊張している彼らとも挨拶し、座布団をもらって尻に敷く。こういうとき、山本さんなら痩せ我慢して、いらん、とか言うんだろうけど、おれは遠慮なく使わせてもらう。
「では提督、佐伯航空基地まで約二時間でまいります」
「安全運転でよろしくね」
目的地の基地は佐伯って言うのか。
海軍の航空基地にまで佐伯の名前がついてるんなら、これは思ってたよりずっと、大物みたいだ。
やがてゆっくりと動き出した深山は、轟音をあげ出力を全開にしていく。
ぐん、とGがかかり、身体が後ろに押しつけられる。
こうしておれたちは、まだ夜明けまもない空へと離陸したのだった。
乗用車が門の前で止まった。
「佐伯翁は、こちらにおられます」
そこは大きな屋敷の敷地だった。
(あれ……この日本庭園、どこかで)
車を降り、進と二人で長い土塀をくぐると、焼け焦げて崩れた屋敷が無残にあり、そこで大勢の人間が後かたずけを、やっていた。
「佐伯さま、いらっしゃいますかあ!」
送ってくれた海軍の兵士が声をかける。
「おお、こっちじゃ!」
がれきを持ち上げたり、焼け残った家財を回収したりと、真っ黒になって立ち働く十人ばかり。
みんなが、一斉におれたちを振り返る。
その中に、黒く太い眉毛と、立派なヒゲをたくわえた壮年の男がいた。
「南雲中将と進さんをお連れしました」
「おお、南雲さんか!」
汚れた和服に襷をかけ、白いステテコも真っ黒になっているが、その風格は隠しようもない。きっと、あの男が佐伯翁と呼ばれている、佐伯家の当主に違いない。
「おい進」
「はい」
「こりゃあ、おれたちも役に立たんとダメだろ」
「そ、そうですね」
おれは背広を脱ぎ、腕まくりをする。
進もそれを見習って、働ける格好になる。
「ああ、こんな格好ですみません」
佐伯翁と一緒に割烹着姿の少女がやってくる。
おれはその人物を見て、なぜか胸が高鳴る。
なんだ?
今日はいろいろ奇妙だな。
くん、くん……。
……焦げ臭い。
いつもご覧いただきありがとうございます。伏線の連続ですみません。出撃まであとしばらくおつきあいください。 ブックマーク登録をよろしくお願いします。




